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古今和歌集仮名序/Wikipediaより引用

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平安~室町で21回も作られた勅撰和歌集『三代集』と『八代集』を掴めば美味しい

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日本史を心から楽しめない受験生にとって、最悪なのがイメージしづらい文化関連。

絵画や工芸品なら、一度写真を見て「この辺にこんな感じのものが描いてあるやーつー」とか「こんな形のツボですな」と、記憶に焼き付けられますけれど、文字モノ(文芸関連)は、いくら字面を眺めても全然アタマにゃ入りはしない(´・ω・`)

その最たるケースが【勅撰和歌集】でしょう。

今の時代に和歌なんてどうでもええやん!!!

そう思ってしまいますが、少なくとも編纂の背景などを知っていると多少は味付けされて咀嚼しやすくなってきます。
まずはその概略から見てみましょう。

 

「三代集」「八代集」「二十一代集」

勅撰和歌集とは「天皇の勅命によって、それ以前~当時の和歌を撰(選)んで編まれた歌集」のこと。
平安時代から室町時代にかけて、21回作られました。

ちなみに、室町時代でSTOPとなってしまったのは、応仁の乱で京都が焼け野原になってしまったため、歌集の編纂をやってる場合ではなかった&古い本が多く失われてしまったからです。
ホント、戦いってロクなことありませんね。

勅撰和歌集は古い順から「三代集」「八代集」「二十一代集」と呼ばれ、特に三代集と八代集は重視されています。

八代集までは、小倉百人一首にも採られている歌があるor歌人がかぶるため、どちらかを覚えていれば応用して記憶を広げていくこともできるでしょう。
これは、小倉百人一首の選者である藤原定家が八代集の最後である「新古今和歌集」や、その次に編まれた「新勅撰和歌集」の選者だからです。定家の生きていた時代からして、それ以降の歌を選ぶことはできないですからね。

受験を意識する方も、だいたい八代集までの順番と代表的な歌人を覚えておけば大体クリアできるはずです。

暗記しにくい項目ということもあってなのか。
ここを押さえておくと苦手意識も払拭され、グッと点数が取りやすくなったりしますので、よろしければ同じ大学を受けない受験仲間サンにも教えてあげてください。

なお、古文では「万葉調」「古今調」「新古今調」が重視されますが、万葉集は勅撰和歌集には含まれないとする見方が強いため、少々注意が必要です。

なぜなら万葉集の成立がハッキリとはわからないため。
今のところ「何人かの天皇や歌人が関与したものを、大伴家持がまとめ上げた」と考えられているので、いずれまた変わるかもしれませんが……まあ、その辺を気にするとキリがないですね。

では、三代集と八代集について簡単にご紹介していきましょう。

 

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三代集

1 古今和歌集

勅命:醍醐天皇(在位897-930年)
選者:紀友則(き の とものり)、紀貫之、凡河内躬恒(おおしこうち の みつね)、壬生忠岑(みぶ の ただみね)

最初の勅撰和歌集であるという他にも、多くの特徴を持つ和歌集です。

・4割は詠み人知らず(作者不明)の歌である
・2割は選者4人の歌である
在原業平、小野小町、清原深養父(きよはら の ふかやぶ・清少納言の祖父または曽祖父)など、特に有名な歌人が多い

 

2 後撰和歌集

勅命:村上天皇(在位946-947年)
選者:大中臣能宣(おおなかとみ の よしのぶ)、清原元輔、源順(みなもと の したごう)、紀時文(き の ときぶみ/紀貫之の子)、坂上望城(さかのうえ の もちき)

「選者の歌が入っていない」という点が一番の特徴です。

古今和歌集から40年程度しか経っていなかったので、収録されている歌人も共通点が多く、少々地味というかお馴染みすぎて陰がうす……ゲフンゲフン。
しかし、ここから女流歌人の歌や、皇族や公家の日常生活でやり取りされていた「褻(け)の歌」が増えるなど、時代の移り変わりが感じられます。

ちなみに変わった名前だなぁと思われたのが“源順”でしょう。
源はともかく「したごうってwww」と、なったかもしれません。

なお、源氏は源氏でも、中心となる清和源氏ではなく、嵯峨源氏となっておりまして。

この辺の説明は先日取り扱わさせていただきましたので、よろしければ下記の記事をご参照ください。
源氏事情を知っておくと、日本史が色々と楽しくなる場面が増えてきます。

清和源氏とその他の源氏 ややこしい源氏軍団をスッキリ整理してみよう!

