木村多江さんが美しい。
されど妙な衣装のせいで気が散ってしまう。
そして石川数正の出奔がナレーションで説明されますが、いつもの素っ頓狂な調子のため、とても劇中に入り込めません。
落ち着いたトーンで、一気に物語の世界へ引き込んでくれた前作『鎌倉殿の13人』から1年足らずで、どうしてこうなった。
どうする発声
三河岡崎城では、井伊直政がキンキン声で怒っています。
腹の底から声を出す発生法を、誰か指導しないのでしょうか。
これは家康もそうで、ボソボソ低い声で喋ればいいというものではないでしょう。
シリアス=ボソボソ口調
という風に思っていそうですが、そんなわけはありません。
特にセリフが長い家康と秀吉の滑舌が悪く、中身を正確に把握しようと思えば字幕が必須です。
どうするイキリ軍師
いかにもわざとらしいクセの強い声と演技の本多正信。
常に皮肉っぽい調子ですと、いざという時に効果が薄れてしまいませんか。
これでは正信の賢さより、イキリ厨二病に見えてしまい辛い。本当にあんな人物が家康の知恵袋になり得たとは思えません。
扇子で直政を指す仕草もかなり挑発的です。
直政が本当にキレやすいキャラクターだったら、バカにされたと感じて取っ組み合いになっても不思議じゃないでしょう。
どうしちゃったの、えびすくい担当者!
えびすくいおじさんの目が虚です。
得意技を封じられると調子が落ちてしまうのですかね?
残念ですが、もちろん演じる大森南朋さんには罪がない。それどころか北野武監督『首』の公開が間近に迫っております!
大森さんの真骨頂でしたら予告編からにじみ出ています。
1分24秒ぐらいに登場する羽柴秀長。
非常に風格があり、理想的な秀吉の弟が見られそうです。
もう、ビッグモーターの影がチラつかないだけで、その戦国の世界にスンナリと入っていけそうな……映画の公開日を指折り数えています。
どうした小道具担当者……
視力抜群、レーシックお愛がゆるかわ仏様を持ち込みます。
数正が作ったというもので、その出来栄えが……小道具スタッフもあまり気合が入っていないのでしょうか。
『麒麟がくる』の平蜘蛛や『鎌倉殿の13人』の仏像と落差が惨たらしい。
しかしフィギュア作り……もとい木彫りの像が好きなドラマじゃのう!
他にアイテムを思いつかないんでしょうか。
どうする夢オチ
家康が暗い室内で何かを並べています。
するとそこへ数正の姿が。
ピアノがピロピロと流れ、数正が家康の首に刃を突きつける。で、秀吉が「殺せ」と言う。
もうしつこいばかりの夢オチには、げんなりするばかりです。
本作は、何度こうした展開を用いるのでしょう。
三方ヶ原で死んだとか、本能寺は家康が起こすとか、史実からしてあまりにチャチな「そんなわけないでしょ……」と脱力するような話を引っ張るんですよね。
目先の刺激を求めて陳腐な妄想シーンでお茶を濁す――今後もおそらく登場しそうです。
どうした巨大地震
天正13年(1586年)11月29日に発生した天正大地震。
ナマズがヌメヌメして地震を示すアニメがいささか無神経ではありませんか。
なぜ、こんなほっこりアニメで描かれるのか……というか、本作は常に先人への敬意が欠けているように感じます。
江戸時代のナマズ絵は確かにユニークです。そういう絵へのオマージュを感じさせない絵柄が辛い。

江戸時代に描かれた鯰絵/wikipediaより引用
なにより大地震は日本人にとって切っても切れない悲劇の歴史のはずなのに、そのショックよりも注目されるのがあの変な仏像とか、まるでリアリティが感じられないのです。
天正大地震はマグニチュード8.0前後と推定される凄まじいほどの揺れです。
しかも直下型地震。
◆岐阜県:天正地震(→link)
濃尾地震と並ぶ過去最大規模の大地震なのに、注目すべきは数正フィギュアの話とは……。
こうした描き方から浮かび上がってくることがあります。
本作が大事にしているのは、家康と半径数メートルの出来事。
今回は数正がテーマにされているのであり、民なんてどうでもいい。
本当に家康の良さを見せるのであれば、被災者に炊き出しを提案するとかできたはずです。
『麒麟がくる』の足利義昭は、貧民救済が実現できるなら将軍になってもよいと考えていた。それを忘れ、戦をした己を恥じて、駒の前で己の首を絞めていました。
『どうする家康』には、人を救うための葛藤がまるでない。だからこそ、偽善的なドラマに見えるのです。
大河ドラマにおける大震災は、過去に問題ある描写も見られました。
特に『いだてん』は圧巻の迫力でしたが、ひっかかる要素もあった。関東大震災からちょうど一世紀ですので、振り返っておきましょう。
・瓦礫だらけの道を走る金栗四三。危険です!
