今回は関ヶ原の戦い。
戦国時代のクライマックスであり、だからこそ非常に難しい。
家康以外にも、あまりに多くの人物やイベントが関わっていて、全てを描ききることなど不可能だからです。
逆に言うと、だからこそセンスが問われる。
何を選んで何を捨てるか。制作陣の全てがここに集結する!――と、思ったら冒頭の回想からして哀しくなるほど的外れ。
「王道と覇道」が出てきました。テーマのように持ち出しておいて結局何なのか回収していませんね。一体なんなのか?
本作の人物はマザーセナ教の信者であり、その教えのほうが重要なのでは?
そして慶長5年(1600年)9月14日へ。
「関ヶ原の戦いは取捨選択が大事」とは申し上げましたが、本作はあまりにもすっ飛ばしすぎたため、何の感慨もないままオープニングに入ります。
オープニングテーマも、アニメも、何も心に響かない。年が明けたら、視聴者の皆さんは本作のことなど綺麗さっぱり忘れてしまうでしょう。
視聴率ワースト2位の黒歴史ですから、作品の関係者たちが触れることもないですしね。
今となっては白兎アニメもわけがわかりません。王道と覇道もろくに説明しないまま、白兎だの狸だの、幼稚な戯言を垂れ流してきた。
受信料で垂れ流す児戯――それが今年の大河ドラマでした。
どうする「女の戦い」
かつて関ヶ原は「女の戦い」とされてきました。
実子の秀頼を擁する茶々に、寧々が嫉妬し、東軍につくよう秀吉子飼いの武将を誘導したとされてきたのです。
今はこういう女性同士の嫉妬による対立説は、否定的に扱われています。
関ヶ原の前哨戦において、秀吉の妻の一人である京極竜子の兄・高次の大津城が西軍により攻撃を受けています。このときの処理に茶々と寧々は関与していたとされます。
そういう意味では女性が政治力を発揮することがある。とはいえ、それを女のバチバチバトルにしてどうする!という見解ですね。
このドラマは、古臭い説を悪化させて扱うからたちが悪い。
茶々が実質的な西軍総大将という描き方ですよね。
彼女が下劣な調子で怒り狂いつつ、毛利輝元に「出陣しないのか!」と問い詰めていますが、こんな描き方では「福袋の中身が気に入らないと店員にケチつけるモンスタークレーマー程度」でしょう。怖くもなんともありません。
このあと寧々と阿茶は茶を飲んでいます。
このドラマの不可解なところは、まるでこの二人が大坂城近辺にいるようなところですね。
寧々と阿茶は大坂を離れているのでは?
彼女らはテレポート能力でも習得しているんですか?
説明セリフでがーっと進んでゆきますが、別に阿茶は寧々のおかげで助かってはいませんし、大坂から脱出しています。
先週「三成は女を人質にとって汚いぞ!」と家康が語っていますが、今回はこうツッコミたくなります。
「こんな堂々とうろつく阿茶を見逃すなんて、西軍は優しいなっ!」
どうするメリーゴーランド乗馬
本作の乗馬シーンはまるでオモチャの馬に乗っているかのよう。バストアップが揺れるだけでの処理をしているから、とにかく不自然です。
『パリピ孔明』では、孔明がおもちゃの馬に跨って揺られていますが、それを彷彿とさせます。
序盤から突っ込まれていたメリーゴーランド乗馬は、結局、最後まで改善されませんでした。
平服の信長と家康が、富士山の麓でチラッと本物の馬に乗馬する場面がありましたが、今にして思えばなんというアリバイでしょうか。
初回から小栗旬さんが障害飛越をこなした『鎌倉殿の13人』の翌年がこの体たらくでは、酷いと言われても仕方ないでしょう。
以下の記事にありますように、ドラマが始まった序盤から指摘されていました。
◆ 【どうする家康】CG多用&高速展開の“新しい大河”に賛否「試みは良かった」「乗馬シーンに違和感」(→link)
◆「本当にどうするの」松本潤主演の大河ドラマ『どうする家康』が低視聴率のスタート…韓国での反応は?(→link)
真っ当な方なら、何らかの具体的対策を考えるでしょう。
しかし本作の制作陣は恐ろしい神経をしている。
◆ 「どうする家康」異色の合戦ロケなし&全編VFX関ヶ原「働き方、作り方、戦国の景色を変える」狙いと裏側(→link)
記事の中ではご大層な狙いを語っていますが、2013年『八重の桜』では攻撃にさらされる鶴ヶ城の瓦一枚までVFXで描かれ、兵士もモーションキャプチャを使って描写されていました。
その10年前より確実に劣化しているではありませんか。
グダグダと理想を語るだけ語って、実際の仕上がりがどれだけ酷くても、誰にも文句は言われないから、結局、クオリティが低いままなのでしょう。
もう、心の底から、どうしようもない井伊直政
あんな風に不自然な髭があってたまるか!