 

3 拾遺和歌集

勅命・選者ともに花山法皇(天皇在位984-986年)。

「拾遺」の名は「以前の勅撰集に漏れた秀歌を拾い集める」という意味です。
紀貫之を始めとした著名な歌人はもちろん、柿本人麿(かきのもと の ひとまろ)など万葉集の時代の歌人が再評価されました。

また、後撰和歌集に乗っていた歌人の別の歌が多く含まれていたり、身分の低い公家の歌がたくさん収録されているなど、「拾遺」の名にふさわしい選歌がされています。

花山法皇の個人的な好みが強くうかがえるために、長らく日の目を見ませんでしたが、鎌倉時代に藤原定家(小倉百人一首の選者)が拾遺和歌集の価値を広く伝えました。

その関係なのか、小倉百人一首には拾遺和歌集に載っている恋歌が8首採られています。
花山法皇と定家は、歌の好みが似ていたのかもしれませんね。

 

八代集(三代集+5)

4 後拾遺和歌集

勅命:白河天皇(在位1072-1076年)
選者:藤原通俊(ふじわら の みちとし)

白河天皇の時代は藤原摂関家が後退しつつあり、それに伴って宮廷文化も下火になりはじめた頃合いでした。

そんな時代に、藤原彰子の女房たちなどが形成した華やかな文学サロンを振り返るような形で作られたのがこの歌集です。
和泉式部・赤染衛門・伊勢大輔などの藤原彰子に仕えた女房たちや、その縁者、能因法師など僧侶の詠んだ歌が幅広く収録されています。

しかし、選者に任命された通俊がまだ若年だったこともあり、重鎮とされる歌人たちからは難癖をつけられ、あまり評価されませんでした。
中には、「津守国基という歌人が三首も収録されたのは、通俊に賄賂として鰺(アジ)を贈ったからだ」とまで言われ、「小鰺集」という蔑称までつけられたそうです。ひでえ。

 

5 金葉和歌集

勅命:白河上皇(天皇在位1072-1076年)
選者:源俊頼(みなもと の としより・宇多源氏)

白河天皇も後拾遺和歌集の評判を気にしていたのか、再度勅撰和歌集の編纂を計画しました。

選者は源俊頼(みなもと の としより)という人です。
ところが今度も一筋縄ではいきません。俊頼の選歌が白河天皇の目に叶わなかったのか、三度も改稿されているのです。

最初のバージョンから順に初度本(しょどぼん)、二度本(にどぼん)、三奏本(さんそうぼん)と呼ばれています。
当然、最後にできた三奏本が正式なものなのですが、これは宮中に秘蔵されてしまったため、現代に至るまで、世に出回っているのは二度本なんだとか。

三奏本の段階でも、以前の勅撰集と重複している歌が五首あったためか、同時代の歌人からは「ひじつきあるじ」=「ニセモノの勅撰集」とまで酷評されています。ひっでえ。

しかし、鎌倉時代ごろになると、
「以前の勅撰集にはなかった、題材や言葉を入れた斬新な歌が多く含まれている」
という点が評価されるようになります。

まぁ、流行と常識ってそんなもんですよね。

 

6 詞花和歌集

勅命:崇徳上皇(天皇在位1123-1141年)
選者:藤原顕輔(ふじわら の あきすけ)

収録数は415首という、勅撰和歌集の中でも最少の歌集です。
こぢんまりした印象を受けますが、これは後拾遺集時代を重視し、編纂当時の歌人は一人一首を原則として厳選したからです。

例外は崇徳上皇と顕輔ですが、まあ勅命出した人と選者ですしね。

 

7 千載和歌集

勅命:後白河院(天皇在位1155-1158年)
選者:藤原俊成(ふじわら の としなり)

俊成は勅命を受ける前から私的に和歌集の編纂をしており、それを元にしてさらに選歌を進めて千載和歌集を作ったのだそうです。息子の藤原定家も、編纂の助手を務めたとか。

一条天皇の時代(清少納言や紫式部などが活躍した時代)から、俊成たちの時代までに限定し、これまでの勅撰集に収録されていなかった歌を集めています。

最多入集歌人は「金葉和歌集」撰者でボロクソにいわれていた源俊頼でした。
また、後白河法皇の意向で、俊成の歌も俊頼の次に多く入れられています。
他、崇徳上皇など政治的敗者の歌も選ばれました。

全体的に見ると、半数が同時代の歌人の作である他、僧侶が2割を占めています。

 

8 新古今和歌集

勅命:後鳥羽院(天皇在位1183-1198年)
選者:源通具(みなもと の みちとも)、藤原有家(ふじわら の ありいえ)、藤原定家、飛鳥井雅経(あすかい まさつね)、寂蓮(じゃくれん・実際には後鳥羽院の親撰)

これまた古文で習う「三夕(さんせき)の歌」が入っている歌集です。
三夕とは秋の夕暮れを詠んだもので、意訳とともに軽くご紹介しますね。

「さびしさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮れ」(寂蓮法師)
(意訳)「秋の夕暮れ時の寂しい雰囲気は、木の葉の色を問わず持っているものなのだな」
真木=槇、つまり常緑樹のことを指すため、「紅葉する木にも緑の葉のままの木にも、秋の雰囲気が漂っている」という意味あいになります。