・自警団らしき人物が金栗を尋問する場面はアリバイのようにある。しかし、そのあと金栗が「被災者は一致団結していた!」と自警団による虐殺などないようなセリフを断言する
・被災者の望みはオリンピック開催という、強引なこじつけがみられた
『青天を衝け』は相当悪質です。
・過激な政治思想の持ち主が渋沢栄一の命を狙っているというセリフがある。これは悪質な嘘。むしろ社会主義者が混乱に乗じて殺害された(亀戸事件等)
・そもそも渋沢栄一は、関東大震災を天罰だと大々的に主張した「天譴論」の提唱者代表。そんな人間と震災を絡めて歴史修正的な描写とは!
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自分たちの都合のいいように震災を描くのは、あまりに悪質であると思います。
公共放送でやってはいけないことでしょう。
どうする山守親分夫妻のトラウマ
人物や背景の動きなどで物語の進行を描けない本作は、それをセリフで補います。
いわゆる説明セリフがやたらと多く、特に最近感じるのは寧々です。
彼女のセリフはそればかり。
もはや考えることすら嫌になるのですが、その理由のひとつが『仁義なき戦い』の山守夫妻を思い出してしまうことです。
山守夫妻とは?
どうしようもなくケチで狡賢い夫婦であり、劇中では若い者たちを何人も死に追いやる。暴力的な振る舞いではなく、汚いアイデアで次々に人を罠にはめていく。
親分である夫だけでなく、横にいる夫人がこれまた性格の悪い女性で、それだけ視聴者を気分悪くさせるのも、同時に、名演技だからとも言えまして。
不思議なことに、山守夫妻には愛嬌もあった。
『鎌倉殿の13人』では、坂東彌十郎さんが愛嬌と憎々しさを同時に出していて、山守親分の悪さと良さのような、非常に見どころがありました。
それが今年は、山守夫妻の嫌なところだけを凝縮したものを見せられている気分なのです。
まぁ説明セリフについては、寧々一人だけでもなく、秀吉も信雄もそうでした。考えてみれば正信も……って、全員だいたい説明セリフですね。
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どうする幼稚な家康
織田信雄に「勝手に和睦しやがって!」みたいなことを言う家康は何なのでしょう。
ピーピー喚き、ラリラリして、女にムフフとしていた青年期。
中年期以降は怒りで周囲をコントロールしようとするパワハラ気質。
制作陣は「こういう家康にこそ現代人は共感できる!」なんて思っているのでしょうか。
今さら信雄と敵対姿勢を取ったところで一文の得もなく、後の天下人になれるような器量やしたたかさを見せたっていいはずなのに、これでは彼がなぜ徳川政権を樹立できるのか、道筋がまるで見えてきません。
どうする圧巻の説明セリフ
戦をしないで済むなら人質を出すという前提で寧々が話します。
こういう時こそナレーションを活用すべきではありませんか。
しかも夫婦で人質のことを話しているところに、秀長が旭を連れてくるタイミングのバカバカしさよ。
「うん、この時間になったらあの人が人質の話を持ち出すから、そこで旭を連れていこう!」
って、そんなことあるんですか?
そんなの「“たまたま”ビッグモーター店舗前では、街路樹が枯れるんだなぁ」と言われるようなものです。
脚本を書いている時点で「さすがにここで登場はタイミングが良すぎる」とか考えないものですかね。
しかもこのあと、秀吉は「お前がちゃんとやらないと、かか様を送るぞ」と、失敗を予見する未来人みたいなことを言い出す。
さすがに脚本の筆力に限界が来ているのではありませんか。
一話一話のアイデアを積み重ねいって、全体を俯瞰して調整する――そんな作業がされているようには思えず、場当たり的に先を急いでいるように見えるんですよね。
どうする下劣な笑い方
旭がニカッと歯はを見せて笑う場面は、他に表現のしようはなかったのでしょうか。
あえてやっているのでしょうけど、本作は他にも千代やレーシックお愛も歯を見せていました。
歯が白くて綺麗に見えるのが美形の条件になるのは、かなり時代が降ってからのこと。古今東西、ああいうニカッと歯を見せる美人画はまずありません。
旭と結婚する殿が気の毒ではなく、こんな旭を見せられる視聴者が、こんな台本を渡された役者が、気の毒でなりません。
旭だけを下品としたいのでしょうが、於大もレーシックお愛も所作がほぼ全員おかしい。木村多江さんや松重豊さんは自身のキャリアでカバーしておりますが。
どうする古すぎるセンス
甘いお菓子を食べて、コスメの話題ではしゃぐ――なんでしょう、このおっさんが考えたバカな若い女みたいな場面は。
昭和レトロなドラマや漫画に出てくる、「給湯室のOL」みたいな描き方ですよね。
こういう古臭いミソジニーが漂う描写って、若い世代を悪い意味で直撃します。ゾゾっと背筋に悪寒が走って戻ってこなくなります。
高い化粧品を試すだけであんなにアホみたいに使いますかね?
