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趙の捕虜40万人を生き埋めにした秦将・白起
「白起」については、多くの将軍の中でも非常に優秀かつ冷酷な人物として有名であった。
趙三大天の「廉頗(れんぱ)」と対峙した“長平の戦い”では、小競り合いで廉頗から勝利をもぎ取っている。
兵の強さで秦に分があると判断した廉頗は2年に及ぶ持久戦で白起を追い詰めるが、当時の秦の宰相・范雎が施した離間の策が原因で趙王に疎まれ、総司令官を解任。
代わりに派遣された趙括は名将趙奢の子で、自他ともに認める兵法の大家だったが、白起はこれを「机上の秀才に過ぎない」と見抜いて罠にはめ、散々に破り、敗死に追い込む。
この戦いで白起は40万人の捕虜を得るが、「捕虜に飯を食わせていては補給が続かないから」という理由で穴埋め、つまり大量虐殺してしまった。
のちに白起は范雎に疎まれて自害に追い込まれ、そのとき呟いたという。
「私は死ぬべきなのだ。長平の戦いにおいて捕虜40万余りを生き埋めにした。天に対し罪を犯したのだ」
王齕(オウコツ)については王騎と同一人物説も根強し
また、六将のなかでは「司馬錯」も重要な人物である。
彼は恵文王・武王・昭襄王(昭王)の3代に仕えた将軍で、蜀(今の四川省)の征服に貢献した。
秦は蜀を併呑したことで豊かな後背地を得ることになり、天下統一レースで頭一つ抜きんでた存在になる。
しかも司馬錯は『史記』を書いた司馬遷の先祖に当たるというのだから、優秀な一族であったのだろう。
「王齕(オウコツ)」「胡傷」「摎」「王騎」について、残念ながら史書はあまり多くを語ってはいない(「王齕(オウコツ)」に至っては「王騎」と同じ人物を指すという説も根強い)。
しかし、いずれも秦の天下統一に貢献した武将であることは間違いないであろう。
王騎の副官として出てくる「騰」は首都の周辺地域を管轄する“内史”という職にあり、始皇17年に韓を攻め、韓王・安を捕えたことが記述されている。きっと刀をファルファル言わせながら絡めとったのであろう。
そのほかにも、函谷関で韓将・成恢と死闘を繰り広げた「張唐」なども実在。六将「王齕(オウコツ)」とともに趙や魏を攻撃したことなどが『史記』秦本紀で確認できる。
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文・やなぎ ひでとし
1980年、大阪府大阪市で爆誕。中学・高校時代は伊賀、大学時代は京都で過ごしたため、あちこちの言葉が混じった怪しい関西弁を操る。
現在は東京・千葉を経て、愛媛・松山に在住。普段はWindowsソフトウェアを専門とするフリーライターと、舞鶴鎮守府サーバーの提督(大将)の二足わらじ。
中国史(とくに春秋戦国時代など)が割りと好物で、好きな人物は漢の光武帝、尊敬するのは管仲・晏嬰。コーエイの『三国志』シリーズではもっぱら馬騰で遊んでいる。日本の武将では武田信玄が好き。
※1 十八年,大興兵攻趙,王翦將上地,下井?,端和將河?,羌?伐趙,端和圍邯鄲城。十九年,王翦、羌?盡定取趙地東陽,得趙王。