麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第30回 感想あらすじ視聴率「朝倉義景を討て」

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義昭の拙い恋

そのころ、駒と義昭は――。

蛍のことで盛り上がっていました。

かすかな蛍の光を惜しむように、暗闇を待ち侘びるようにみる二人。駒が一座にいたころに蛍を見たことを振り返ると、義昭はこう言います。

「そなたのことを知りたい」

先日お話ししたと駒が困惑しつつも、義昭はこう来ました。

「何度聞いてもそなたの話はおもしろい」

そして今日はお手玉も用意したと言い、昔の技を見せてもらいたがるのです。接近する義昭に駒が戸惑うと、こう言いました。

「引くな。このまま昔の歌を聞かせてくれ。さすれば時が過ぎ、日が暮れて蛍が光る。そのままでよい」

義昭がまるで初恋を味わった少年のように、駒にアプローチをしています。なんて不器用なのやら。

ここで強引にどうこうするとか。欲望の赴くまま、権力者として振る舞ったら、こんな清らかな思いは砕け散ってしまう。

だからこそ丁寧に近寄るしかない。義昭のピュアさには視聴者もそりゃ釘付けですよ。

駒はここで歌います。

思えば 蛍は我が身より 出し思いのはかなさや

暗くなる室内に、駒の歌声が響きます。

駒は声が透き通っている。こういうことを踏まえての門脇麦さんなのか。彼女の美声を生かすための場面なのか。

将軍義昭の切なく甘い恋愛という、大河でありそうでなかった何かが展開されています。毎回毎回、すごい球を投げてくるドラマだ……。

 


帝に拝謁

永禄13年(1570年)2月――。

上洛した信長は、ただちに参内し、帝に拝謁しました。

昇殿をゆるされる身分ではなかったものの、特別に許可されたのです。

かくして拝謁の場面。帝は御簾越しに袴が見えるくらいであり、あとは帝の目線となって御簾の向こうを見るようになっています。

顔すらハッキリ映らないというのに、光が衣を通して差すようではある。

演出も凝っています。

音が止まり、御簾越しの帝の顔がぼんやりと見える。そして空が映されます。

光秀は信長の拝謁が終わるところを待っていますした。

すると信長がどすどすと足音も荒く戻ってきます。ここが染谷さん、一体どういう演技なのかと言いたくなります。

すごいんだ。信長は真面目にやると決めていると所作がきっちりとしている。折目正しい。

けれども崩れると雑になる。拝謁が終わったあとで、ちょっと雑になってきています。

光秀はおずおずと尋ねます。

信長は気性が激しく、今はかなりの上機嫌。また子どものように無邪気に笑っています。わざと顔を作るというより、心の底から喜びが湧き上がって、表情にも出ているような。

信長が語り始めます。

帝は信長をよく知っていた。

今川義元との戦、美濃との戦。将軍を擁しての上洛。いずれも見事と仰せになったそうです。

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武勇の誉を天下に示した、当代随一の武将なり――そう褒められ、信長は喜びを隠せません。光秀も安堵して喜びがうつるかのよう。

信長は光秀の前に座り、御所の修復もありがたしと言われたと告げます。

「さらにこう仰せになられた。天下静謐のため、一層励むようにと。この都、この畿内を平らかにすべし、そのための戦ならばやむなしと。勅命をいただいたのじゃ。戦の勅命を……」

そううわずってかすれた声で言う信長。感極まってちょっとおかしくなっているよう。

染谷さんはいつでもどの要素でも得点が高いので、笑顔も、かすれた声も、これまた素晴らしいのでした。

ただ……この感動がいつまで続くのか?

 


帝も試すようで試されていた?

本作における信長は、義輝相手にせよ、義昭相手にせよ、それに光秀にだって、値踏みをしています。

戦の仲裁を頼んだ義輝。それなのに官位を寄越すだの、そういうことしか言えない。

決定的な解決策を思いつけない義輝に、冷たい強張った顔を見せて、さっさと自国へ帰りました。

武家の棟梁として迎えた義昭。がんばって用意した関の刀すら嫌がる。失望し、軽蔑すら滲ませた。

光秀だって、初対面で鉄砲問答を乗り越えなければ、どうなっていたことか。

今回の拝謁は、帝が信長を吟味するようで、実は逆でもある。帝がお日様の次に偉いわけでもなく、力もないと信長が知ったとき――何が待ち受けているのでしょうか?

それについては、こんな興味深い記事があります。

織田信長と〈正親町天皇・朝廷〉は敵対していたのか、 それとも協調関係だったのか? 戦国史の謎に迫る(→link

貴重なお話です。

ただ!『麒麟がくる』に関して言えば、もう答えは見えていると私は思います。

おっしゃる通り、歴史研究にも新たな要素が増えていく。時代が降れば、そうなります。

そこをふまえての新解釈人物像が本作の特徴です。

信長なり、光秀なり……彼らの【心】がどう動くか、考えてみましょう。

序盤から、彼らの幼少期から、パターンはあります。

信長は、愛する母の信仰心を踏みつけることを気にせず、仏間で騒ぐ子どもだった。彼は権威をものともせず、気が赴くままに破壊する性格です。

帝の権威が虚だとわかれば、仏間で暴れたようなことを、京都でもするのでしょう。気がつけば周りを破壊し、おそろしいものを見るような目線に取り囲まれていると。

このドラマの信長は、そんな“哀しき覇王”なのです。

もうひとつ、世界史の流れです。グローバル・ヒストリーです。

帝というのは、祭祀を司る宗教権威ともみなせます。為政者ではなく、あくまで宗教なり民族のシンボルということ。

信長は時代の子なので、世界史的な宗教権威に疑念を持つ流れを取り入れつつある。宗教改革が起こり、キリスト教圏に大激動をもたらします。

イングランドのヘンリー8世は、国王が宗教の頂点にも立つように改革を進めてゆきます。

信長も出会うカトリックの宣教師たちは、宗教改革によるプロテスタントに脅威を感じて、はるか日本までたどり着くわけです。

経済、宗教、権力――何もかもが動く時代生まれた信長。彼一人が時代を変えるわけではなく、変わる時代に生まれた一人の人間だからこそ、大波に飲まれてゆきます。

 

越前一乗谷では戦支度を

越前・一乗谷では――。

山崎吉家が主君である朝倉義景に、摂津晴門の文を持ってきています。

信長が上洛し、諸国の大名と戦支度を始めた。紛れもなく越前を攻撃するものなのです。幕府はあくまで、由緒正しき上杉や朝倉に支えて欲しい。そう語られます。

義景にとって、摂津殿は古き友。織田ごとき成り上がりに何ができるか!

そう待ち望んでいる手紙だと義景は語ります。

「幕府は望んでいる……これはわしに立てという文ぞ!」

景鏡に織田を討つようにと伝えよ、戰の備えじゃ! 義景はそう言います。

その備えは手薄だとかつて光秀は喝破していましたが、果たしてどこまで備えができるのでしょうか。

成り上がりへの反発と片付けるだけではなく、この件はさまざまな要素があるとみます。

幕府としては、幕府が重んている大名を重視しないとパワーバランスが崩れる。信長のやり方は強引で、潜在的な不満を溜められている。

さあ、どうなるのでしょうか。

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