まったくもってセンスのかけらもないお笑いシーンだ。
こういうことをしておいて「俺らのセンスっていけてるよな!」と思っているとすると、ともかく痛々しくて掛ける言葉もありません。
そんな戦国給湯室OLを覗いているのが、スイカバーから小豆バーの精霊になった大久保忠世です。衣装は相対的にマシになってきたとは思いますが。
どうする“自サバ軍師”
本多正信なはぜ、何か食べながら話すのでしょうか。
真田昌幸もそうでしたが、目上の人間がいて大事な話をしているところでムシャムシャ汚らしく食べるって、現代人でもそうそうやらないでしょう。
「物を食いながら話すのってワイルドだろぉ~」とでも思っているんですかね。
そんな価値観、お笑いに使われるぐらいしかないでしょうよ。
本作の正信を見ていて思い出すのは、ドラマ10にもなった漫画『ワタシってサバサバしてるから』の網浜です。
「ワタシってぇ〜他の人にはないセンスがあるっていうかぁ?」
そうして、いちいちマウントを取って鬱陶しいのですが、それはただの勘違い。それが網浜です。彼女はやたらと何かを食べ散らかしていましたね。
そんな網浜よりも浅はかに見える正信は、情報収集をしているとか?
半蔵と女大鼠コンビでも使っているのですかね。
結局、本能寺の変の頃、京都にいた五百名の伊賀者はどうなったんですかね。都合悪いところは全部投げっぱなしだな。
どうしてそうなんだ忠勝
忠勝が無駄に脱いで稽古をするのは何の狙いでしょう。
残念ながら全く強そうに見えない……。直政と比べると相対的にはマシに見えますが、それでいいのでしょうか。
どうする俺様のお気持ち
家康はヒマなのでしょうか。
重臣に出奔されて、グズグズしている時間などないでしょうよ。
軍政改革だのなんだのやること山積みです。
あぁ忙しい、忙しい、よりにもよってなぜこのタイミングで……すべて数正のせいだ! しかし数正よ、なんでお前は……と悩む程度で良いのでは?
結局このドラマは「俺のお気持ちが一番大事」という価値観に縛られている。
領民や天下趨勢のことなど二の次で、本当に怠惰な家康です。
幼い頃はろくに勉強もせず、はしゃいでお人形遊び。
で、不惑過ぎても惑ってばかり。
とことん幼稚です。
どうする優しさがない家康
「戦なんてしないでいい世の中にしよう!」
「家康に跪けと申すか?」
この切り替えが全然わからない。
本作の家康は、喜怒哀楽が乏しいくせに、嫌悪感だけは露わにして、なんだか性格が悪くありませんか。
自分が傷ついたときでも優しさを見せるような度量はなく、子供のようにすぐにムキになって反論する。平気で人の話を遮る。
於大が言っていた「昔は人を思いやる心があった」とは、いつの時代のことでしょう。
マザーセナのために栗を探していたぐらいしか思いつきませんが、それにしたってその優しさも打算ありきにも見える。
「高級ホテルでディナーを食べさせたんだから、そのあとお持ち帰りは当然できるだろ」
要するに、こういう思考回路。相手が誰であろうとティファニーのオープンハートを贈るようなバブルなセンスですね。
どうした於大の支離滅裂
家康のことをそう評していた於大にしても、かなり支離滅裂です。
「おなごは駆け引きの道具ではない!」
とは、一体どうしたことでしょう。先週、男子だろうと人質に出していたばかりですし、於大自身の息子も人質に出されていた。
於大の息子ですから家康の弟でもあり、その救出劇にはやたらと時間をかけ、武田家を人質虐待も辞さないような描き方でした。
女子だって、腹を子作りに使うために側室をせっせと勧めていた。オーディションにもばっちり参加されていましたよ。
要するに、このような「ジェンダー考えました」みたいなセリフをたまにアリバイとして入れているのでしょう。
どうする偶然頼り
於大の会話が終わった後、わざとらしく戸を全開にして号泣している旭を見かけるシーンはなんなんですかね。
「人質の話題を出したら“たまたま”秀長が旭を連れてくるタイミングとあった」
「旭のかわいそうな境遇を聞いたあと、“たまたま”号泣する旭を目撃した」
「家事をこなしていたら“たまたま”男たちが大事な話をしているところが見えた」
何度も申しますが、こんな偶然頼りが連発する展開を、作り手はおかしいと思わないのでしょうか。
物語の展開をさせるため、駒のように人が動く。リアリティが欠如しているのは、こうした無理な展開も連続するからでは?
