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『どうする家康』感想あらすじレビュー第43回「関ヶ原の戦い」

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『どうする家康』感想あらすじレビュー第43回「関ヶ原の戦い」
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結局、小早川秀秋はなんだったのか?

裏切りを促すため小早川の陣へ鉄砲を撃ち込む――そんな関ヶ原の定番描写「問鉄砲」が今回ありませんでした。

過去の放送では【味方につくかつかぬか、鉄砲で問いかける】というシーンがあり、姉川の戦いで描かれています。

「それを伏線にして関ヶ原でも描くんでしょ?」

と多くの視聴者も思っていたことでしょう。

実際、公式ガイドブックのあらすじには関ヶ原における「問鉄砲」の記述があり、担当編集者によると次のように展開しているとのこと。

陣を前に進め勝負に出た家康「決断せよ、小早川」

渡辺守綱「姉川を思い出しますな。あれ、やりますか、大筒でドカーン!と」

家康「あまり刺激するな、空に向けてカラ撃ちだ」

というように当初の脚本家は、姉川を伏線として、今度は大砲を用いて、問鉄砲を描いていたんですね。

しかし、実際の放送では完全に削られている。

これは一体どういうことか?

週刊文春では「主役のダメ出しにより台本が書き換えられる」旨のことが記されていましたが、その可能性を感じさせるもの。

あくまで妄想ながら、こんなやりとりがあったり?

「家康が小早川に撃ち込むって、無茶苦茶感じ悪くね? 信長のパクリじゃん」

「……いや……あれは、時には果断も必要ということを信長から学んだという意味でして」

「はぁ? ともかく家康がこんなことしたら好感度落ちるじゃん。カットで。俺、そーゆー気分じゃねえし」

「は、はい……」

結果、小早川秀秋は自ら裏切りのタイミングを決断することになり、ネット上ではかえって新鮮だったという意見もあり、何がなんだかわかりません。

『どうする家康』ではなく『どうもしない家康』ですよね。

いずれにせよ本作は、脚本家が緻密に作り上げた世界とは無縁、その場その場で雑に進んでいることが浮かんできます。

 


西軍ざまぁwwwと言いたいだけの処理

関ヶ原の無惨な描き方の後、ピアノをかけながら「西軍ざまぁwww」と言わんばかりの描写が辛い。

キンキン声のナレーションでざざっと説明され、しみじみと最悪でした。

しかし、もうこれ以上マヌケなドラマに関わらなくてよくなった出演者には朗報ですね。

真田昌幸は好きな武将です。佐藤浩市さんも素晴らしい。

けれども、彼の演じた本作の真田昌幸は痛々しい。これ以上、見なくて済むことにホッとしています。

 


直政重傷、そらそうよ

直政があの間抜けなヒゲのまま寝転がっているところは、こう思った方も少なくないのでは?

「そらそうよ!」

よく島津を相手に生きて戻れたなぁ……。チェストされてしまっても私は惜しみませんが。

じゃっどん、こげんちょび髭コスプレイヤーを逃したなんて、島津に対すっ侮辱じゃなかじゃろうか?

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まぁ、素敵な薩摩隼人は『大奥』シーズン2に期待するとしまして、今回はそれ以前の問題を感じます。

この直政、重傷を負った割にはハキハキとした声音かつ笑顔で「天下取ったね!」とか言っている。

重傷を負った人間とはとても思えません。アイテムを使えば回復するゲームのような描写で、まったくもってリアリティがない。

『青天を衝け』で両側から袈裟懸けにされた犠牲者が出血しないまま、歩いて何か臭いセリフを長々と読んでいたことを思い出しました。

人間は重傷を負ったらハキハキ話せません。そんなこと誰かに指摘されないと、わからないものですかね。

 

どうする「天下を取る」

直政が大きな声で「天下を取った!」と喜ぶセリフにも違和感があります。

本作は、無双系アクションゲームか何かと勘違いしていませんか。

関ヶ原の戦いは、あくまで豊臣の忠臣はどちらか?を決める戦いでしょう。

「君側の奸を討つ」とか、「君難を靖んじる」とか、「勝てば官軍」とか。

要するに内乱やクーデターであっても、名目的には主君のためだと言い張ることが往々にしてあるものです。

家康としては「秀頼公の天下をたぶらかす奸臣どもを討ち果たした」という名目がある。

それなのにこの時点で「やったー! 天下だー!」とかはしゃいだら「お前が奸臣か!」と突っ込まれるでしょ。

おそらく本作の視聴者にアンケートを取ったら、こんな結果が出ますよ。

【関ヶ原の戦いで家康は晴れて天下を取った?】

はい……94%

いいえ……6%

Xの公式アカウントでアンケートを実施したら手っ取り早いんですけどね。

この件については、見る側に読解力が無いとか、書物をろくに読んでいないから誤解してるとか、場外で何やら話題にもなっていたようですが。

井伊直政が「ステージクリアだね!」みたいなことを言ったらもう、「君側の奸を討つ」名目すらわかっていないと証明したものでしょう。

だから脚本家先生には何度でも問いたい。

なぜ歴史が好きでもなく、勉強するそぶりすら見せないのに、大河ドラマなどという日本人にとって大事な作品に関わろうと思ったのですか?

今年の大河は、終盤になっても弛緩しきっている。

前回は地図上の本多正信表記が「本田正信」になっていて、後に修正が入っていました。

 


どうする行き違い

家康と三成が向き合って、行き違いだのなんだのいう場面は必要ですか?

三成にクローズアップしたというのはわかります。

しかし、三成が戦乱の世を求めるのに対し、平和を求める家康ってのは、あまりに主人公補正が強すぎませんか。

家康だけカッコつけて描こうとしているようで、恥ずかしくなってくる。

「修羅の道」を行く宣言はなんだったのか。修羅修羅詐欺ですか。これから大坂の陣で茶々と秀頼を攻め殺すのになあ。

大坂夏の陣図屏風』の描く戦場の無惨な姿なんて知らないんですかね。

そもそも今まで三成が「戦乱の世でなければ私は生きていけない!」という風に描いてきたでしょうか?

むしろ三成であれば、世の中を平和にしていく過程でこそ能力を発揮できそうですよね。

しかし本当の注目はそこではありません。

今週は「三成が亡くなる前に干し柿の逸話が出るかどうか?」でした。

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