青天を衝け感想あらすじ

青天を衝け第35回 感想あらすじレビュー「栄一、もてなす」

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青天を衝け第35回感想あらすじレビュー
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グラントにありのままの家庭見せてみたら?

今週は残酷だと思いました。

何がって、くにのことです。

千代がキラキラとしたスポットライトを浴びる中、くには一体どこにいるのでしょう?

プロテスタント国からすれば妻妾同居なんてとんでもない話。

くにとその子は隠蔽されるわけです。

2010年代を代表するドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』の序盤は、スターク家が王家をもてなすところから始まります。

着飾った一族が王たちをもてなす中、ジョン・スノウという少年だけはひっそりと表に出ないでいる。

彼は庶子。

ゆえに一家の恥として、他の皆が盛り上がっている中、使用人のようにしているしかない。

華やかな宮廷絵巻の背後には、彼のような光が当たらない人物がいた。

そう示されて物語は動き始めます。

 

そんな歴史の裏にある部分を見せてこそ、陰影のある物語になるのではないか。

それが2010年代以降のトレンドとなりました。

先程触れました『アンという名の少女(NHKで放映中)』は、まさにこうした世界基準のドラマです。

『赤毛のアン』の原作では描かれない、黒人、ヤングケアラー、差別されるフランス系、先住民、LGBTQなど。

そうした人だって当時生きていたはずだ。そう描いているのです。

明治維新ならば、負けた会津藩、屯田兵、それにアイヌや琉球人。そういう姿を見せないでどうするんですか?

このドラマはむしろ会津藩の影を徹底的に薄くしています。

そのくせ幕臣の目線で明治維新を見たと言うのですから、開いた口が塞がらないとはこのことです。

そうそう、謝ることがあります。

くにの戦争未亡人設定が改悪としてきましたが、あれも諸説にあるようでして。ただ、それならばドラマでぼかした方がよかったのではないかとますます混乱しました。

渋沢栄一が望み、徳川慶喜の無責任さゆえに起きた戊辰戦争の悲劇。

そのせいで夫が消えた女を、妾にできてウハウハ!

それってあまりに酷い話ではありませんか。

 