劇中で生きているはずの人物たちから息吹が感じられない。とにかく話を先へ進めたいだけで物語が突き進んでいるように感じてしまいます。
どうする陳腐な語彙力
昔、時代ものを読み始めたとき、章末や巻末についている注釈を噛み締めるように覚えていたことを思い出しました。
こんな言い回しもあるのか……と感動を覚えたものです。
その感動を大河ドラマにより取り戻せたのが『麒麟がくる』でした。あの作品はそもそもが「麒麟」の意味を解釈させることで思考を鍛えてくれる喜びがあった。
漢籍の引用はいつも的確で、学ぶ喜びを取り戻してくれたものです。
ひるがえって本作の語句の薄っぺらさはいかがなものでしょう。
「誰にも何も奪わせぬ!」
「戦なき世を作る!」
「マザーセナと信康に誓った!」
どうしてこうなりましたか。心だの、夢だの、何だか怪しげなセミナーみたいなことばかりネチネチ言い合ってなんなのか。
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どうするカルトとヤバい草の臭い
レーシックお愛が、数正フィギュアから押し花を取り出す場面もズッコケました。
押し花は築山に手を合わせていた証だってさ。
植物は『らんまん』小道具さんの技術を使ったほうが……とは思いますが、彼らはまともな朝ドラ制作に忙しくてそんな暇ありませんね。
それにしても、なぜここまでカルト臭を漂わせたいのか。
大河ドラマを見ているのに、カルト追及に定評のある鈴木エイト氏の著作を読み返したくなる。
出演者の皆さん、目が虚ですよね。
しかも押し花から築山の香りってどういうことですか?
築山で咲く香の強い花ってどんな種類なのでしょう。
木犀の花を見ながら宴をしたとか?
梅ならわかる気がする。しかしこれはそうでもないし、なんなんだろう?
押し花ではなく、香木では駄目だったのですかね。
当時は香道が嗜みとしてあり、貴婦人が自分の家に伝わるお香を焚いた。それを嗅ぐと「ああ、あの人の香りだわ」となる。そんな演出ではいけませんか?
『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』では、香木がうまく使われていたんですけどね。
香りが残っているかどうかもわからない枯草を前に、思い思いに叫ぶ連中は完ッ全に教団員ですわ。
ピロピロしたピアノも教団感をアップさせ、LEDウォールもなんか怪しげになっている。
で、「あほたわけー!」と絶叫。これはもう、教団の呪文ですよね。
全てが、カルト臭い。まったく、私の受信料は、お布施じゃないんですよ!
まさか吸ってはいけない系の植物ではないですよね?
どうしようもない逆張りの果てにカルトがある
はい、そんなわけで信徒たちの前でアリバイが終わりました。
旭は晴れて大事な妻に。マザーセナカルト集会により、禊が済んだということでしょう。
それにしても旭の泣き方が、法悦を味わうカルトじみているというか……。
こんな風に背中を丸めて「オオオオ」と泣くなんて、横光三国志の馬超くらいかと思っていましたよ。あの馬超は親を殺されたあとなのでまだしも、こちらは何なのか。
感動のあまり目から涙がこぼれ落ちるとか。泣き笑うとか。そういう繊細な表現だってあると思います。
むろん役者のせいではありません。台本を読んで役になりきって感動したら、涙は演じるまでもなく自然にふわっと浮かんでくることでしょう。
前段であげた『麒麟がくる』の義昭と駒の場面がその一例。駒は義昭の苦しむ顔を見て、涙がハラハラとこぼれ落ちていました。
本作は、ああいう繊細な演技指導ができないから、横光三国志の馬超号泣で誤魔化すしかない。
私の中で旭は「健気なタヌキ」どころか、号泣五虎大将軍になりました、オオオオオオオ!
