慶長5年(1600年)9月に勃発した関ヶ原の戦い。
勝敗はご存知、徳川家康率いる東軍が、西軍の実質総大将だった石田三成をわずか一日で撃破し、その後の徳川天下を決定づけるわけだが、敗れた三成はすぐに討たれたわけではない。
当人としては大坂での再起を期していたのだろう。
腹などは切らず逃走を続けていたわけだが、関ヶ原の敗戦から6日後となる慶長5年9月21日(1600年10月27日)、ついに東軍側に捕縛されてしまう。
このとき三成を捕まえたのは誰だったのか。
どういう経緯で捕縛に至ったのか。
当時を振り返ってみよう。

石田三成/wikipediaより引用
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三成と同じく近江の出身
関ヶ原の戦場から三成の本拠地・佐和山城までは、現在の距離でほぼ30kmしかない。
しかも大坂城には、無傷の毛利輝元が控えているばかりか、立花宗茂や毛利秀包などの猛将たちも本戦には参加していなかったため、余力たっぷり。
例えば彼らが堅牢な大坂城に籠城して対陣が長引けば、東軍側についていた豊臣恩顧の武将たちがいつ西軍になびくとも限らない。
ゆえに家康にしても余裕などない。
すぐさま佐和山城へ突撃。
三成の父・石田正継と兄・石田正澄を自害に追い込むと、引き続き三成の捜索を続けた。
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そして慶長5年9月21日(1600年10月27日)、ついに捕縛する。
捕まえたのは、三成と同じく近江出身で、旧知の仲である田中吉政だった。

田中吉政(真勝寺所蔵)/wikipediaより引用
戦場からの逃亡ルート
そもそも石田三成は戦場を脱出した後、どのようなルートで6日間も逃げ続けたのか?
実は詳細を記した確かな史料はなく、江戸時代中期に成立した逸話集『常山紀談』の記録によると以下の通りである。
まず三成は伊吹山あたりに潜伏。
大坂城での再起を目指して、一人目立たぬよう逃亡することにして、母の故郷である近江国伊香郡古橋村へ向かった。
法華寺三珠院の住職に匿ってもらおうと考えたのだが、すぐに村人に知られたため山中の洞窟に身を潜め、地元の百姓である与次郎に食事の世話をしてもらう。
しかし、村の名主がこれを咎めたため、与次郎は三成に立ち去るよう伝えることに……。
三成はそこでついに観念し、与次郎から田中吉政へ連絡させることにしたという。
三成の体力はすでに限界だったようだ。
まともに歩けないほど衰弱していて、もはやどうにもならない状況であり、こうなったからには、いっそのこと与次郎への恩を返したかったのでは?とも指摘される。
三成の意を受けた与次郎は、ついに田中吉政へ事の次第を伝えることとなった。
三河岡崎10万石から筑後柳河32万石へ
石田三成を捕縛した田中吉政は、大津の陣所へ向かい、本多正純にその身柄を引き渡した。
徳川家康からの心象はとにかく抜群。

徳川家康/wikipediaより引用
戦後は三河岡崎10万石から筑後柳河32万石へ、石高大幅アップとなったのである。
黒田長政の18万石→52万石にこそ届きはしないものの、トップクラスの戦功と認められたわけだが、果たしてその内心はどうであったか……。
※三成の処刑は10月1日、場所は六条河原だった
前述の通り、田中吉政は三成と同じ近江の出身である。
当時の吉政は、浅井氏の家臣である宮部継潤(けいじゅん)に従っていたが、浅井長政が信長を裏切り織田家と対立すると、主人の宮部が秀吉の調略に応じたため吉政もそのまま織田軍の傘下へ。
特に秀次の傅役を務めるほど秀吉からは信用されていて、その後、秀次の自害事件が起きたときも一緒に処罰されるどころか、「主君へ諫言していたこと」が高く評価され「むしろ石高は増える」という不思議な経験もしている。

豊臣秀次/wikipediaより引用
関ヶ原が終わり、筑後柳河を任された田中吉政は内政に邁進する。
筑後川の開発や河川改修などに励み、石高もアップさせると慶長14年2月18日に死没。
享年62。
その後、田中家は跡継ぎが用意できず改易に処されている。
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参考文献
- 今井林太郎『石田三成(人物叢書 新装版)』(吉川弘文館, 1988年12月, ISBN-13: 978-4642051422)
出版社: 版元ドットコム 書誌ページ |
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