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【麒麟がくる第24回感想あらすじ】
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頼りない覚慶に不信感を抱く光秀
目を離した隙に覚慶がいなくなったそうです。日が落ちる前に探せと命じていますが、履き物すら置いて行ったとか。なんだか猫のような扱いをされております。
そこへ光秀がやって来ました。
出迎える藤孝からは、ピュアな笑顔が消えつつある気がします。
実際、藤孝の真っ直ぐな心は疑わしくなって来た。
将軍を神輿として扱っていることは明かされつつあります。兄の三淵藤英ともども気まずそうではあります。
そしてこの兄弟は、出てくるたびに幕府権威が落ちていることを見せつけているようでもある。
覚慶が戻って来ました。
傷ついた足に履き物を履かせてもらっている。大和へ戻ろうとした突発的な脱走のようです。その覚慶に、亡き義輝が目をかけていた者として光秀が紹介されました。
義輝の無念を気遣う光秀。覚慶は本音を語ります。
三淵たちは命をかけて次の将軍にしようとしているが、この大任がわしにつとまると思うか? 私は兄とは違う。そう言い切ってしまう。義輝は己の器を気にかけつつ、やるしかないという気持ちはあった。それすらないわけだ。
ハセヒロさんはやはりすごい。これを聞いているところで、アップになって、無言で、目の動きだけで不信感を見せつける。
何をどうすればこんな目の動かし方をできるのか?
毎週書いているけど、役者って、すごいものです。こういう演技をカメラで撮影する方が羨ましいです。
ハセヒロさんのみならず、こんな将軍を持ち上げる羽目になっている、谷原章介さんと眞島秀和さんもお見事です。で、そういう波を起こす滝藤賢一さんも凄まじい。
血だけでは成り立たないと悟っている
覚慶はこう続けます。
「死にとうない。その一心で大和を出て参った。しかし今は、今の私は、それだけで到底ことたるのだと、ようやくわかりかけてきた。だが私は戦が好きではない。死ぬのが怖い。人を殺すなど思うだけでも恐ろしい」
兄とは違うと嘆く覚慶。
ここで、あの人物の影も見えてくるようではある。必要ならば首を箱に詰め、弟にも毒を飲ませる、信長です。出てこなくとも毎回、信長のことばかり考えてしまう。
そういう将軍としての責任回避ばかりする覚慶を、藤孝は励まします。
お体には、まごうことなき足利の血が流れている。我ら武士の誇り。その矜恃をお持ちになり、御旗を掲げよと。
藤英は、還俗することが決まっていると言います。支度が整えば、すぐにでも。
その様子を光秀は見ている。じっと、見ている。やはり、その目には不信感が宿っています。
その夜――藤英と藤孝兄弟は、こういう態度です。
十兵衛殿がどう思われたか、おおよその察しはつく。そのうえで、藤英はこう切り出します。実のところ、覚英様については迷いがあると。
藤孝は困惑しつつ、その話はとっくに答えが出ていると言い出します。
支える我らがしっかりしていれば、天下は動く、決めたから後には戻れないと。
このあたり、実に人類の進歩過程を感じると言いますか。イギリスがいろいろあって、君主がバカでもどうにでもなる立憲君主制を確立させる時期とそこまで遠くないのです。
もっと昔であれば、王の血を引く君主はともかく神聖で、疑うことすらなかったけれど。
人類は学びました。血が尊くとも、バカはバカだと。
このドラマはいい。戦国時代の人間は私たちとまったく別物のようで、繋がっていると感じられるから。
幕府に恩義があろうと、彼らは血だけでは成り立たないと悟っています。
上杉、武田、朝倉……諸大名の後押しがなければならない。だからこそ、この兄弟は、越前に帰ったらくれぐれも朝倉様によしなに……そう念押しするのです。機が熟せば、ともに上洛をしたいと。
この念押しを、覚えておきましょう。
覚慶、将軍の器に非ず……
光秀は、越前一乗谷へ戻ります。
義景はねぎらい、松永殿はご息災であったかと切り出します。
そして覚慶の話題にうつり、六角の支配下のもとで動いていると語られますが……。
酷いですよね。覚慶はまるっきり駒扱い。山崎吉家も見守っています。
松永殿が息災であったか聞かれ、光秀は義景様にくれぐれもよろしく、と返します。そうして義景の意図を知りつつ、六角家の意向を確認しつつ、覚慶の器について聞かれた光秀は?
