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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第34回「豊臣の花嫁」】
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どうしようもない逆張りの果てにカルトがある
はい、そんなわけで信徒たちの前でアリバイが終わりました。
旭は晴れて大事な妻に。マザーセナカルト集会により、禊が済んだということでしょう。
それにしても旭の泣き方が、法悦を味わうカルトじみているというか……。
こんな風に背中を丸めて「オオオオ」と泣くなんて、横光三国志の馬超くらいかと思っていましたよ。あの馬超は親を殺されたあとなのでまだしも、こちらは何なのか。
感動のあまり目から涙がこぼれ落ちるとか。泣き笑うとか。そういう繊細な表現だってあると思います。
むろん役者のせいではありません。台本を読んで役になりきって感動したら、涙は演じるまでもなく自然にふわっと浮かんでくることでしょう。
前段であげた『麒麟がくる』の義昭と駒の場面がその一例。駒は義昭の苦しむ顔を見て、涙がハラハラとこぼれ落ちていました。
本作は、ああいう繊細な演技指導ができないから、横光三国志の馬超号泣で誤魔化すしかない。
私の中で旭は「健気なタヌキ」どころか、号泣五虎大将軍になりました、オオオオオオオ!
◆山田真歩 「どうする家康」秀吉の妹役 役作りのイメージは「健気なタヌキ」(→link)
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どうする負け惜しみ
本作の家康は毎回嘘をついてばかりです。
自分のことばかり大事で、自分が納得してスッキリしたら上洛するってよ。
ただし「関白を操り浄土とする!」って、いやいや、なんですか、この負け惜しみは。
毎度毎度、その場しのぎのくだらない大嘘のせいで、どんどん家康がダメになっていく……。
本多正信あたりが、もしもこんな風に言ったらどうしましょうか。
「朝鮮出兵は天下の愚策! されど、それにより豊臣の力は削がれまするぞ。あの兵力でコチラを潰しにきたら到底勝てませぬからなあ」
思えば、瀬名を救うためだけに領民を身代わりに殺そうとした家臣団ですからね。
民の命なんて石ころ程度ですし、ましてや海の向こうの命なんて気にしないでしょう。
もう、どうしようもない所作
秀吉が目をギラつかせて、いつも精一杯「サイコパスです! やばいです!」と演技しているのはわかりました。
しかし、時代ものの基本的な所作ができていないため、むしろカワイイと思えるほど。
たとえばラスト近くの書状を読む場面、ちまちまと広げていました。
時代劇ならば、書状をばさっ!と一振りして広げて読む所作が定番です。
北野映画『首』の予告編で、豊臣秀長役の大森南朋さんがその動きをしていることが確認できます。
朝ドラ『らんまん』の神木隆之介さんも、同じ動きを見事にこなしていました。
そういう基礎すらできないとは、一体どういうことなのでしょうか。
筆は鉛筆持ちするわ、書状はちまちまと広げるわ、本当にどうしようもありません。
どうする逆張りの尻拭い
本作から感じられるのは天下人の覚悟とか背負った業とか、敵対した者への慈悲や、領民たちへの慈しみなどではありません。
過去作品の描写に対して逆張りをかまし、冷めた目で冷笑ぶる。
常にそんなシーンが目立ちますが、少しだけ例を挙げておきますと……。
お子様の思いつきのような精神性と申しましょうか。
なんだかこちらの記事と妙にリンクしてしまいました。
◆「はい論破」と言う子への対応は 共感誘う対話の練習を(→link)
友達との会話中や授業中に「はい論破」「それってあなたの感想ですよね」などと言って、相手を言い負かそうとする子が増えているという。
物事の本質をつくとか、芯を探っていくような作業を怠り、表層的に相手を負かせようとする。そして目先の勝利で優越感に浸る。
子どもならまだしも、大人がそれでは絶望します。今回の展開は、大人の逆張り防止啓発教材に使えそう。
まさしく逆張りとその尻拭いの回です。
あれだけ「マザーセナ以来の正室はいない」だのなんだの言いながら、秀吉の妹を正室にしたらヤバいなっ!