「心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮れ」(西行法師)
(意訳)「未熟な精神の私でも、鴫が川から旅立つような秋の夕暮れには、もののあはれを感じるよ」
西行らしい絵画的な歌……という感じですかね。

「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」(藤原定家)
(意訳)「この浦の粗末な我が家には花も紅葉もないが、秋の夕暮れは変わらずに訪れているよ」
こちらは打って変わって、歌道の名門である定家の技巧が際立ちます。

どうでもいい話ですが、寂蓮法師と定家はいとこ同士なので、西行だけある意味ぼっちです。
まあ、西行は娘を物理的に蹴落としてまで出家した人ですので、孤独には強い……でしょう。

寂蓮は新古今和歌集の編纂途中で亡くなったため、実際は他の五人が選者といえます。
数十年かけているので、当たり前といえば当たり前ですね。

新古今和歌集は、選者たちが撰んだ歌を、後鳥羽天皇自身がさらに厳選し、清書して作られたといわれています。
完成が承元四年(1210年)から建保四年の間とされているのですが、承久の乱で後鳥羽天皇が隠岐に流されてしまったため、当時は微妙な存在でした。

また、後鳥羽天皇は晩年に隠岐の島で私的に歌を更に厳選し、「こちらが正当な新古今和歌集だ」と主張していたといいます。
こちらは「隠岐本」と呼ばれて区別していますが、やはり後鳥羽天皇にとって、この和歌集は生涯をかけたかけがえのないものだったのでしょう。

「新古今調」はだいたい「技巧的かつ複雑」な歌風をさします。
これ以前の時代の名歌の本歌取りや体言止め、初句切れ・三句切れなどが多いためです。

とはいえ、定家の私撰和歌集ともいえる小倉百人一首には素朴な歌も多く含まれているので、少なくとも彼は「技巧だけが和歌の全てではない」と思っていたようですね。
逆に、「何でこんな名歌人の駄作を入れているんだ」なんて評もありますが……まあ、その辺はまた後日お話しましょう。

二十一代集(八代集+13)までは覚えなくてもいいでしょうが、八代集の次に作られた新勅撰和歌集には、後年にちょっと面白いエピソードがあるので、さわりだけご紹介しますね。

 

9 新勅撰和歌集

勅命:後堀河天皇(天皇在位1221-1232年)
選者:藤原定家

政治的な配慮で、後鳥羽院や順徳院の歌が撰定途中に除かれました。
他、公家の他に武家歌人の歌が多めになっています。鎌倉幕府へおもねるというよりは、当時の将軍である源実朝が定家の弟子だったから……という理由も大きそうです。

この新勅撰和歌集に、定家の
「来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ」
(意訳)「恋しい人を待っていると、松帆の浦で焼かれている藻塩のように、私の身も心も焦がれてしまいます」
という情熱的かつ技巧的な恋歌が入っています。
女性の立場で詠んだものですが、小倉百人一首にも入れているので、定家本人のお気に入りでもあったようです。

これの本歌取り、かつコメディチックな逸話が戦国時代にあります。

主役は「戦国のリアルチート」こと細川幽斎細川藤孝)。
その家老に、松井康之という人がいました。ご家老なので殿様から夕食に招かれたり、その逆に招いたりすることもあります。

その日は幽斎が康之を招いたのですが、予定の時刻になってもなかなか来ませんでした。最近も「無断キャンセルで飲食店が阿鼻叫喚」という話が相次ぎましたが、細川家の料理人も、この日はやきもきしていたそうです。

「せっかく良い鯛が手に入ったから、塩焼きにしてお出ししようと思っていたのに、このままでは焼きすぎてしまいます!」(※イメージです)
と(#^ω^)状態の料理人たちに、幽斎が一句。

「来ぬ人を 松井の浦の 夕飯に 焼き塩鯛の 身を焦がしつつ」

主人の機転に一同笑い、その場は和やかになったのだとか。
幽斎と細川家の面々が、教養と茶目っ気にあふれた人物だったことがよくわかる逸話ですね。

ちなみに、なぜ康之が遅れたのかは伝わっていないようです。伝えてほしくないような理由だったんですかね……。

とまあ、和歌は古くからある日本文化なだけに、知っていると話のネタに困りません。
和歌を元ネタにした落語の演目も多々あります。

最近は角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス」シリーズに万葉集や古今和歌集、新古今和歌集が出ていますので、ご興味のある方はそこから手を付けてみるのも良いかと。

長月 七紀・記




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参考:国史大辞典「勅撰和歌集」 勅撰和歌集/wikipedia

 




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