こちらは4ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【麒麟がくる第30回感想あらすじ】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
義昭の拙い恋
そのころ、駒と義昭は――。
蛍のことで盛り上がっていました。
かすかな蛍の光を惜しむように、暗闇を待ち侘びるようにみる二人。駒が一座にいたころに蛍を見たことを振り返ると、義昭はこう言います。
「そなたのことを知りたい」
先日お話ししたと駒が困惑しつつも、義昭はこう来ました。
「何度聞いてもそなたの話はおもしろい」
そして今日はお手玉も用意したと言い、昔の技を見せてもらいたがるのです。接近する義昭に駒が戸惑うと、こう言いました。
「引くな。このまま昔の歌を聞かせてくれ。さすれば時が過ぎ、日が暮れて蛍が光る。そのままでよい」
義昭がまるで初恋を味わった少年のように、駒にアプローチをしています。なんて不器用なのやら。
ここで強引にどうこうするとか。欲望の赴くまま、権力者として振る舞ったら、こんな清らかな思いは砕け散ってしまう。
だからこそ丁寧に近寄るしかない。義昭のピュアさには視聴者もそりゃ釘付けですよ。
駒はここで歌います。
思えば 蛍は我が身より 出し思いのはかなさや
暗くなる室内に、駒の歌声が響きます。
駒は声が透き通っている。こういうことを踏まえての門脇麦さんなのか。彼女の美声を生かすための場面なのか。
将軍義昭の切なく甘い恋愛という、大河でありそうでなかった何かが展開されています。毎回毎回、すごい球を投げてくるドラマだ……。
帝に拝謁
永禄13年(1570年)2月――。
上洛した信長は、ただちに参内し、帝に拝謁しました。
昇殿をゆるされる身分ではなかったものの、特別に許可されたのです。
かくして拝謁の場面。帝は御簾越しに袴が見えるくらいであり、あとは帝の目線となって御簾の向こうを見るようになっています。
顔すらハッキリ映らないというのに、光が衣を通して差すようではある。
演出も凝っています。
音が止まり、御簾越しの帝の顔がぼんやりと見える。そして空が映されます。
光秀は信長の拝謁が終わるところを待っていますした。
すると信長がどすどすと足音も荒く戻ってきます。ここが染谷さん、一体どういう演技なのかと言いたくなります。
すごいんだ。信長は真面目にやると決めていると所作がきっちりとしている。折目正しい。
けれども崩れると雑になる。拝謁が終わったあとで、ちょっと雑になってきています。
光秀はおずおずと尋ねます。
信長は気性が激しく、今はかなりの上機嫌。また子どものように無邪気に笑っています。わざと顔を作るというより、心の底から喜びが湧き上がって、表情にも出ているような。
信長が語り始めます。
帝は信長をよく知っていた。
今川義元との戦、美濃との戦。将軍を擁しての上洛。いずれも見事と仰せになったそうです。
戦国大名・今川義元 “海道一の弓取り”と呼ばれる名門 武士の実力とは?
続きを見る
武勇の誉を天下に示した、当代随一の武将なり――そう褒められ、信長は喜びを隠せません。光秀も安堵して喜びがうつるかのよう。
信長は光秀の前に座り、御所の修復もありがたしと言われたと告げます。
「さらにこう仰せになられた。天下静謐のため、一層励むようにと。この都、この畿内を平らかにすべし、そのための戦ならばやむなしと。勅命をいただいたのじゃ。戦の勅命を……」
そううわずってかすれた声で言う信長。感極まってちょっとおかしくなっているよう。
染谷さんはいつでもどの要素でも得点が高いので、笑顔も、かすれた声も、これまた素晴らしいのでした。
ただ……この感動がいつまで続くのか?
帝も試すようで試されていた?
本作における信長は、義輝相手にせよ、義昭相手にせよ、それに光秀にだって、値踏みをしています。
戦の仲裁を頼んだ義輝。それなのに官位を寄越すだの、そういうことしか言えない。
決定的な解決策を思いつけない義輝に、冷たい強張った顔を見せて、さっさと自国へ帰りました。
武家の棟梁として迎えた義昭。がんばって用意した関の刀すら嫌がる。失望し、軽蔑すら滲ませた。
光秀だって、初対面で鉄砲問答を乗り越えなければ、どうなっていたことか。
今回の拝謁は、帝が信長を吟味するようで、実は逆でもある。帝がお日様の次に偉いわけでもなく、力もないと信長が知ったとき――何が待ち受けているのでしょうか?
それについては、こんな興味深い記事があります。
貴重なお話です。
ただ!『麒麟がくる』に関して言えば、もう答えは見えていると私は思います。
おっしゃる通り、歴史研究にも新たな要素が増えていく。時代が降れば、そうなります。
そこをふまえての新解釈人物像が本作の特徴です。
信長なり、光秀なり……彼らの【心】がどう動くか、考えてみましょう。
序盤から、彼らの幼少期から、パターンはあります。
信長は、愛する母の信仰心を踏みつけることを気にせず、仏間で騒ぐ子どもだった。彼は権威をものともせず、気が赴くままに破壊する性格です。
帝の権威が虚だとわかれば、仏間で暴れたようなことを、京都でもするのでしょう。気がつけば周りを破壊し、おそろしいものを見るような目線に取り囲まれていると。
このドラマの信長は、そんな“哀しき覇王”なのです。
もうひとつ、世界史の流れです。グローバル・ヒストリーです。
帝というのは、祭祀を司る宗教権威ともみなせます。為政者ではなく、あくまで宗教なり民族のシンボルということ。
信長は時代の子なので、世界史的な宗教権威に疑念を持つ流れを取り入れつつある。宗教改革が起こり、キリスト教圏に大激動をもたらします。
イングランドのヘンリー8世は、国王が宗教の頂点にも立つように改革を進めてゆきます。
信長も出会うカトリックの宣教師たちは、宗教改革によるプロテスタントに脅威を感じて、はるか日本までたどり着くわけです。
経済、宗教、権力――何もかもが動く時代生まれた信長。彼一人が時代を変えるわけではなく、変わる時代に生まれた一人の人間だからこそ、大波に飲まれてゆきます。
越前一乗谷では戦支度を
越前・一乗谷では――。
山崎吉家が主君である朝倉義景に、摂津晴門の文を持ってきています。
信長が上洛し、諸国の大名と戦支度を始めた。紛れもなく越前を攻撃するものなのです。幕府はあくまで、由緒正しき上杉や朝倉に支えて欲しい。そう語られます。
義景にとって、摂津殿は古き友。織田ごとき成り上がりに何ができるか!
そう待ち望んでいる手紙だと義景は語ります。
「幕府は望んでいる……これはわしに立てという文ぞ!」
景鏡に織田を討つようにと伝えよ、戰の備えじゃ! 義景はそう言います。
その備えは手薄だとかつて光秀は喝破していましたが、果たしてどこまで備えができるのでしょうか。
成り上がりへの反発と片付けるだけではなく、この件はさまざまな要素があるとみます。
幕府としては、幕府が重んている大名を重視しないとパワーバランスが崩れる。信長のやり方は強引で、潜在的な不満を溜められている。
さあ、どうなるのでしょうか。
※続きは【次のページへ】をclick!