と、その帳尻合わせのために、怪しい草の臭いだのなんだの、わけのわからぬ薬物中毒じみた不気味な場面になったわけです。
もはやマザーセナは悪夢の発生源です。
こんなニュースが目立つようになったのも、
◆「どうする家康」の史実乖離がヒドすぎる ワースト5を専門家が解説「家康夫婦は不仲だったのに…」「研究で否定されている見解ばかり」 (→link)
◆松本潤『どうする家康』、コア視聴率『VIVANT』の「3分の1以下」ボロボロ実態!!大河ファン“総スカン”の元凶は「有村架純の扱い」(→link)
◆ 【どうする家康】「やっと大河らしくなってきた」松重豊の重厚演技に視聴者納得「ギャグなくていい」「瀬名と信長いなければ当たり」(→link)
くだらない逆張りにエネルギーを使った結果でしょう。
演じた役者さんがあまりに気の毒です。
どうするジェンダー観
前回、寧々が秀吉の横にいて、数正に説明セリフを吐く場面がありました。
今週はレーシックお愛が怪しい草を持ち込む場面もありました。
ああいう女性の発言場面はありなのかどうか?
戦国時代の女性は、江戸時代に低下した女性の発言権とは異なり、情勢を左右していたとはされます。
とはいえ、男女が別れているという建前があったのが戦国時代でしょう。
女性が仲介役になって物事が動くことはありますが、そうはいっても、男のいる場で正面突破するのではなく、書状を用いたり、侍女に言伝をしたり。
おもてなしやら何やらで話す機会を設け、そっと意図を伝えるといったやり方が自然なアプローチです。
彼女は戦国女性の地位をフル活用した好例といえます。
たとえば慶長出羽合戦で最上が大ピンチだったとき、伊達への援軍催促を行いました。
「兄は男のプライドもあるし言えないけど、女の私はズバリ言うわよ、ぶっちゃけもうダメ! 早く助けにきて!」
建前の男と、本音の女――そういう使い分けがあります。
男の方でも「まあ、彼女がそういうなら仕方ないね」という言い分で面目を保ちながら行動に通すことができる。
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このドラマは逆張りが好きだから、そういう描き方が嫌なんですかね?
それともただの認識不足でしょうか。歴史は、城や武将に詳しければよいだけではなく、こういう思考のあり方やジェンダー観も重要ですよね。
『鎌倉殿の13人』の北条政子は、そういう使い分けができていました。
頼朝から政治に口を出すなと言われているけれども、彼女なりのやり方で御家人たちの緩衝材になろうと努めます。
彼女が不満を聞いて、慰めているとわかります。プライベートで団欒を楽しむような場面でも、政子は人をなだめつつ、助言し、状況の把握につとめていました。
だからこそ坂東武者たちは「御台は素晴らしい、信頼できる」と語り合っていた。
ああいう描写が見たいのです。
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それがこのドラマの女ときたら、お菓子、コスメ、男の話ばかりではしゃぐのが大好き。
そうかと思えば、唐突に瀬名と千代がカルト構想を持ち上げるとか、要はジェンダー観が昭和なんですよね。
給湯室OLについては先程指摘しましたが、昭和の専業主婦とオカルトの接点についても最近解明されています。
家庭を守ることだけに満足できない意識の高い女性が、世の中を変える運動に目覚め、ハマってしまう。
はじめのうちは早起き運動のような一見無害なもので、それがだんだんと泥沼に堕ちてゆくと。
そんな昭和ジェンダー観に、新たなパターンが加わった。
前述のように『仁義なき戦い』の山守夫人じみた寧々です。
なぜ、そんな特異な女性ばかりを出すのでしょうか。
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