◆山田真歩 「どうする家康」秀吉の妹役 役作りのイメージは「健気なタヌキ」(→link)
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どうする負け惜しみ
本作の家康は毎回嘘をついてばかりです。
自分のことばかり大事で、自分が納得してスッキリしたら上洛するってよ。
ただし「関白を操り浄土とする!」って、いやいや、なんですか、この負け惜しみは。
毎度毎度、その場しのぎのくだらない大嘘のせいで、どんどん家康がダメになっていく……。
本多正信あたりが、もしもこんな風に言ったらどうしましょうか。
「朝鮮出兵は天下の愚策! されど、それにより豊臣の力は削がれまするぞ。あの兵力でコチラを潰しにきたら到底勝てませぬからなあ」
思えば、瀬名を救うためだけに領民を身代わりに殺そうとした家臣団ですからね。
民の命なんて石ころ程度ですし、ましてや海の向こうの命なんて気にしないでしょう。
もう、どうしようもない所作
秀吉が目をギラつかせて、いつも精一杯「サイコパスです! やばいです!」と演技しているのはわかりました。
しかし、時代ものの基本的な所作ができていないため、むしろカワイイと思えるほど。
たとえばラスト近くの書状を読む場面、ちまちまと広げていました。
時代劇ならば、書状をばさっ!と一振りして広げて読む所作が定番です。
北野映画『首』の予告編で、豊臣 秀長役の大森南朋さんがその動きをしていることが確認できます。
朝ドラ『らんまん』の神木隆之介さんも、同じ動きを見事にこなしていました。
そういう基礎すらできないとは、一体どういうことなのでしょうか。
筆は鉛筆持ちするわ、書状はちまちまと広げるわ、本当にどうしようもありません。
どうする逆張りの尻拭い
本作から感じられるのは天下人の覚悟とか背負った業とか、敵対した者への慈悲や、領民たちへの慈しみなどではありません。
過去作品の描写に対して逆張りをかまし、冷めた目で冷笑ぶる。
常にそんなシーンが目立ちますが、少しだけ例を挙げておきますと……。
・瀬名と不仲じゃないことにすれば面白い!→逆張り
・石川数正とハートフルな別れにすればおもしろい!→逆張り
・旭姫がわざと明るく嫁いできたら面白い!→逆張り
お子様の思いつきのような精神性と申しましょうか。
なんだかこちらの記事と妙にリンクしてしまいました。
◆「はい論破」と言う子への対応は 共感誘う対話の練習を(→link)
友達との会話中や授業中に「はい論破」「それってあなたの感想ですよね」などと言って、相手を言い負かそうとする子が増えているという。
物事の本質をつくとか、芯を探っていくような作業を怠り、表層的に相手を負かせようとする。そして目先の勝利で優越感に浸る。
子どもならまだしも、大人がそれでは絶望します。今回の展開は、大人の逆張り防止啓発教材に使えそう。
まさしく逆張りとその尻拭いの回です。
あれだけ「マザーセナ以来の正室はいない」だのなんだの言いながら、秀吉の妹を正室にしたらヤバいなっ!
と、その帳尻合わせのために、怪しい草の臭いだのなんだの、わけのわからぬ薬物中毒じみた不気味な場面になったわけです。
もはやマザーセナは悪夢の発生源です。
こんなニュースが目立つようになったのも、
◆「どうする家康」の史実乖離がヒドすぎる ワースト5を専門家が解説「家康夫婦は不仲だったのに…」「研究で否定されている見解ばかり」 (→link)
◆松本潤『どうする家康』、コア視聴率『VIVANT』の「3分の1以下」ボロボロ実態!!大河ファン“総スカン”の元凶は「有村架純の扱い」(→link)
◆ 【どうする家康】「やっと大河らしくなってきた」松重豊の重厚演技に視聴者納得「ギャグなくていい」「瀬名と信長いなければ当たり」(→link)
くだらない逆張りにエネルギーを使った結果でしょう。
演じた役者さんがあまりに気の毒です。
どうするジェンダー観
前回、寧々が秀吉の横にいて、数正に説明セリフを吐く場面がありました。
今週はレーシックお愛が怪しい草を持ち込む場面もありました。
ああいう女性の発言場面はありなのかどうか?
戦国時代の女性は、江戸時代に低下した女性の発言権とは異なり、情勢を左右していたとはされます。
とはいえ、男女が別れているという建前があったのが戦国時代でしょう。
女性が仲介役になって物事が動くことはありますが、そうはいっても、男のいる場で正面突破するのではなく、書状を用いたり、侍女に言伝をしたり。
おもてなしやら何やらで話す機会を設け、そっと意図を伝えるといったやり方が自然なアプローチです。
一例として最上義光の妹であり、伊達政宗の母である義姫。
彼女は戦国女性の地位をフル活用した好例といえます。
たとえば慶長出羽合戦で最上が大ピンチだったとき、伊達への援軍催促を行いました。
「兄は男のプライドもあるし言えないけど、女の私はズバリ言うわよ、ぶっちゃけもうダメ! 早く助けにきて!」
建前の男と、本音の女――そういう使い分けがあります。
男の方でも「まあ、彼女がそういうなら仕方ないね」という言い分で面目を保ちながら行動に通すことができる。
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このドラマは逆張りが好きだから、そういう描き方が嫌なんですかね?
