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その日、歴史が動いた 江戸時代

甘藷(かんしょ)先生・青木昆陽の「蕃藷考」 サツマイモはかくして徳川吉宗に奨励された

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「野菜を食べたほうが健康にいい」
とはわかっちゃいるけど、味が苦手だったり料理をする時間がなかったりして、なかなか口にできないことも多いですよね。
小さいお子さんがいるご家庭でも、野菜を食べさせるのに四苦八苦しているという話はよく聞きますし。

しかし、中にはクセがなく、栄養面にも優れた素晴らしい野菜もあります。
本日はかつて日本人の生活を支えたといっても過言ではない、とある野菜のお話です。

享保二十年(1735年)3月9日は、青木昆陽が「蕃藷(ばんしょ)考」という本を発表した日です。

蕃藷とはさつまいものこと。そして、ときの将軍は徳川吉宗です。となると、なんとなく見当がついた方も多そうですね。
教科書で江戸時代中期のことを習うとき、「吉宗が飢饉対策のため、さつまいもの栽培を奨励した」という記述がよく出てきます。

蕃薯考はそれに一役買った本なのです。ということで、本日はさつまいもの伝来をメインに見て参りましょう。

こちらは最近人気の安納芋/wikipediaより引用

【TOP画像】青木昆陽/wikipediaより引用

 

紀元前に中南米で栽培され、日本へは江戸期に到来

さて、まずはさつまいもの伝来から見ていきましょう。

「さつまいも」と称されるよりもずっと前から、この植物は栽培されていました。中米~南米あたりで紀元前8000年~1万年前から育てられていたようです。
それが15世紀になって、コロンブスにより新大陸からヨーロッパに持ち帰られます。その流れでフィリピンにも伝わったようで、そこからさらに中国へ伝わりました。

そして、中国から宮古島に伝わり、沖縄本島や種子島でも作られるようになります。とはいえ、当時は今のように空の便で繋がっているわけではありませんでしたから、それぞれの島には別々に中国から持ち込まれたようです。

宮古島では、さつまいもの神様が祀られている場所がいくつかあるそうで。
江戸時代に入って島津家久(初代薩摩藩主のほう)が琉球に兵を出した際、薩摩に持ち帰っています。その後ポルトガル人も持ち込み、薩摩での栽培が始まりました。

以来、宮崎や長崎、京都などの西日本に少しずつ広まっていき、吉宗が将軍になった頃には、西日本で救荒作物として認識されていたようです。

種子島西之表市に建つ「日本甘藷栽培初地之碑」/wikipediaより引用

 

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米が育たん!? だったら芋を作ってみんか?

吉宗は、享保の飢饉の教訓で「米ばかりには頼れない。米が育たないときでもとれるような作物を探さなければ」と痛感していました。
そこに、昆陽が「蕃薯考」を書いて「上様、西のほうではこんな芋を栽培して飢饉をしのいだそうでございます」(※イメージです)と持ってきたのです。昆陽はこの時点では半分浪人・半分学者というような感じでしたが、大岡忠相など数人の奉行たちと知り合いだったことで、幕府にツテができ、将軍に本を献上することができました。

蕃薯考を読んだ吉宗は我が意を得たりと喜び、「早速関東でも作れるように実験せよ」(※イメージ(ry)と命じます。

最初は小石川御薬園(現・東大大学院理学系研究科附属植物園)や現在の千葉県幕張付近で栽培が試みられ、昆陽は一年ほどで見事栽培を成功させました。
この功で昆陽は幕臣に召し抱えられ、正式に忠相の配下となります。大出世ですね。

昆陽はその後、幕府で古文書の調査を行ったり、オランダ語を習得したりしていました。昆陽の弟子には、杉田玄白とともに「解体新書」を表した前野良沢がいます。
昆陽を現代で置き換えるとすれば、「中途入社で見事役職を勝ち取った元フリーター」みたいな感じでしょうか。現代でもこういう就職の仕方ができればいいんですけどねえ。

享保の改革で知られる吉宗さん/wikipediaより引用

 

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「蕃薯考」を庶民向けにした「甘藷之記」という書物も刊行

その後、「蕃薯考」を庶民向けにした「甘藷之記」という書物も刊行され、昆陽は庶民の間でも「甘藷(かんしょ)先生」と親しまれていきました。甘藷もさつまいもの別名です。
さつまいもの栽培実験を行った場所の一つ、千葉県幕張には彼を祀った昆陽神社という神社もあるのだとか。「元フリーター(仮)の神様」って考えるとスゴイですね。
昆陽は千葉の方には行っていないみたいですが、彼がさつまいも栽培のきっかけになったことは間違いないですし。

飢饉対策で栽培が広まったため、「さつまいもは痩せた土地でも育ちやすく、初心者でも比較的栽培しやすい」という点が強調されますが、栄養価も優れています。
現代人に不足しがちなビタミンC・食物繊維を多く含むので、いろいろと助かる食べ物です。ビタミンCは加熱すると破壊されてしまいますが、さつまいもやじゃがいもの場合はデンプンが守ってくれるので、加熱してもビタミンCを摂ることができます。
江戸時代にさつまいもをよく食べていた人は肌が綺麗でお通じも具合もよく、風邪をひきにくかったかもしれませんね。

 

歴史も感じつつ、じっくり味も楽しめる野菜

お年寄りの中には「戦時中にまずい品種をイヤというほど食わされたから、もう見たくない」という方もいらっしゃるようです。
でも、栄養価に優れていたからこそ、戦時中のような緊急時にも推奨されたんですよね。味と栄養が両立するとも限りませんし。

まあ、保存性やたんぱく質が含まれているかどうか、調理方法の幅の広さという点まで加味すると、やはり大多数の日本人にとってはお米が一番ではあります。

さつまいもを美味しい料理にしようとすると一手間かかるように思えますが、オーブントースターでじっくり時間をかけて焼くと、いい感じに甘くてホクホクのお芋を味わえますよ。部屋の中に甘いにおいが充満するのがちょっと欠点ではありますけれども。
そろそろ焼き芋の季節も終わりですが、来シーズンにでもぜひ。

上記のようなことを色々考えてみると、さつまいもは「歴史を感じながら味わえる野菜」ともいえそうです。

長月 七紀・記
【関連記事】徳川吉宗 が将軍になるまでのミステリー……徳川家の重要人物が7名立て続けに死亡って

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参考:今日は何の日?徒然日記 サツマイモ/wikipedia 先人の歩みに思い馳せる/郷土史研究会 宮古毎日新聞 青木昆陽/wikipedia

 





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