正直に申し上げてよいかと確認して、自分が見聞きした限りと断りつつ、こう返します。
「次なる将軍の大任、あのお方はいかがかと存じます……私ごときが誠に僭越なれど、今はそうとしか、申し上げられませぬ」
義景、困ります。
「そうか、しかしなぁ……」
視聴者も驚いたかも。
だって、光秀はいい人じゃなかったですか? 親しい藤英と藤孝兄弟から「よしなに!」と念押しされて、これですよ。
光秀は真っ直ぐだ。真っ直ぐすぎて、自分に嘘をつけない。見たまま、自我を曲げないで、思ったままに答えてしまう。
純粋といえばそうだけど……光秀も、信長も、純粋すぎて振り切り過ぎた人間は、どれほど酷いか。本作は突き詰めたいようです。
そのころ藤孝は、三好に先を越されたと兄・藤英に告げています。
京の代理では、関白・近衛前久が帝に奏上していました。次なる将軍は、足利義栄がふさわしいと。
この場面も素晴らしいものがある。前久が伊呂波太夫の意をうけたまま奏上することも、もちろん大事ですが。
坂東玉三郎さん演じる正親町天皇。「美しき帝」と紹介されるこの帝ですが……御簾の奥にいて、顔すらはっきり見えないのです。
それでも美しいと、所作だけでわかる。御簾を経た体の動かし方だけで、どれほど美しいか、わかる。
天皇は歌舞伎役者が演じることが定番の大河。その伝統に従い、坂東玉三郎丈が出て来たわけです。
圧巻の美ですね。今、和装を身につけた所作で、最も美しい動きができる方となれば、まさしく彼でしょう。
本作のおそろしいところはきりがないけれども、男性の美しさから逃げないこともあると思えます。
女性はその賢さ、強さを余すところなく伝える一方、男性はその美しさや儚さを描くことに気を抜かない。
高度なジェンダーの飛び越え方を感じます。
女は自分の賢さや強さを隠さなくていい。
男だって、自分の美しさや儚さ、繊細さを隠さなくていい。
人間という生き物が持つ魅力と可能性を突き詰め、本作はまた今週も、独特の突き抜け方をしてゆくのでした。
MVP:伊呂波太夫と近衛前久
彼女について語る前に、ちょっと脱線しますが……。
『皇帝マキシミリアンの処刑』って絵をご存知ですか?
この絵では、皇帝を射殺するために銃を持つ兵士が大勢いるのです。
殺すだけなら、別にこんなに大勢は必要ない。
ただ、これは心理的な措置です。複数名いれば「俺が撃った玉でなく、別の誰かが撃った玉だ」と思えるから、ちょっと楽になる。
光秀と久秀の対峙でもよいですし、信長が松平広忠を暗殺したところでも、道三が娘婿・土岐頼純に毒茶を飲ませたところでも、思い出していただければおもしろいと思いますが。
残酷だのなんだの言われようと、彼らは我が手で殺すという責任感から逃げていません。
『ゲーム・オブ・スローンズ』のスターク家の方針もそう。
一方で、伊呂波太夫と近衛前久の場面は逃避の象徴そのものに思えました。
伊呂波太夫は、誰かを殺せとけしかけてはいない。
ただ、自分たちには関係ないことだからどうでもいい。
そう責任放棄へ誘導する。軽い口調で言う。聡明で野心を持つとされる前久ですら、それに従ってしまったとわかる。
前久に強固な意思があれば、わざわざ危険を冒してまで伊呂波太夫にはすがりつきませんね。
「あの女がああ言ったから……」と、逃避を用意しているように見えるし、卑劣でリアリティのある話なのです。
しょうがない。
自分のせいじゃない。
決めた奴は他にいる。
悪いのは、私じゃなくてあいつらじゃん。
こうやって現実逃避を続けていくことが、どれほど愚かで残酷で狡猾で卑劣か。伊呂波太夫はサラリと示しました。
戦でどれだけ死のうがいいし、武士が滅びればそれでいい。無責任で残酷極まりない伊呂波太夫は、敢えていろいろな論点をすっ飛ばしているとは思えます。
自分だって武士が上客なのに。
戦に自分が巻き込まれないなんて、言い切れないのに。
伊呂波太夫がそこをわかっていないとは思わない。でも、人の心は水。低い方に流れます。
現実や苦難を無視して「楽しければいいじゃない」と堕落を促す。
別の大河ドラマか何かで、主人公が盛んに「楽しければいい」と連呼していました。
それが斬新だと褒める評もたくさん見かけました。
でもそれって、斬新でも何でもない。
子どもが「ブロッコリーよりチョコレートがいいんだもん!」とジタバタするのと大差がない。大人は本来、恥ずかしいと思うべきではありませんか?