それともただの認識不足でしょうか。歴史は、城や武将に詳しければよいだけではなく、こういう思考のあり方やジェンダー観も重要ですよね。
『鎌倉殿の13人』の北条政子は、そういう使い分けができていました。
頼朝から政治に口を出すなと言われているけれども、彼女なりのやり方で御家人たちの緩衝材になろうと努めます。
彼女が不満を聞いて、慰めているとわかります。プライベートで団欒を楽しむような場面でも、政子は人をなだめつつ、助言し、状況の把握につとめていました。
だからこそ坂東武者たちは「御台は素晴らしい、信頼できる」と語り合っていた。
ああいう描写が見たいのです。
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それがこのドラマの女ときたら、お菓子、コスメ、男の話ばかりではしゃぐのが大好き。
そうかと思えば、唐突に瀬名と千代がカルト構想を持ち上げるとか、要はジェンダー観が昭和なんですよね。
給湯室OLについては先程指摘しましたが、昭和の専業主婦とオカルトの接点についても最近解明されています。
家庭を守ることだけに満足できない意識の高い女性が、世の中を変える運動に目覚め、ハマってしまう。
はじめのうちは早起き運動のような一見無害なもので、それがだんだんと泥沼に堕ちてゆくと。
そんな昭和ジェンダー観に、新たなパターンが加わった。
前述のように『仁義なき戦い』の山守夫人じみた寧々です。
なぜ、そんな特異な女性ばかりを出すのでしょうか。
どうする武衛!
武衛=『鎌倉殿の13人』のファンのみなさん、お元気ですか?
朝ドラ『らんまん』は、武衛好みの俳優を揃えています。
例えば実衣役の宮澤エマさんが活躍中ですし、ラスト一ヶ月では畠山重忠を演じた中川大志さん、江間次郎を演じた芹沢興人さんが出演します。
鎌倉もとい、いざ、らんまん! 是非ともご覧ください。
◆「らんまん」中川大志 4年ぶり朝ドラ出演!神木隆之介と共演「断る理由ありません」図鑑発行のキーマン(→link)
「ネット」+「なんとか」は終わった
視聴率ではワースト2位の惨敗に終わることが有力で、もはや敗戦処理感のある本作。
となると定番の「ゴマカシ」が跳梁跋扈します。
「ネットでは」という言葉であり、いかにも「わかる人にはわかるんだ」とでも言いたげな主張ですね。
例えば以下の記事がそうでしょう。
◆ 大河ドラマ『どうする家康』が若者世代を繋ぎ止める?ドラマ評論家・木俣冬が教えるNHKの仕掛け「二次創作化の世界に入ってきている」(→link)
◆佐藤浩市「どうする家康」に圧巻の初登場 真田昌幸の“ニンマリ”クセモノ感にネット沸く(→link)
しかし、です。こうしたX(旧Twitter)を頼りに、ネットの声と観測するやり方もいつかは終わりが来るでしょう……というか、すでに終わりつつあるという指摘の記事も見られます。
◆「Twitterは距離感バグったおじさんだらけ」Z世代はインスタで社会問題を発信(→link)
若者世代の声を「Xなんかで拾うなよw」ということですね。
記事の骨格やタイトルにする土台がすでに崩れている。
ハッシュタグを底視聴率の逃げ道にしていた『平清盛』や『いだてん』の時代とはもう違います。
距離感のバグもわかる気はします。
大河ドラマについてハッシュタグをつけて盛り上がるというよりも、中高年以上が別の用途で使っている人もいると思いますね。
別の用途とは何かというと……ちょっと分析してみましょう。
どうするミソジニー
こちらの記事を読んでいて、色々と腑に落ちました。
◆ジャニーズ擁護を頑張る人々:ロマン優光連載255(→link)
タレントに何かあったときに陰謀論を持ち込んでくるようなファン以外の人というのは、ビジネスに誘導するためとか、自分という人間の正しさを世間に証明する機会をうかがっているとか、世界の本当の形を知りたいとか、自分のためにやっているだけなので、対象になっているタレントのことなど本当はどうでもいいわけだ。擁護してくれる、事態を否定するような答えをくれるかのように感じて、その発言を支持したところで、それが陰謀論にすぎないものであれば世間が受け入れることもないし、かえってタレントのイメージが損なわれる事態になりかねない。そうなっても、陰謀論を持ち込んできた人間が責任をとってくれるわけではない。推しのためによかれと思ってやった活動で、自分の推しのイメージを損ない、足を引っ張っても意味がない。
