日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

タイタニック号(1912年4月10日撮影、Wikipediaより)

スポンサーリンク

週刊武春 災害・事故

タイタニック号遭難、生存者の「その後」

更新日:

悲劇の豪華客船、タイタニック号。事故発生から100年を過ぎた今もなお、多くの人を惹きつけるのは、そこに様々なドラマがあったからでしょう。デカプリオの映画の記憶も鮮烈でしょうし。

そんな訳で、船出した英国と、到着先だったアメリカの両方のメディアにとっても(特にウェブサイトのアクセス数を増やすには)、タイタニックは貴重なネタ箱となっているようです。ケンタッキーで展開するニュースサイト、kentucky.comが興味深い記事を載せているのも、その一例でしょう。面白いので紹介してみます(2013年10月3日付け)。

タイタニックの生き残り「771人」それぞれの人生

タイタニック号の死者数には諸説あります。当然そうなると生存者数も諸説あるのですが、ここでは2006年5月7日に配信された時事通信社の記事に依拠し、711人とさせて頂きます。

タイタニック号(1912年4月10日撮影、Wikipediaより)

タイタニック号(1912年4月10日撮影、Wikipediaより)

予期せぬ大事故で ある故、世間(特にマスコミ)の関心は高かった。豪華客船ですので、各界の名士も乗船していた関係もあります。また、今日のように心のケアが充実していな かった時代ですので(何しろ、生存者の中には恐怖の余り発狂した人もいたぐらい)、その後の人生に色々と影を落としたようです。

さて、事故当時の ケンタッキーではレキシントン・リーダーという地方紙が発行されていました。今日の日本の新聞でもそうですが、こういう大事故の場合、全国紙なら事故の一 報と原因の解説記事を載せる一方、県版(ローカルニュースを載せる紙面)に、「本県××市の○○さんが乗船。安否不明に気を揉む家族ら」といった記事が載 ります。地方紙の場合、一報は1面、解説記事は中面、そして上記のような「本県××市の○○さんが乗船。安否不明に気を揉む家族ら」という記事は社会面の トップとして扱われます。

このリーダー紙でも、それを踏襲しています。事故について報じたのは1912年4月16日。レキシントンゆかりの人が3人乗っていたのです。

スポンサーリンク

新婚旅行の最後を豪華に飾るはずが

1人はエロイズ・ヒューズという女性でした。ケンタッキー州の上院議員を務めた後、ウェスト・バージニア州から下院議員として出馬・当選したジェームズ・A・ヒューズ議員の娘さんでした。どうやら住んではいなかったもののの、「レキシントンを良く訪れる女性」という事で、注目されたようです。

で、このエロイズさんがルシアン・スミスという人と結婚したのが1912年2月。ほどなく、身ごもっている事に気づかされます。そして、運命の1912年4月15日、御夫婦は新婚旅行の最期を飾るべく、タイタニック号で幸せな一時を楽しんでいたのでした。

そんな状況でしたので、レキシントンに住む双方の友人らは大騒ぎ。うち、1人は花嫁の介添人を務めていた事 もあり、安否を凄く心配していたそうです。レキシントン・リーダー紙では「日曜学校で土産話をたっぷり聴かせたい」と書いてあったエロイズさんの自宅に宛 てた手紙を入手し、掲載したそうです。

そんな夫婦は、どのような運命を辿ったのか。お互いがデッキに出たまでは良かったのですが、エロイズさんは救命艇に乗れたものの、スミス氏の方はそういかなかった。そう、タイタニック号と運命を共にしたのです。

事故から半年以上を経た11月29日、エロイズさんは息子さんのルシアン・フィリップ・スミス君を出産します。

その後、1914年にエロイズさんはロバート・ウィリアムズ・ダニエルという男性と再婚します。タイタニック号に乗船し、辛くも生き残った男性だったそうですから、相通ずるものがあった…筈でしたが23年に離婚。その後、更に2度結婚しますが、いずれも離婚で幕を閉じました。

1940年、シンシナティにあるサナトリウムで死去。まだ46歳。死んだ際、エロイズ・スミスと名乗っていたそうですから、最初の結婚生活が忘れられなかったのでしょう。事故に運命を狂わされた人生だったのですね。

タイタニック号の避難ボート(Wikipediaより)

タイタニック号の避難ボート(Wikipediaより)

スポンサーリンク

もう1人の生き残りも…映画では分からぬ結末

さて、後の生き残り2人はジャック・セイヤーⅢ世と、お母様のマリアンさんいう方。家族3人で乗船したのですが、Ⅲ世君の父親に当たるジョン・B・「ジャック」セ イヤーという有力者(ペンシルバニア鉄道の副社長を務め、レキシントンでは「社交界やサッカーのサークル」で人気のある人だったそうです。今回、リーダー 紙が再調査したところ、実際にはクリケットの方に熱を上げていた人だったそうですが)だけが還らぬ人と成ってしまいました。享年49。

息子さんのジャック君は17歳でしたが、後にこう振り返っています。「私の心は1912年4月15日に覚醒した」。また、事故の語り部として、船体の衝突と折れる様子を生々しく描写して、有名になったそうですが、この人もまた悲劇的な最期を遂げます。

自殺したのです。

1945年、息子のエドワードさんが第二次世界大戦で戦死し、その悲しみに耐えきれず、狂乱状態になった末に命を絶ったと記事にはあります。よくよく家族運の薄い人だったのでしょう。それにしても、余りにも残酷な話ですね。

なお、子孫のジョン「ジャック」セイヤーⅤ世という方が、アルバカーキの自宅近くでのタイタニック追悼展に最近出席し、話題を集めたそうです。

…何と言いましょうか。簡単に断ずる事は出来ないにせよ、生き残って幸せだったんだろうかと思わされてしまいました。他の人は一体どうだったのでしょうね。ちなみに、事故後最期まで生き残ったアメリカ人乗客のリリアン・アスプルンドさんという方(2006年5月7日死去。享年99)は、その後生命保険会社に勤務したそうです。これもまた、色々と考えさせられますね。

南如水・記 海外新聞メディアブログDON管理人

 

【102年前のタイタニック号沈没でも二転三転していた遭難報道】

スポンサーリンク

◇生き残った乗員たちの「その後」については、別記事「悲劇の処女航海 タイタニック号が大西洋に沈んだ日【その日、歴史が動いた】」でまとめました。




1位 西郷隆盛49年の生涯!


2位 ホントは熱い!徳川家康


3位 意外と優しい!? 織田信長さん


4位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


5位 毛利元就の中国制覇物語


6位 伊達政宗さんは史実も最高!


7位 最上義光 名将の証明


8位 最期は切ない豊臣秀吉


9位 史実の井伊直虎とは?


10位 もしも戦国武将がサッカー日本代表だったら?


武将ジャパン・TOPページへ戻る



-週刊武春, 災害・事故
-

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.