麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第24回 感想あらすじ視聴率「将軍の器」

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安定感抜群の吉家が登場

さて、そうと決まれば、覚慶の奪還作戦です。

細川藤孝が人足に扮して、人夫とともに一乗院から荷物を運び出します。

警備の兵が荷を改めると止められますが、荷物は仏像でした。不審者がでたということで、警備兵はそちらに向かいます。

覚慶は、人夫に扮していたのでした。

簡単なトリックといえばそうです。でも、なかなかこれはうまいと思う。

単純で、馬鹿げているとは思うのですが、人間って割と簡単に騙せるんですよね。一見どうでもよい場所に、大事なものを隠す。そんなトリックで、人は騙されるのです。

越前では、光秀が朝倉家家老・山崎吉家に掛け合っています。

榎木孝明さんは、時代劇にいるだけで安定感が出てきます。『柳生一族の陰謀』でもよかった。

山崎吉家
山崎吉家は信玄との交渉も務めた朝倉家の勇将だった~しかし最期は信長に滅ぼされ

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光秀は大和に行くと言う。多聞山城で松永久秀に会うと言うけど、なんでなのかと吉家は問いかける。

光秀は理由をハッキリと言えません。彼自身、整理がつかず、激情に突き動かされています。

光秀は平和主義者として描写されているようで、激情の持ち主としても表現されています。怒る時は激しいし、感情が顔に出ます。

だからこその長谷川博己さんなのでしょう。

知的で優しいけれども、怒ると激しい。こうした表現を同時に出せる役者として、彼が選ばれたと。

吉家は、困惑気味に朝倉義景に報告するのですが、義景は「行かせておけ」と促します。彼は京都のことを聞いていて、泳がせる方が得策であると判断しました。

美濃を追われ、越前に流れ着き、浪人として寺子屋の師匠に甘んじている。かと思えば、京都に行き来し、将軍の覚えもめでたい。

「使える刀か、なまくらか? 明智十兵衛、おかしな男よのう」

そう言う義景は、決して愚かではないのでしょう。

ただ、これも普通の範囲内。来週の予告では、ずばり信長が光秀に仕えないかと言い切ります。

「千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず」(韓愈(かんゆ)『雑説』)

人を見抜くという意味で、信長はずば抜けたものがある。義景はそうでもないと。

くどいようですが、信長がぶっ飛んでいるだけです。義景が愚かなのではない。

 

松永を問い詰めるため多聞山城へ

光秀は馬を走らせ、多聞山城へ向かいます。

お待ちください! お待ちください!

そう止めようとする家臣を突破し、強引に松永久秀に迫る光秀。日頃の穏やかさと、この激情の対比が素晴らしいものがあります。

「来たか、やはり」

久秀は来訪を察知していました。

そのうえで、初めて会った時のことを言い出します。

子どものように鉄砲を欲しがっていた。これを見るたび、お主のことを思い出す――。

思えばあれから時代は変わりました。

鉄砲は普及し、信長が大量に使うようになっている。あのとき対立していた将軍家の家臣が、久秀を頼りにしている。

そんな時代に光秀は変わったのか、それともそうではないのか?

光秀は鉄砲ではなく、将軍を討った理由を求めています。京から追い出すだけ、義輝様は決して討たぬと誓ったのに!

ある意味、子どものまま止まったようなところのある光秀。こうもまっすぐになかなか言えませんよね。

相手の本拠地だし、えらい人です。そこに押しかけて理由を問う光秀は、純粋でまっすぐであります。道三にも「はぁ?」と言っちゃってましたね。義龍にも露骨な拒否を示すし、自分の感情を隠し通せない。

だからこそ、久秀は本音を言えてしまう。彼は責任回避はしない。

「わしの読みが甘かった。息子たちがしでかしたこととはいえ、わしも責めを負わねばならぬ。腹が立つか? わしが憎いか?」

「憎いッ!」

光秀は絞り出すように怒りを見せる。久秀は静かに、手にした鉄砲の火縄をつけます。

「撃て。これでわしを撃て。玉は込めてある。撃て」

銃口を額に当て、久秀は光秀に迫ります。

「うわあ〜!」

光秀の銃口は逸らされ、外を撃つ――実弾入りでした。

久秀は本気で命を懸けていた。2年前の雑な大河で、わけわからんロシアンルーレットを見た記憶がありますが、それとは違うんです。

 

幕府あっての我ら?

