2020年6月7日の第21回放送で休止となった『麒麟がくる』。
再開までの間は、過去作品の名シーンを振り返る企画が放送されましたが、僭越ながら私からも休止期間に見ておきたい作品をピックアップさせていただきます。
抽出条件は以下の二つ。
・大河ドラマ以外
・最終回放送が10年以内
世を変えるには、我らも変わらねばならない――なんてことを『麒麟がくる』の織田信長も宣言していましたように、できるだけ時代に沿った作品を選んでいきたいと思います。
過去を偲ぶのも悪くはありません。
されど、あの名作映画『風とともに去りぬ』すら、配信が停止される時代です(時代背景をふまえた解説付きでの配信再開は検討中との報道もあります)。
◆「風と共に去りぬ」配信停止 黒人男性死亡 抗議デモ受け対応か
見る側の我々もアップデートしていきながら、歴史作品を楽しんで参りましょう。
※本記事で取り上げた映像作品はすべてアマゾンプライムビデオで見ることができます
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もはやこのドラマ以前には戻れない
世界規模で社会現象となった本作。
それと比べると、残念ながら日本では「盛り上がっていない方」の部類に入ります。
ゆえに今更でありながら、ピックアップさせていただきました。
もう一つ大きな理由があります。
本作は、世界規模で歴史映像モノを変貌させてしまい、もうこれ以前には戻れない――そんな劇的な変化をもたらしました。
それを大河スタッフが見ていないわけがありません。
中世の歴史観を見せること
『ゲーム・オブ・スローンズ』の何が斬新だったのか?
それはまず、中世の世界観がいかに残虐で、不合理で、人の命を簡単に消し去るかを描き切ったことにあります。
アーサー王伝説を典型例に、中世にはうっすらと「騎士と淑女がロマンチック」なことをしていたイメージがあるわけです。
しかし、イメージはあくまでイメージ。
たとえ魔法とドラゴンがあろうが、中世騎士のいる世界に放り込まれたら、いきなり倒され動けなくなっても不思議はない――本作はそう突きつけてきます。
劇中で描かれるあまりに残酷な事件は、実は一から作り上げられたフィクションでもありません。
こんな残酷な世界観はファンタジーだ!
そう思っていると、元ネタになった事件を見つけてしまい、暗澹たる気持ちになるまで落ち込むのがお約束なのです。
暗い気持ちになるというのは人類の変化であり、進歩でもあります。
「こんな酷い殺し方が正当化される時代じゃなくてよかったな……」
そう認識することで、得られるものはあるはず。
別にこのファンは惨殺劇場を楽しみたいわけではありません。
※「作中屈指のグロテスクシーンで、人々はどんな反応をするか?」を集めた動画
存在しなかったことにされた者たちよ
この作品は「エロい『指輪物語』」という形容もされます。
実際にその通りです。
毎年恒例「大河視聴率アップのため、あの女優を脱がせるのか!?」というニュースを見かけると、いいから『ゲーム・オブ・スローンズ』でも眺めておきなさい、という気持ちにもなります。
いや、エロはどうでもよい話ですね。
もっと重要な点として、歴史において日の当たらない存在を大きく取り上げている点に特徴があります。
・身体に障害がある者:ティリオン・ライスター、ブラン・スターク等
・私生児(キリスト教圏では家督継承権がない):ジョン・スノウ、ラムジー・ボルトン
・女性支配者:デナーリス・ターガリエン、サーセイ・ラニスター、サンサ・スターク他
彼らは実在しなかったのか? 排除されたのか? 見なかったことにされてきたのか?
どうなのでしょう。
本作について「いくらなんでも女が強すぎる!」という反応もあるそうです。
しかし、製作者側が「女性だけの軍議は歴史的だった」と振り返っているのですから、意図的なものなのです。
女が強いのはファンタジーだから? 嘘なのか?
それはどうでしょう。
『麒麟がくる』では帰蝶の策がやりすぎだという意見がつきまといます。戦国時代に、女性の権限が今よりも制限されていたことは確かです。しかし、それはどういうことでしょう?
・女性に発言権がなかったから
・女性は発言したいと思っていなかったから
・女性が賢い発言をできる能力がそもそもないから
この三つでは、結果は同じでも理由はまるで違います。理由まで探れば、発言主の感覚もわかるのです。
女性が発言したいと思わない? 能力がない?
そんな理由を投稿している方は、自分自身の偏見と向き合う必要があるようです。そこまであぶりだしてこそ、今後のドラマなのです。
大河に押し寄せる波
ここで、近年大河との比較をしてみましょう。
主人公の父・昌幸は、主人公である信繁の祝言を暗殺劇の舞台にします。
『ゲーム・オブ・スローンズ』でも、婚礼で人を集めた惨殺事件が描かれます。
ヒロイン自ら、泥をかぶった小野政次を刺殺する。何もそこまでする必要はあったのか?
そう指摘されていました。
この2作品の場面は不可解ではあるのです。
2020年『麒麟がくる』:斎藤道三のお茶会、織田信長のプレゼント
斎藤道三は、娘婿である土岐頼純に毒入り茶を飲ませ、殺害する。
のちの徳川家康の父・松平広忠の生首を箱詰めにする。その他いろいろと……。
真田昌幸による暗殺は史実だとしても、よりにもよって我が子の祝言という場所でする必要はない。ちょっとは配慮ってもんがあるだろ! そう突っ込みたくはなります。
井伊直虎だって、自ら刺さずともよい。刺される瞬間、読経していても別に構わないわけです。
ましてや斎藤道三や織田信長など暗殺三昧。
どうにも、視聴者の心を逆撫でするようなことをしていると思えるんですね。
大河は、『ゲーム・オブ・スローンズ』あたりから、人の心をざわつかせることを学んだように思えます。
人間は、ショッキングな場面を見れば印象が強固に残ります。
いくら真田昌幸がおもしろかろうが、利害をつきつめればこんな手酷い暗殺をしてしまう。
井伊直虎に殺された小野政次は、悪い男でもなかった。
斎藤道三にせよ、織田信長にせよ。何かがズレてしまっている。
それを悪と言い切れるのか?
複雑なざわめきを心に訴えかけると、視聴者は考えるしかない。そういう効果を生かしたプロットや演出を感じます。
シェイクスピアと戦国時代
『麒麟がくる』の斬新性と長所はたくさんあります。
シェイクスピア俳優である吉田鋼太郎さんの起用はその一つ。のみならず、ガイドブックで彼がシェイクスピアヒロイン像との比較を語るコーナーがありました。
イギリスと日本の乱世が似ている――そう感じたのは、シェイクスピア劇を日本を舞台にして翻案した黒澤明監督はじめおられます。
偶然なのか? 必然なのか?
この『ホロウクラウン』で確かめてみませんか。
国の頂点に立ちながら、己の無力さになす術もなく滅びへの道を歩む。そんなリチャード2世と足利義輝。
若い頃はうつけ者とされ、父はじめ周囲に失望されながらも、己の力に覚醒してゆく。そんなハル王子と織田信長。
悪辣。最低最悪の梟雄。策謀を楽しんでいるようで、どこか苦しい。彼を悪だと決めつけてよいものかどうか? そんなリチャード3世と松永久秀。
国と時を超越した人間像が、新たな何かを見せてくれることでしょう。
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