これぞ鳳凰のいない国のドラマ

このドラマは時代考証をする気があるのかどうか。

明治の女がわちゃわちゃ集まって文化祭準備をしているようですが、あまりに浅すぎて絶句。

西洋ではホステス――女主人のおもてなしが必須。西洋に渡った幕臣たちはびっくりしたものです。

「女房もろ肌脱ぎ(肩が出たドレスのこと)、旦那襷掛け(サッシュのこと)だぁ!」

一方で、日本では渋沢栄一も好きだった(ということに世間ではなっている)儒教規範がある。

男女七歳にして席を同じゅうせず――。

『礼記』「内則」ですね。

渋沢栄一の後妻・兼子の言葉を引いて「儒教には性的な規範がないんですよ〜」と仰る人もいますが、『礼記』も目を通しておいたほうが良いと思います。

そもそも渋沢栄一の儒教規範などはアテにならないもので。

本当は怖い渋沢栄一 テロに傾倒し 友を見捨て 労働者に厳しく 論語解釈も怪しい

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栄一が家族でおもてなしをするのはいいでしょう。

しかし、武家の妻となると、そうは簡単ではありません。

儒教規範との葛藤があり、ホステス役など到底できないものです。

一方、明治元勲の夫人に芸者出身者が多いことのメリットとして、おもてなしホステス役を嫌がらなかったことが挙げられます。

『青天を衝け』では、そういう心理的障壁が一切描かれない。

時折思い出したかのように儒教アピールして、いざとなると「綺麗な女優がしゃべってりゃいーでしょ!」とぶん投げているようです。

ドラマではゲス言動ばかりで嫌になってくる大隈重信夫人の綾子なんて、史実では和装を好むシッカリした女性で、夫の邪魔なんてしそうにありません。

ましてや誰かの手紙を赤の他人の前で読み上げるなんて、そんな酷いことしないでしょう。

栄一のセリフも悪質でした。

「西洋では奥もなにもない」

一見すると「内側にこもってないで出てこい!」というものですが、このセリフで本作の栄一は儒教を重視していないことが明らかになり呆れました。

漢籍教養のある明治の人物は、西洋礼賛に対してもっと慎重であったはずです。

この「西洋では奥も~」発言は、一見、男女平等のようで裏があります。

東洋の伝統では皇帝が龍ならば、皇后は鳳凰。陰陽が揃ってこそ世が成立する。

そういう思考があるから、奥むきを支配する女性にはそれなりの発言権が確保されていたのです。

江戸時代にも「奥」がありました。

それを明治政府が潰した。家庭空間を女性が支配する制度を徹底的に壊したのです。

なぜ、そんなことをしたのか? 幕末の篤姫和宮が面倒だったんですかね。大奥、大名家、宮中、と女性の職場をなくしました。

文明国にするという名目で、東洋由来の発言権を奪う。それでいて西洋由来の教育や権利からは締め出す。

それが明治政府の女性政策です。

表に出てこいって引っ張りだしておいて、やらせたのは歓迎だけ。発言権はありません。

女性の権利は、むしろ明治維新によって後退したことがたくさんあります。

そういうことをかすりもしないのが本作。ジェンダー観からいくと、ここ数年の大河でもワースト候補に入ります。

女性脚本家であることがアリバイ的で、余計にたちが悪い。

明治以来の「日本の伝統」は疑うべきことが多いのです。

今一番ホットな例が夫婦別姓制度ですね。

ただ……心配することはないのかもしれない。日本は東洋的な道徳を明治以降どんどん失いました。

だから「奥」と聞いても、こういう発想になる。典型例として引用します。

◆ 『青天を衝け』妻・千代の存在の大きさ 幼い頃から大事な言葉を栄一に (2) (→link

栄一は欧米と同じく女性を仕事の場に列席させようと考える。外国から来た要人をもてなす場に一緒に出席してほしいと千代や娘の歌子(小野莉奈)、喜作の妻・よし(成海璃子)に持ちかける。それが「新しい日本の力」になると。「一等国では男と女が表と奥で分かれたりしてねえ。公の場に夫人を同伴すんのは当ったりめえなんだよ」

「奥さん」「奥方」「奥様」は皆、尊敬語である。元は「奥の間に住む」という意味から来た言葉。「奥の間」は家の奥で、ある意味、特別な場所でもあるのだろうけれど、奥から表に出て来られない意味にもとることができる。奥にいるだけではなく、女性も表に出て、つまり「表さん」になることを望んでいいはずなのだ。

「表さん」になることなんて、渋沢栄一はじめ、明治の偉い人はさして考えていなかった。

「奥」の権力を取り上げ、「表」には出さない。そんな明治の卑劣さすら、日本人は気付けなくなってしまった。嘆かわしい話です。

と、このように「奥」のことを西洋目線の誤解ありきで見て、単純な明治礼賛に陥る。

ちなみに東洋の道徳と教養が残っているのか。

華流や韓流は、時代ものでも女性の活躍を描くものが多い。

そりゃディズニーも東洋代表として、鳳凰がヒロインの頭上を飛ぶ『ムーラン』を作るわけです。

ムーランの元ネタ
ディズニー映画『ムーラン』の元ネタ 中国の女戦士「木蘭」とは?

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ファイナルオヤジファンタジーでバッチリだ

今週は、ジェンダー観最低な「ファイナルオヤジファンタジー」っぷりが凄まじいことになっていました。

昭和平成を生きたおじさま世代を慰撫する描写がみっちり。

外国人に褒められてウハウハ。

思いつきで計画したら大当たり。

誰もが俺の言うことを聞く。

女房に色々ぶん投げたけど、まあ、ハグすれば俺への愛でメロメロになるだろ。

本作の時代考証はお粗末極まりないけれど、オヤジファンタジーのツボを攻略すれば「ウケる」ことになります。

時間もねえし、めんどくさいけど、歴史通ってことにしたい。

大河を誉めていればそうなるか。

そんなニーズを満たすためにも、みんな頷き合って「今年の大河はいいよね」と言い続ければいい。楽ですね。

大手新聞だって礼賛路線です。例えばこちら。

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