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【青天を衝け第36回感想あらすじレビュー】
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お得意の『論語』でも読めばいいのに
そして明治15年春、栄一の長女・うたが穂積陳重と結婚しました。
彼は東京大学の教授に就任。
穂積陳重は、渋沢栄一の思想を考える上で重要かもしれませんが、どうせ本作では「いい娘婿」としてしか出てこないでしょう。
本作定番のめでたい場面で時間稼ぎも、私には見知らぬ誰かの結婚式に強制出席させられたような不快感しかありません。
だって、見ているだけでおいしいご馳走も酒もないしさ。
このあと、そんなめでたい婚礼の席のあとなのに、栄一は千代に対して「おかしろくねぇ」レベルのしょうもないことをグチグチ。
「若い二人が羨ましいのぉ〜!」とか「ショッカー岩崎には理想主義、メリサンドル五代には欲深いって言われてどうしたらいいのぉ」とか言っている。
もう数えで43歳にもなる、明治時代の不惑でしょ。
お得意の『論語』でも読めばいいじゃないですか。それか座禅でもしたらよろしいのでは?
もうコチラは「面壁(めんぺき・壁に向き合って座禅して反省すること)しろ!」と言いたい気持ちで窒息死しそうです。
でもお千代は、タップゲーの放置少女みたいなものですからね。スマイルで褒めてくれます。
「そのままでいいよ! それでもみんな褒めちゃうよ!」
「お千代ちゃんもぉ?」
「うん、千代、栄一さんだーいすき♪」
こんな調子よ。もう夫妻ともに『論語』のかけらもない会話ばかりです。
賢妻なら、例えばこれぐらい言って欲しい。
人の己を知らざるを憂えず、人を知らざるを憂うなり。『論語』「学而」
あなたが他の方から理解されないと憂う気持ちはわかります。しかし、ここは己とて相手を理解してないのではないかとご心配なさってもよろしいのでは?
それで栄一が反省して「確かに三菱をショッカーと決めつけるのもどうなのか」と立ち止まれば、この渋沢栄一は実は冷静沈着で恐ろしいと見えるでしょう。
バカみたいに「敵は悪い!倒すのみ!」なんてやってないで、優れた経済人ならあらゆる可能性、手立てを講じるものではないでしょうか。
ただ、本作でそういう需要はないのでしょう。タップゲー放置嫁に求められることは、肯定するセリフだけです。
それにしても、栄一は本当に冷たい男ですね。
自分のイケイケライフは思い出すのに、天狗党も平九郎も思い出さない。
若い頃だって、良いことばかりでもなかっただろうに、無反省でヘラヘラ生きていくと、賄賂のような贈り物にも平気で手を付ける不誠実な人間になってしまう。
コレラ患者とは思えない最期
このあと、渋沢一家のどうでもいい日常。
とりたてて見るべきものもなく、演技が不自然なためまたも苦行の時間です。
千代がミルクを飲んだから何なの?
開拓使事件を高速ですっ飛ばしておいて、一体何がしたい?
誰かの結婚式に強制参加させられたかと思ったら、今度は赤の他人のホームビデオ鑑賞会が始まり苦痛の修行が始まります。
あらためて栄一と千代の表情を見ると、二人とも全く老けていないんですよね。だから一家の長に見えない。
そして牛乳が祟ったのか。
千代がいきなり口元を押さえてどこかへ去ってゆきます。
コレラで倒れました。
私の知っているコレラとは症状が違います。きっとそういう世界なのでしょう。廊下でコレラと告げる医師は、明治というより昭和の医療ドラマのようで何がなにやら。
誰も近づけないはずなのに、枕元に向かう栄一。
コレラってそういう病気だったっけ?