『どうする家康』はジャニーズ主演ドラマです。
応援しているアカウントは紫色のハートマークを使うことも多い。主演のファンを示すものだと言います。
そしてファンであるからには、作品を褒めるのは自然なことかもしれません。
私はむしろ「こんないい役者にダメな台本を渡すな!」とイライラするタイプですが、そうでない人の方が多いでしょう。「動く推しが見られればいいんだよ」という心理ですね。
問題は、そういうファン層に迎合しつつ、歴史知識を披露して、主演をやたらと褒めそやし、批判者を叩いてスッキリしている層かもしれません。
上記のロマン優光氏の記事にも出てくるように、特定の嫌いな層を殴るために、コンテンツを棍棒にする姿勢が『どうする家康』ファンダムにも漂っている。批判者に対し、「でも歴史の新説は入ってるしwこんな知識もないのかw」と嘲笑うことに利用する動きが見えるのです。
主演のファンは「そうか、歴史的にも正しい!」とはしゃぐ。
歴史知識自慢したい層は「ナウなヤングたちにもこのドラマはバカウケしている! 理解できないのは頭の固い連中だ!」となる。
もう大河ドラマも、ジャニーズも、どうでもいい。気に食わない奴を殴るために武装する棍棒としてドラマを使う、と。
そういうギスギスした空気のせいで、視聴率がさらに低減しようとお構いなしなのでしょう。
たとえば今回の感想で、私は給湯室のOLじみた描写は差別的だから不愉快だということを書きました。
それを読んで一定数、こう思う人がいることも予想できます。
「フェミニストみたいなこと言いやがってw」
それはそうです。私は北村紗衣氏の著書でフェミニズム批評を学んでいるところでもありますので、全くもってその通りとしか言いようがない。
ただ、それが気に入らぬ人は一定数いて、そういう方たちがどんな行動に出るか?というと、たとえば私が評価している『麒麟がくる』を貶めようとします。
「こいつは寧々だの愛をケチつけているけど、駒ちゃんが義昭と喋っていたのは無視かよw タブスタかよw」という具合ですね。
こういうことを書き込んでしまう方は、ある傾向があります。女性差別、ミソジニーです。
駒は、明国由来の医学知識を身につけた将軍の侍医です。義昭と二人きりの場面はあくまで私的な場であり、他の男性が混ざっている公式の場ではありません。
それに侍医ということが重要。東洋の「上医」は天下を診るとされた。
病人の絶対数を減らすには、社会基盤を頑丈にすることが効果的です。
医者ならばインフラ整備や貧困層の実態を実地で学んでいる。その観点からアドバイスができると考えられていたのです。
将軍が侍医に、世の中をより良くするにはどうすればよいのか尋ねても、全く問題はありません。
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それなのに駒を「ちゃん」付けで呼び、侍医という職業を無視するとはどういうことか?
人間を中身ではなく性別でみる、そんな偏見に凝り固まっていると自白したに等しいのです。
しかも成熟した女性である駒に「ちゃん」付けですか。
斎藤道三の娘で、織田信長の妻である帰蝶には「様」付けですかね。女は劣る存在でも、持ち主である男には迎合して丁寧に扱う。要するに社長の娘や妻にはヘコヘコすると。
これも昭和平成レトロおじさんあるあるなんです。
ベテラン女性社員で、自分なんかよりずっと経験があって賢い女性であっても、「女の子」だの「ちゃん」付けで呼んで下に見ようとする。すれ違いざまにお尻を撫でる。
そのくせ、社長の親族女性相手には絶対にそんなことはしない。
そういうレトロなミソジニーに骨の髄まで浸かった人というのは、自己の主張を正当化するものに飢えています。
ミソジニーに合致するものを見ると、たとえくだらないものでもむしゃぶりつきます。
『どうする家康』って、そういうミソジニーには迎合するんですよね。そういう層に媚びてもこの先道はないでしょうに。
どうする歴史の解釈
『どうする家康』は、ダメな歴史学あるある現象も起こしているので気をつけた方が良いと思います。
たとえば「森蘭丸」を「森乱」と表記した。
その一点突破でもって新説採用だとはしゃぎ、ドラマがおかしいと批判する層に対してマウント取ったりする。
しかし、森蘭丸についてはもっと深く考える必要性があるのでは?
「ラン」という音になぜ「蘭」があてられるのか?
