森可成

森可成像(落合芳幾作)/wikipediaより引用

織田家

信長が頼りにした戦国武将・森可成の生涯~蘭丸や長可の父は浅井朝倉の大軍と激突

元亀元年9月20日(1570年10月19日)は森可成(よしなり)の命日です。

息子の森成利(森蘭丸)が信長のお気に入りとして有名なため、

・森家=蘭丸のおかげで出世した

というイメージをお持ちの方もおられるかもしれません。

しかし、実際は順序が逆。

父の可成が信頼されていたからこそ、蘭丸やその兄である森長可も信長に重宝されていました。

では一体、どんな人物だったのか?

森可成の生涯を振り返ってみましょう。

落合芳幾作『太平記英勇伝七十六:森三左エ門可成』

森可成/wikipediaより引用

 


美濃出身の一族で道三にも仕えた

森家は織田家において非常に重要な一族ですが、譜代の家臣というわけでもありませんでした。

元々は美濃の守護大名である土岐家に仕えていた家系で、一説には明智光秀と縁のある家とも。

森可成も、若い頃は斎藤道三に仕えていたとされます。

斎藤道三の肖像画

斎藤道三/wikipediaより引用

その後、信長に仕えると、弘治元年(1555年)に清須の織田信友を討ちとる大功を挙げました。

当時、信長はまだ20歳くらい。

まだ弟・織田信勝(信行)との間で確執が続いていた頃ですから、一人でも多く有能な家臣が欲しかったことでしょう。

織田信勝(織田信行)
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そこに10歳ほど年上で経験豊富――さらに槍の名手として知られていた可成が来たのですから、信長は嬉々として迎えたに違いありません。

また、可成は頭脳もキレる人だったようで、情報戦などにも長けていました。

そのせいか忍者説もあるくらいです。

一方で可成は、柴田勝家前田利家とのエピソードもいくつかありますので、社交性もある程度備えていたようです。

器用なタイプなんですね。

 


男児に恵まれ 次代・信忠政権下でも安泰

森可成が信長に気に入られたのは、男児が多かったのも一因かもしれません。

長男・森可隆(よしたか)は若くして討死しますが、後に恐怖の代名詞扱いされる次男の森長可(ながよし)に続き、以下のようにズラリと並びます。

三男・森蘭丸(森成利)

四男・森長隆

五男・森長氏

六男・森忠政

信長にとっては、嫡男の織田信忠を支えるのに非常に有効な存在ですから、親子ともども重宝したのでしょう。

実際「鬼武蔵」と称される森長可は幾度もトラブルを起こしていますが、信長からほとんど何も罰せられないような注意で済まされています。

森長可の肖像画

森長可/wikipediaより引用

家臣団の統制という面から考えると、あまり良くない気もしますが……。

ちなみにこの六人兄弟とさらに三人の娘は、可成と正室との間に生まれた子です。

仮に【本能寺の変】が起きず、森家の息子たちが生き延びていれば、相当な結束力が生まれていたはず。

長可も家族間でのトラブルは聞かないですし、末っ子の森忠政も厄介な性格をしていますが……兄たちが生き残っていれば問題にならなかったかもしれません。

 


浅井の裏切りで窮地に陥る織田軍

森可成は軍事面においても織田家で重要な存在となっていました。

家督を継いだ信長が織田家中の諸勢力から抵抗され、尾張を統一するまでの戦いでも活躍。

個々に詳細なエピソードは残されていませんが、以下のように

弘治二年(1556年)4月 美濃・斎藤義龍攻め

同年8月 織田信勝(信行)攻め

永禄元年(1558年)浮野の戦い

永禄十一年(1568年)9月 上洛戦・近江六角氏攻略、

永禄十二年(1569年)8月 伊勢北畠氏攻略

信長初期の重要な合戦に参加し続けています。

同時に美濃金山城も任されていて、その働きには信長も十分に満足していたようです。

信長は家督継承後に“爺や”こと平手政秀が自刃で亡くなっていましたので、年上かつ有能な可成の存在は頼もしかったことでしょう。

しかし……。

浅井長政が織田家を裏切って泥沼の抗争劇を始めたがために、可成の命運が危うくなります。

元亀元年(1570年)8月に【野田城・福島城の戦い】が勃発し、織田家の主力軍が石山本願寺(後の大坂城)で釘付けにされているタイミングで、突如、浅井朝倉軍が挙兵したのです。

織田軍は、下手をすれば挟み撃ちに合う絶体絶命の状況。

そこで凄まじい働きをしたのが森可成でした。

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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