まぁ、いいんでしょうね。
栄一が千代に「死ぬな!」と訴え、「ネットが号泣!」となることが目標ですから。
栄一は千代の手を握っているのも、愛情の深さを表現したいのでしょう。当時のコレラの致死率を考えると非常に危険です。
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このあと、悲しい昭和テイストの家族ドラマが引っ張られ、号泣タイム。
栄一はメイクがしっかりしていて血色がよい。
瀕死の千代は「生きてください。生きて必ずあなたの道を」と、栄一の胸をわざとらしく押さえています。
えぇと……これは本当はコレラ患者じゃない?
そしてスイッチオン!
「お千代〜いくな、おちよ~! いかないでくれ~!」
「お母様~お母様~!」
命が尽きた瞬間、タップしたように猛烈反応する演出はなんなんでしょう。
『麒麟がくる』では、光秀は静かにそっと愛妻の遺体を抱きしめていて、それはもう静謐で美しい場面でした。
千代は最期までタップゲーのよう。
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千代は思うままに生きて欲しいと言いますが、栄一は基本的に好き勝手に生きてきたでしょう。
大金持ちの豪農に生まれて、京都に行きたいといえば親がポンと大金を包んで、千代は文句も言わずに送り出す。
思うままに女遊びをした栄一に、苦労させられたのが千代でした。
史実でもそうだし、作中でも誰もさして文句も言わない。酷いことを散々したけど、さして反省しない。平九郎の死なんて栄一の責任は大きいのに、それすら千代は庇った。
本当に甘やかすことしかしない、放置ゲーヒロインでした。
と、思ったら最後の最後までおかしな本作品。
コレラ感染予防のため、千代はすぐに荼毘に付されたのですが、このドラマではわかりにくく、炎の向こうに栄一がいるという謎演出。
一瞬そう思ってしまいました。
総評
このご時世に、ここまで医療考証が危険な描写を流すとは思いもよらないことでした。
コレラとは下水道普及や整備と深い関係がある。千代は上下水道整備前ゆえの悲劇といえます。
コレラの主な症状は下痢と嘔吐。倒れるとすれば、その結果、発生した脱水症状によるものです。
倒れる前に、横になって診断を受けていてもよいでしょう。あまりに不自然な描写です。
といっても、本作は医療考証をしていません。
平岡円四郎は左右から袈裟がけに斬られたにも関わらず、さして出血もしないまま、滑舌良くハキハキと感動的なセリフを吐いてからガクリと亡くなっております。
『麒麟がくる』では、斬られた相手は即座に命を落としていたのですけれどもね。
「でもぉ! 千代と栄一が感動的に別れないとぉ」
そういう演出意図はわかりますよ。
しかし、接触感染の危険性のある伝染病なのに、そういうリスクを無視してよいものでしょうか?
こんなご時世ならば、むしろ最愛のひとと向き合うこともできずに別れる苦しみを描いてもよいでしょう。
朝ドラ『おかえりモネ』では、ヒロインの婚約者が医者であり、コロナ対応をしていたとわかります。
そのせいもあって、彼らは接触すらできなかったとわかる描写があったものですが、大河ではできませんか?
コレラでまで【フェイス・トゥ・フェイスシステム(顔を合わせないと盛り上がらないこと)】実装ってどういうことでしょうか。
これらは、実はプロットに入れてもよいことなのです。
ジョン・スノウというイギリスの医者は、貧困とコレラの関係性について指摘しました。
不衛生な水道がコレラの蔓延に繋がっている。
民衆の生活を向上させてこそ、コレラも減らせると訴えたのです。
しかし、どこの国の政府でも貧民対策はやりたがらず、腰が重い現実がある。
ジョン・スノウはそんな社会すら動かした偉大な医者として現在顕彰されているのです。
ドラマで「民の生活だ!」と言い募る渋沢栄一ならば、千代の悲劇を通してその認識を深めてもよいはず。
感染症と貧富の差には大きな関係があります。
確かに誰でも罹患する可能性はある。それも平等ではなく、貧困層ほどリスクが高まります。渋沢家が貧しかったら、千代一人ではなく、一家全員が罹ってもおかしくはない。
でも、そうはならないのでしょうね。そんなことだから説得力がないドラマなんですよ。
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