作品というのは、結局のところ、作り手や時代の反映です。
バブル期に青年時代を送った年代は「難しいことなんか考えない方がいい。うまいもの食べて、ねるとんでもしていればいいじゃん」と浮かれる青春を送ってきた。
そういうことを刷り込まれた層には「楽しければいいじゃん」と大っぴらに主張するのは、トレンディでリゾラバでバッチグーでナウなのでしょう。
そういうバブリークリエイターの脳天ごとかち割ってくる怒りを本作からは感じる。
伊呂波太夫を露悪的にして、意地悪くそれを見せつけることで、高度な証明をしてきましたね。
ここでの伊呂波太夫と似た思考回路と戦術の持ち主は、三英傑では秀吉であるとみた。
で、ここからが傑作極まりない話なんですけど……そういう声が聞こえない層がいるんですよ。
こういう感想を書いている方だ。
「駒と東庵の場面は、飛ばすといいって大河ファンの集まる掲示板に書いてあったので、そうするようにしました^^ とても快適です」
このありきたりな感想に、危険な予兆があると感じるのです。
少々分析させていただきますと……。
◆駒と東庵の場面は、飛ばすといいって
→飛ばすといい理由が不明瞭です。「あの場面には重要な伏線がない」のであれば、これは過ちである可能性はあります。そういう場面に伏線をしこめば、簡単に騙せます。戦国大名だって、駒や東庵のような人物を使い、散々諜報をしかけましたよね。それと同じ構図を利用できるのです。
→書き込んでいる人には、東洋医学の知識がない。あれば飛ばせないと気づきそうなものです。
◆大河ファンの集まる掲示板に書いてあったので、そうするようにしました^^
→そんな掲示板に集まる人が、何者なのかはわかりません。偽装はいくらでもできますし、混乱させる悪意ある情報を流すこともできる。しかし、この書き手はそんな可能性には思い至らないようです。
◆とても快適です
→結局、雰囲気に迎合することで快適になっている。どうしてそうしたのか、自分の意思なのか、流されているだけではないのか?
ほんとうに自分の頭を振り絞って得た感想なのか?
ハッシュタグで刷り込まれたのか?
ブロガーなり、ニュースなり、掲示板を見て至った意見なのか?
クソレビュアーだって妄想しますよ。
このレビューを読めば大河が十倍楽しめると言い切りたいとか。ドヤ顔で腕組んで写真に映り「あのドラマ通が斬る!」って見出しつけるとか。note時代です。そんなもん、画像ささっとこさりゃいいんですよ。お約束、和服腕組み画像だよ!
ただ、私はそういうことができない。
人の意見を左右したくない。
左右された人の言動まで、責任を負えない。そういう煽動はしたくない。
だから、クソレビュアーと罵倒されても嬉しい感情すら湧いてくる。
それはある意味、とても自由なことなのです。フィクションの剣豪に例えるならば、仕官しないで暴れている柳生十兵衛みたいなもんですね。そういうのがある意味いい。
自分の頭で考えないと、危ない。
誰かに影響を与えることだって、あんまり考えたくない。
自分たちで考えていかないと、とてもおそろしいことになると思います。
そのおそろしさに気づかず、伊呂波太夫の場面はどうでもいいとすっ飛ばした結果、本作の根幹を見落とす。
本作はまったくもって興味深い。
ドラマそのものもおもしろいけれども、人間心理はこうもたやすく操れるのかと、毎週感想までサラリと流しみて、噛み締めております。
総評
大河ドラマよ、そなたには力がある!
そんなニュースから。
◆綾瀬はるか、7年連続『会津まつり』に登場 先人感謝祭に初参加(→link)
綾瀬さんは、大河の前と後ではキャリアや役への取り組みに違いが明確にあるんでしょうね。『獅子の時代』の菅原文太さんを思い出させるものがあります。
この作品にも、明らかにおそろしいような力がある。
本作は、義輝が死の直前でも『詩経』を読むようなところがあり、それで思い至ったのが「鼓腹撃壌」(『十八史略』)に至れない不幸です。
君主がお忍びで民を視察したら、老人が腹を叩き、地面を打ってリズムをとっている。
天下泰平、誰が主君かもわからん!
そう言っていたと。
麒麟がくる世の中って、何でしょう?
誰が国のトップでも、鼓腹撃壌して「政治? 関係ねえし」と言える状態ではないか。そう思えるのです。
「国のトップはあの人じゃなきゃ!」
そう器を問う時点で、泰平から外れてしまっているのかもしれません。義昭の器量を疑う光秀たちを見ていて、そう思ってしまいました。
ほんとうに嫌なドラマといえば、そうかもしれません。麒麟がくる? とは思えないし、そのきっかけをつかませてくれそうな三英傑だって、なんだか怖いし。
でも、そんな苦しみを噛みしめさせてくれるからこそ、本作は今の時代にあっていて、特別だとは思えるのです。
頬をぶっ叩くような力も感じます。
タイトルの『麒麟がくる』からして、ぼーっと待っていてはいけないという問題提起を感じさせる。周回遅れ気味だった日本のドラマを、世界基準2020年代にいきなり乗っけてくる。そういうおそろしい作品です。
そういう作品を、池端氏の名前を出して展開することは素晴らしいけれども。今週のように、河本瑞貴氏の名前が並ぶことも素晴らしい。
次世代につなげる。
絶対に、大河は終わらせない!
そういう気合いを感じます。
本レビューは日記ではない。広く人に読まれる以上、断定することは罪があり、はっきり言って、怖いです。
それでも勇気を出して言いますけど……。
このドラマは、傑作です!
作り手の気合が違う。この作品を受ければいいとか、それだけでなく、十年後を見据えているわかる。特別な作品。そのことはわかった!
だから次回からも、目が離せない。それは言い切れます。
自分は自由と言い切りましたが、そうでもない。noteも励まねば! というわけで、大河記事でも案内しておきます。何とぞよろしくお願いします。
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◆【麒麟がくる】と東洋医学(→link)
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
麒麟がくる/公式サイト