あんなヒョロヒョロした体で甲冑を着られるか!
失望感を通り越し、絶望感ばかりが募る井伊直政。
腕も白く細いヒョロ政に、本物の島津が突撃したら瞬時に擦りおろしてしまうでしょう。赤鬼どころか、とにかく弱々しい。
たった一言のセリフですら腹から声が出ておらず、どうしてここまで酷いのか……と、唖然とするしかありません。
そんな脆弱な直政に、どうしてこんな言葉を言わせるのか?
「いざ出陣!」
って、むしろ士気が下がりますって……。
邪推ですが、演じる方の性根が素直なのでしょうね。
他の役者なら眉間に皺を寄せて「それはちょっと……」と抵抗しそうな間抜けなヘアメイクや演出でも、素直に従うとか。
このインタビューを読んでもウンザリします。
◆板垣李光人:いかにして“赤鬼”井伊直政となったのか 「どうする家康」美少年設定は「もうしょうがない」(→link)
これのどこが赤鬼ですか? 氷ですか?
どうしようもない二番煎じ
井伊直政役の彼については「『青天を衝け』の徳川昭武は名演だった」という擁護が入ります。
確かに和室に飾っておきたい、かわいい人形のようでした。
しかし、それだけでは?
幕末もので徳川昭武を重視している時点で、あのドラマはイケメンを並べる乙女ゲーじみたドラマだっただけではないかと思います。
幕末から明治が舞台なら、イケメンよりもっと他に描く大事なことはある。
それでもあのドラマはイケメンとラブコメと歴史修正でゴリ押しできました。
よし、あの調子で行こう! と、手抜きした結果が今年の惨敗に繋がっている気がしないでもありません。
同じパターンは『篤姫』と『江 姫たちの戦国』でもありました。
日本人は幕末史よりも戦国史の方が目が肥えているので、そこを考慮しなければ失敗します。もう二度と同じことを繰り返さないでください。
それでも『大奥』がある!
井伊の赤鬼については挽回できるチャンスが与えられました。
『大奥』シーズン2の井伊直弼が、予告の時点で素晴らしいのです。津田健次郎さんの演技に期待しかない。
ちなみに『大奥』シーズン2では、幼いころの阿部正勝が主人の竹千代と共に同じ駕籠に乗った回想シーンがありました。
幼少期から始まり、大人になってからも続く君臣の関係。
それを自然に描くには素直に子役を使ったほうがいいのに、なぜ今年の大河ではそうしなかったのか。
とてもじゃないけど子どもには見えない、いい歳こいた役者が、人形遊びをするシーンから始まる――って、バカみたいに幼稚だ。なぜ周囲の誰もつっこまなかったのか。
あれが本当に面白いと思った?
視聴者が喜ぶと思った?
考えてみれば、初手から大失敗を繰り返す、無惨な負け戦でした。
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