勅撰和歌集

『古今和歌集仮名序』/wikipediaより引用

文化・芸術

平安~室町で21回も選定された 勅撰和歌集は『三代集』と『八代集』に注目なり

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8 新古今和歌集

勅命:後鳥羽院(天皇在位1183-1198年)

選者:源通具(みなもと の みちとも)、藤原有家(ふじわら の ありいえ)、藤原定家、飛鳥井雅経(あすかい まさつね)、寂蓮(じゃくれん・実際には後鳥羽院の親撰)

これまた古文で習う「三夕(さんせき)の歌」が入っている歌集です。

三夕とは秋の夕暮れを詠んだもので、意訳とともに軽くご紹介しますね。

さびしさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮れ(寂蓮法師)

【意訳】秋の夕暮れ時の寂しい雰囲気は、木の葉の色を問わず持っているものなのだな

真木=槇、つまり常緑樹のことを指すため、「紅葉する木にも緑の葉のままの木にも、秋の雰囲気が漂っている」という意味あいになります。

心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮れ(西行法師

【意訳】未熟な精神の私でも、鴫が川から旅立つような秋の夕暮れには、もののあはれを感じるよ

西行らしい絵画的な歌……という感じですかね。

西行法師
平安時代の名僧・西行法師「ブッダと同日に死ぬ」と詠み一日ズレる?

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見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ(藤原定家)

【意訳】この浦の粗末な我が家には花も紅葉もないが、秋の夕暮れは変わらずに訪れているよ

こちらは打って変わって、歌道の名門である定家の技巧が際立ちます。

どうでもいい話ですが、寂蓮法師と定家はいとこ同士なので、西行だけ、ある意味ぼっちです。まあ、西行は娘を物理的に蹴落としてまで出家した人ですので、孤独には強い……でしょう。

寂蓮は新古今和歌集の編纂途中で亡くなったため、実際は他の五人が選者といえます。数十年かけているので、当たり前といえば当たり前ですね。

新古今和歌集は、選者たちが撰んだ歌を、後鳥羽天皇自身がさらに厳選し、清書して作られたといわれています。

完成が承元四年(1210年)から建保四年の間とされているのですが、承久の乱で後鳥羽天皇が隠岐に流されてしまったため、当時は微妙な存在でした。

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また、後鳥羽天皇は晩年に隠岐の島で私的に歌を更に厳選し、「こちらが正当な新古今和歌集だ」と主張していたといいます。

こちらは「隠岐本」と呼ばれて区別していますが、やはり後鳥羽天皇にとって、この和歌集は生涯をかけたかけがえのないものだったのでしょう。

「新古今調」はだいたい「技巧的かつ複雑」な歌風をさします。

これ以前の時代の名歌の本歌取りや体言止め、初句切れ・三句切れなどが多いためです。

とはいえ、定家の私撰和歌集ともいえる小倉百人一首には素朴な歌も多く含まれているので、少なくとも彼は「技巧だけが和歌の全てではない」と思っていたようですね。

逆に、「何でこんな名歌人の駄作を入れているんだ」なんて評もありますが……まあ、その辺はまた後日お話しましょう。

二十一代集(八代集+13)までは覚えなくてもいいでしょうが、八代集の次に作られた新勅撰和歌集には、後年にちょっと面白いエピソードがあるので、さわりだけご紹介しますね。

 


9 新勅撰和歌集

勅命:後堀河天皇(天皇在位1221-1232年)

選者:藤原定家

政治的な配慮で、後鳥羽院や順徳院の歌が撰定途中に除かれました。

他、公家の他に武家歌人の歌が多めになっています。鎌倉幕府へおもねるというよりは、当時の将軍である源実朝が定家の弟子だったから……という理由も大きそうです。

この新勅撰和歌集に、定家の

来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ

【意訳】恋しい人を待っていると、松帆の浦で焼かれている藻塩のように、私の身も心も焦がれてしまいます

という情熱的かつ技巧的な恋歌が入っています。

女性の立場で詠んだものですが、小倉百人一首にも入れているので、定家本人のお気に入りでもあったようです。

これの本歌取り、かつコメディチックな逸話が戦国時代にあります。

主役は「戦国のリアルチート」こと細川幽斎(細川藤孝)。

その家老に、松井康之という人がいました。ご家老なので殿様から夕食に招かれたり、その逆に招いたりすることもあります。

その日は幽斎が康之を招いたのですが、予定の時刻になってもなかなか来ませんでした。最近も「無断キャンセルで飲食店が阿鼻叫喚」という話が相次ぎましたが、細川家の料理人も、この日はやきもきしていたそうです。

「せっかく良い鯛が手に入ったから、塩焼きにしてお出ししようと思っていたのに、このままでは焼きすぎてしまいます!」(※イメージです)
と(#^ω^)状態の料理人たちに、幽斎が一句。

「来ぬ人を 松井の浦の 夕飯に 焼き塩鯛の 身を焦がしつつ」

主人の機転に一同笑い、その場は和やかになったのだとか。

幽斎と細川家の面々が、教養と茶目っ気にあふれた人物だったことがよくわかる逸話ですね。

細川藤孝
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ちなみに、なぜ康之が遅れたのかは伝わっていないようです。伝えてほしくないような理由だったんですかね……。

とまあ、和歌は古くからある日本文化なだけに、知っていると話のネタに困りません。

和歌を元ネタにした落語の演目も多々あります。

最近は角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス」シリーズに万葉集や古今和歌集、新古今和歌集が出ていますので、ご興味のある方はそこから手を付けてみるのも良いかと。

Kindle版がありますのでスマホからすぐに読めますよ(→amazon)。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
小林大輔『新古今和歌集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』(→amazon
勅撰和歌集/wikipedia

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