光秀は気が抜けたように座り込んでしまう。優しいようで、実はしばしば危うさを見せてきます。

なんとかここは逸らしたけれど、実弾入りの銃をここまでギリギリにならねば逸らせないほど、激情の持ち主ではある。本能寺へ向かう心境は、散りばめられているのです。

そんな光秀に、久秀は淡々と語ります。

「十兵衛、このまま将軍がいなくなれば、幕府は滅ぶぞ。幕府あってこその我らなのだ。近頃そう思うのだ」

光秀はここで、松永様のお言葉とは思えないと返します。

美濃の道三様同様、身一つで旗をあげて、将軍畏れるに足らずと階を駆け上がったのではないか。それが幕府あっての我ら? そう問いかけます。

光秀はつくづく容赦というものがない。

鉄砲以来お世話になっているし、慰めてもよさそうなもの。秀吉だったら、それができそうな気もしますが。

久秀は、自分でも半分はそうだと認めます。

この十年、京都で政治を行い、大和を預けられ、身に染みていることがある。幕府というものの威光が、人を、武士を動かすのだと。

あとの半分は迷うておる。まことにそうなのかどうか――。

「答えが出ん……」

また今週も、業の深さに突っ込む。それが今年の大河の恐ろしさだ。

わかりやすいので何度でも例えますが、これもワインとラベルの関係です。

瓶の中身は所詮ぶどうの酒。どうでもいい、味なんか大して変わらない。でも……実際にソムリエがなんか言うと、高くなっちゃうんだよな。そういうワインを飲むと、気分はよくなる。

こんなラベルのせいでそこまで左右されるなんて、カラクリがわかればむしろ不愉快なのだけれども、利用しちゃえという気持ちも当然沸いてはくる。

松永久秀も、信長ほど吹っ飛んでいない。

義輝を前に官位のことを持ち出されて、むしろしらけた顔を出してしまった、そんな信長にはそうそうなれないのです。

下克上だ、革命だ! そうは言っても、簡単な話じゃないんですね。

 

覚慶の見極めは光秀に任せた by義景

そして久秀は、一乗院覚慶の名に聞き覚えがあるか、と光秀に問い掛けてきます。

義輝の弟君だと光秀が答えると、甲賀・和田惟政の館にいると久秀は言います。

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武家育ちでもなく、ゆくゆくは徳の高いお坊様になられる方だけれども。世俗に戻れば、次の将軍に最も近い方だと……。

久秀の言葉に、チラッと何かが滲んでいます。

徳の高い坊様だからって、よい将軍になれるかな? そういう疑いが、また出てきた。

これもスッキリする話といえば、そうです。

大河の善悪の描き方も、駄作は本当に酷いものでした。大麻ドラマ『草燃ゆ』では松下村塾生がおにぎりを食べたり。西郷どんが子どもと戯れるアピールをしたり。

はっきり言って実務能力と無関係、しょうもない人柄アピールをするものがあったものです。

しかし、本作はそんなユルさはない。

性格が極悪非道、やたらとピーキー、いわば乱世の奸雄でも仕事ができればいい。性格がよかろうが、乱世では埋もれるだけなら、それまでのこと。

そういうキッパリした人物評が出てきました。

そのうえで、朝倉様からも書状が届いているとか。

甲賀の和田の館に向かうよう、光秀に勧めろというのです。覚慶を引き受けてもよいと、朝倉は思っているとか。この狡猾な日和見が滅びのもとになると、伏線が貼ってある気がします。

行くかどうかは光秀次第。そうボールを投げつつ、覚慶がどのような方か知りたいだろうと誘いをかける。

そのうえで、路銀は朝倉が出すとも保証。まあ、当たり前じゃ。そう添えます。そうそう、光秀はお金を気にするからさ。

そして、こうも持ちかけます。

「なあ十兵衛。このまま越前で、世が変わるのを座して待つつもりか? 今、武士の世は大きな曲がり角に来ておる。それをどう拓いていくのか? おぬしもわしも正念場じゃ」

この光秀への問いかけは、深いものがあります。義輝は、光秀に妻子と共に静かに生きるべきだと投げかけていた。それとは真逆の事を投げかけている。

このあと、光秀は覚慶の器も確かめるけれど。久秀の器も、信長の家臣としてはかることになります。

魔法の鏡のような光秀は、時に極めて残酷になる。

本能寺に向かう彼の姿だけではない。その前に、信長の家臣・光秀として、彼は敵を倒す刃や玉の側に回ります。

本当に人を殺せないかどうか?

それは必ずしも善性に依るわけでもない。流血こそが最善の道だと割り切ったら、突き進む人だっている。

光秀はまっすぐ飛ぶからこそ、そこが恐ろしいと見えてきます。

光秀は、甲賀へ馬を走らせるのでした。
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