花のような美少年であって欲しいという願望ゆえじゃないか。そういう歴史と伝承、文学を読み解くのも大事な要素のはずです。
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森蘭丸(成利)の生涯|5万石の戦国大名となった青年は信長の色小姓だったのか
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一次史料ばかり収集して、読みこなしても、それだけでは足りない。
関連する研究文献をきちんと読み込んでいなければ、研究者ですら思い違いを免れない。
小野寺拓也氏・田野大輔氏『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』にもそう書かれていて、『どうする家康』のことを思い出したものです。
歴史を学ぶというのは、まさにそういうことだと思います。新説はアリバイやマウントの道具ではありません。
李下に冠を正さず
瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず。陸機『君子行』
瓜畑では靴が脱げても履き直さない、季の木下では冠を直さない。世間の人から怪しまれるようなことをするなってコト。誰が見ているかわからないんだから、誰かのスカートの下あたりで敢えてスマホを構えたり、しょうもないことに「いいね!」をしたりするもんじゃないぞ。
「ちがうっすよ、たまたま靴が瓜の畑で脱げちゃってえ〜」
「スモモの木の下で、たまたま冠がズレただけです!」
そんな言い分通るかよ、という知恵ですね。
猜疑心旺盛な目で大河ドラマとその周りを見たくなかったけれども、こんな異常な事件があると、どうしたって疑いの目で見てしまいます。
◆海外記者が見た「日本のジャニーズ報道の異常さ」(→link)
日本のテレビ局の幹部らは、今すぐ自分の名刺にこう刷るべきだろう。「弱きを挫き、強きを助ける」。
これは、いたずらに持ち上げるドラマ評についても同じことが言えるでしょう。
◆松潤主演NHK『どうする家康』は「シン・大河」になる? 大ヒット大河ドラマ“勝利の方程式”とは | 2023年の論点(→link)
『どうする家康』のヒットは間違いなし――これが2023年1月の空気でした。
『どうする家康』が期待できる理由
『どうする家康』は「ユーモア」のある脚本を書ける古沢良太による「戦国」ものに「スター」(ジャニーズの松本潤)を配し、人気要素をもれなく押さえてある。
私は不思議でなりませんでした。
なぜ、ジャニーズがこうも勝利の要素として大々的に、特別視されるのか? ジャニーズに忖度して褒めたらよいのだろうか? なぜ?
本作については放送前から失敗すると思い、以下のような予想記事を記しましたが、
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2023年大河ドラマ直前予想『どうする家康』はどうなる?消せない懸念
続きを見る
当時は同意する人は少なかったと思います。
その答えがこんな形でめぐるとは。
◆「民放より罪が重い」ジャニーズ問題にNHK声明発表もやまぬ追及 “蜜月”指摘のなか注目は『紅白』の行方(→link)
◆セブン‐イレブン「クリスマス商戦の顔」キンプリ→SEVENTEENに 代理店が明かす「K-POPの“ジャニーズ食い”が始まった!」(→link)
◆なにわ男子『24時間テレビ』視聴率ワーストで「来年はジャニーズと決別」にリアル感!Aぇ! group&美少年担当地区も“大惨敗”!!(→link)
ジャニーズだから大成功する!
もしもそんな風に言っていたら、スモモの木の下でニヤニヤしながら冠を直すようなことになってましたね。
勝利どころかジャニーズはもはや呪いとなった。
将来的にお蔵入りしそうなドラマならば、作る側の気が削がれても仕方ないことかもしれません。
雨垂れ石を穿つ
スモモの木の下で冠を直すどころじゃない。もぎとった実を食べて口から汁を垂らしながら、
「いやあ、ものを盗むのはよくないですよね」
こう語っているのが今のNHKです。
◆ジャニーズ性加害問題でテレビ各局コメント 特別チームの提言受けて(→link)
◆NHK
ジャニーズ事務所の「外部専門家による再発防止特別チーム」が調査報告書で、ジャニー喜多川氏による性加害について「マスメディアが正面から取りあげてこなかった」などと指摘していることを重く受け止めています。
NHKは、職員の行動指針として「人権、人格を尊重する放送を行うこと」を定めており、性暴力について、「決して許されるものではない」という毅然(きぜん)とした態度でこれまで臨んできたところであり、今後もその姿勢にいささかの変更もありません。
ジャニーズ事務所に対しては、被害者救済と再発防止に取り組むよう要望するとともに、その実施状況を確認しながら、人権尊重の観点から、適切に対応していきたいと考えています。
おまえら、いけしゃあしゃあといいかげんにしろ!
そうお怒りであれば、意見は「◆NHK みなさまの声(→link)」に送りましょう。
『漢書枚乗伝』にあるように、雨垂れ石を穿つ、と申します。
◆NHK みなさまの声(→link)
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文:武者震之助(note)
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【参考】
どうする家康/公式サイト
















