麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第24回 感想あらすじ視聴率「将軍の器」

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駒の丸薬が売れに売れて

さて、京では。

東庵が丸薬を数えています。

伊呂波太夫がそこへやって来ます。

700袋限定が、販路拡大の方向へ進み始めてしまったようで。東庵の怪我が治るまでのとりあえずの収入手段のはずが、売れて売れてしょうがない、メインになってしまった模様です。

伊呂波太夫はホクホク顔で、駒に相談があると奥へ向かいます。

駒には助手として、茶の振り売り父娘もいる。センブリを干して、駒に渡しています。

なるほど、センブリね。安く手に入るし、胃によいし、納得のいく材料です。

駒は「また注文ですか!」と大忙し。

次の晦日までに満福寺に200袋、亀岡八幡宮に200袋だそうで、調合するのは私一人だと駒はぼやきます。米も味噌も買ったのに、もう十分だと困り果てています。

「はあ? 何言ってるのよ。世の中の貧しい人、病に苦しんでいる人を助けたいって言ったの、駒ちゃんじゃないの。どんどん作って助けてやりなさいよ。これはね、駒ちゃん、ひょっとすると、あんたが思っているよりずっと大きな、大変な仕事になるよ、きっと。やっぱり人を増やそうよ、ね、そうしよ!」

伊呂波太夫よ……おそろしい性格してるな。

キッチリと言質を取った。駒はお人好しだから「人助けをしたいの?」と言われれば「はい」と答えるしかない。論点をずらしていますが、こういう方向へ持ち込めます。

「駒ちゃんは人助けをしたい。そんな駒ちゃんの願いを叶えるために、丸薬を売ろうと私、伊呂波太夫が提案しました」

これだと、実際に売って儲けたいプロデュースした側、仕切っている存在は伊呂波太夫なのに、駒が望んでいるように思えますよね。

実際はこうなのに。

「私、駒としては人助けをしたいのです。けれど、人助けのために金を儲けることは違うと思う。とはいえ、恩人である伊呂波太夫、それに東庵先生の頼みは断れませんし……」

 


東庵邸へ関白もやってきた

そのころ、近所にお忍びで近衛前久がやって来ています。

近衛前久
信長や謙信と親交の深かった戦国貴族・近衛前久~本能寺後に詠んだ南無阿弥陀仏とは

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彼も三好一派の工作で、難しい立場だそうです。

「このあたりと聞いていたが……」

そう探している前久。気品はあれど、警護の武士が脅しをかけていて傀儡であるとわかります。

それにしてもNHKは、『柳生一族の陰謀』の強い麻呂こと烏丸文磨といい、お公家様の描き方に磨きをかけて来ました。

2010年代のベスト麻呂は、悪左府こと藤原頼長・山本耕史さんだと思えます。

あれよりも人間臭く、生々しく、キャラクター性もある。そういう麻呂像の模索を感じます。

やはり、時代ごとに麻呂も更新していかないと。

そういう麻呂を描くうえで、本郷奏多さんは「どうだ、これぞ2020年代ニュー麻呂だ!」と自信を持って出して来た感はある。

あと本郷さんは、出身地である仙台の人物も向いていると思います。といっても、伊達政宗ではなく、幕末あたりの方ですね。

その前久は、東庵の家に入って来ます。

「頼もう! こちらに伊呂波太夫はおるか?」

「ん、どなたかな」

東庵に問われ、前久はこう返すしかない。

「私はあの、宮中から参ったもので……」

タジタジとして、伊呂波太夫に見つけられるまで、どこか頼りないところを出しています。

これが本郷さんの多彩な演技。ふてぶてしい時はとびきり生意気。で、弱った時は、まるで仔犬のよう。

伊呂波太夫がこんな所までどうして来たのか驚いていると、駒は挨拶をします。東庵は置いてけぼりだ。さっさと密談体制に入る伊呂波太夫と前久、前久を知っている駒にイライラしています。

駒に問いただすと、なんと関白だと言われるわ。太夫とは小さい頃から姉弟のようだと明かされるわ。東庵は困るしかないと。

 


次の将軍を決める宣下は、巡り巡って

前久は、三好一族がとんでもない奴だと伊呂波太夫にぶちまけます。

「太夫、どう思いますか?」

姉の前で、すっかり弟になっちゃったな。尾野真千子さんがドーンとでかい風格があるから、ぴったりとはまります。

伊呂波太夫は、見れば見るほど、尾野真千子さん以外にできる人はいるのかとひきつけられます。横顔、ちょっと傾けた顔の輪郭がなんともいえない。人をひきつけてる魔の淵といったところ。

