ミケランジェロとティツィアーノ/wikipediaより引用

世界史

ルネサンスの怪獣対決!ミケランジェロとティツィアーノは絵画で戦う

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ティツィアーノからの返答『ダナエ』

さて、このミケランジェロからの挑戦に対し、ヴェネツィア派の旗手ティツィアーノはどう反応したでしょうか?

無視した?

いいえ。芸術(絵画)を通して売られた喧嘩は、芸術(絵画)で返すのが筋。

ティツィアーノはローマで『ダナエ』を制作します(1544~6年)。それがミケランジェロに対する答えでもありました。

1544~46年頃『ダナエ』ティツィアーノ・ヴィチェリオ/wikipediaより引用

テーマは『レダと白鳥』と同じくギリシア神話のエピソード。今度はゼウスが黄金の雨に変身して、幽閉されている王女ダナエのもとを訪れます。

このダナエのポーズにご注目ください。

クッションに寄りかかり、上半身をわずかに起こし、画面上部に漂う金色の雲(に変身したゼウス)を見上げています。足は緩やかに折り曲げられ、幽閉中とはいえ、くつろいでいる様子がうかがえますね。

実はこのポーズ、先ほどの『レダと白鳥』を左右反転させたものになっているのです。

そこはすぐには気づきにくいですが、二作品の雰囲気は随分と異なりますよね。

単刀直入に言って、どちらの方が自然に見えるでしょう?

自室のベッドに横たわりながら、ヘッドホンで音楽を聴いて寝転んでいる時のことを想像してみてください。

自然な姿なのはティツィアーノの方ですよね。

やや硬く冷たい印象を受けるレダに対して、ダナエの体は自然で優しい丸みを帯び、表情も柔らかく生き生きとしています。

ミケランジェロが「横たわる裸婦」をアレンジしたように、ティツィアーノもまた、ミケランジェロの作品を学び、自分なりのアレンジを加えて、自らの作品へと昇華させたのです。

 


デッサンと色彩

『ダナエ』は評判を呼び、ミケランジェロも作品を見るべく、ティツィアーノのアトリエを訪れます。

「ぐぬぬ……」

渾身の力で投げたボールを鮮やかに打ち返され、ミケランジェロは歯噛みします。

「色彩も様式も気に入った……が、しかし!」

「はい?」

「デッサンの勉強が足りていない。実に残念だ」

まぁ、そこがミケランジェロのミケランジェロたる所以とでも言えましょうか。

「ミケランジェロの素描(デッサン)と、ティツィアーノの色彩」

同時代の批評家から、このように並び称された二人は、それぞれ譲れない信念と誇り、卓越した才能を持ち、歴史に不朽の名を刻みました。

ミケランジェロは、システィーナ礼拝堂に『天地創造』や『最後の審判』を描き、両作品は、共にルネサンスの最高傑作として今も称えられています。

『最後の審判』/wikipediaより引用

一方のティツィアーノもその色彩表現でもって、17世紀のルーベンスやベラスケスから印象派まで、多くの画家たちを魅了し、影響を与えています。

20世紀には、クリムトが『ダナエ』に感銘を受け、同じテーマの作品に取り組んでいます。

1907~8年『ダナエ』グスタフ・クリムト/wikipediaより引用

天才たちのぶつかり合いは、しばしば傑作を生みます。

それは、自分の持つ信念や技術、才能への誇りだけではなく、多かれ少なかれ相手を認める気持ちも、また作用していると言えるでしょう。

認めるからこそ、乗り越えて上にいきたい。

これまでの自分の枠を超え、殻を破るきっかけとしたい。

そのためにも、相手から学べることは学びたい!

熱い思いが、人を前進させるのは、ジャンルを問わず、今も昔も変わらないのかもしれません。


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文:verde(ヴェルデ)

【参考文献】
画家の王者、ここにあり!ティツィアーノとヴェネツィア派展 内覧会レポート(Web版美術手帖
塚本博『イタリア・ルネサンスの扉を開く』(→amazon
ジョヴァンニ・カルロ・フェデリコ・ヴィッラ, 小林明子責任編集『ティツィアーノとヴェネツィア画派展: 日伊国交樹立150周年記念』(展覧会カタログ)
ベット・タルヴァッキア他著『ルネサンスのエロティック美術』(→amazon
ヴェネツィア派/wikipedia
フィレンツェ派/wikipedia
ジョヴァンニ・ベッリーニ/wikipedia
ティツィアーノ・ヴィチェッリオ/wikipedia

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