こういう相手だから、前久が姉に頼る情けない奴とも言い切れない。蛇や狐にたとえたくなるような、あふれんばかりの妖気が伊呂波太夫にはある。

次の将軍を決める宣下は、帝によるもの。

その宣下は、政所の意向を反映する。

政所の意見を決めるのは、関白だ。

「前様はどう思うの?」

伊呂波太夫は問いかけて来ます。前久は、覚慶でなければおかしいと思っている。

「じゃあそう言えば?」

前久はそう言ったのです。でも、それではダメだと反対された。義栄、だから「諾(うん)」と言えと。断ったら斬る。

おっと、これは不都合な史実だ! 意見の決定には、反対意見もないと危険なのです。

「諫言耳に逆らう」(『孔子家語』)

アンチの意見は読んでいてムカつくよね! そういうこった。でも、貶す意見も時には必要なんですよ。

クソレビュアーは散々罵倒されているけど、推しの動きにペンライト振るばかりじゃ、大河がダメになるばかりだと思うから敢えてキツい球を投げる。嫌われるのも、織り込み済みです。

にしても、もう幕府は腐り切ってますな。

地球儀をぐるっと回すと、折しもヨーロッパは宗教改革です。国王と教皇の権力があればこそ、バランスが保たれていた部分はある。それをこのころ、教会権威にかまわず君主が決定できるよう、パワーバランスが変わっていきました。

近衛前久は、政治に目を光らせる異色の関白と紹介されてはおりますが、さてどうでしょう。

 

誰が将軍だろうと痛くも痒くもない

伊呂波太夫は、迷っているという彼の心を低い方へと導きます。

「いいんじゃないですか。三好のお侍方が四国の方(義栄)を将軍にしたいというのなら、そうしてさしあげれば?」

このあとの理由の説明がすごい。

「四国のお方だろうが、もう一人のお方だろうが、私たちは痛くも痒くもない。前様も本心はそんなところでしょう?」

妖婦の極みですな。姉と弟のようなものだから、そういう関係にはならない。けれども、堕落へ導くという点において、伊呂波太夫はそういう存在になった。

しかも、これは駒にも使った手ですが、「あなたも本心はそうだ」と誘導しているのですね。

人の心は、案外弱い。

今日はラーメンを絶対食べると決めて、どの店で食べるかスマホのナビに入れて、割引チケットまで用意したのに……カレー屋のかぐわしい香りに釣られて、そちらへ向かってしまう。そういうことって、ありませんか?

頭ごなしにそうしろと言われたら、人間抵抗できるけれど、うまい具合に誘導すれば、本心からそちらへ向かったと思ってしまう。

水を流すためには、流れる水路を低い方向へ掘り進めばよい。そういう技術を伊呂波太夫は即座に使えます。これをお手玉ポンポンしながら演じる尾野さん……。

「次の神輿に誰を担ぐか。命がけでこだわっているのは武士だけ。そのことで関白が命を落とすなんて馬鹿馬鹿しい。そう言っているのですよ」

「しかし太夫、私が四国の方を押せば、戦になるかもしれません」

「したけりゃすればいいのです。戦って、とことん戦って、どっちも滅んでしまえばいい。武士がいなくなれば、戦はこの世から消えてなくなる。結構なことじゃありませんか。私が言いたいのはね、前様も私も、武士じゃないってこと。それだけのこと」

「……わかりました。太夫が仰りたいことは」

前久はそう言ってしまう。伊呂波太夫はここまで導きました。

この場面で厄介なところは、伊呂波太夫は何も説き伏せたわけではないということです。

前久の中にある、責任回避感情を引き出したこと。感情の尻尾を見切って引き摺り出す。そういうことができる。

三英傑では、秀吉もこの達人であることでしょう。光秀には通じにくいのでしょうが。

妖婦というと、積極的に堕落を促すように思えます。

妲己が典型例で、唆して人を殺し虐待するように思える。

そうではなくて、隣にいる誰かの心にある残虐性や責任回避を引き出すのではないか? そう思える伊呂波太夫です。本音を映し出す光秀とは違う意味での鏡。よくもこんな像を出して来たと思えます。

演じる尾野真千子さん。そしてハセヒロさんは、池端氏の『夏目漱石の妻』で主役夫妻を演じていたのですね。

そこで力量を見抜かれての抜擢だということは、よくわかりましたが……なんだこの大河ドラマ? どういう深慮遠謀ですか? これがあなたにふさわしい役だと台本を渡されて、演じる側はどう反応しろというのか?

おそろしい世界です。
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