寛保三年(1743年)12月4日は、唐衣橘洲(からごろもきっしゅう)という狂歌師が誕生した日です。
狂歌というのは、短歌の中でも皮肉や洒落を利かせて社会をおちょくったもののこと。
江戸時代では、この二首が有名ですね。
白河の 清きに魚(うお)の すみかねて もとの濁りの 田沼こひしき
失策や賄賂疑惑などで失脚した田沼意次。
その後を受けて白河藩主・松平定信が意気揚々と寛政の改革に挑むも、今度は厳しすぎて一般市民が音を上げたという有名な狂歌ですね。
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基本的に下々の者がお偉いさんの名前をそのまま呼ぶことはなかったということと、狂歌としての体裁、両方の問題をクリアしている点が実に素晴らしい作品とされます。
お次はコチラです!
泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たった四杯(しはい)で 夜も眠れず
上喜撰=蒸気船とかけ、ペリーがやってきた際のドタバタな世情を表した狂歌として、こちらもかなり有名でしょう。
上喜撰とは緑茶の銘柄である「喜撰」の上等なもののことです。
喜撰法師という六歌仙に数えられる歌人の名からきています。
緑茶はカフェインを豊富に含んでいる……というのは近年になってからわかったことですから、この場合は「あんな高いもの四杯も飲んで、この先生活大丈夫かなガクブル……」みたいな感じでしょうか。
なぜそんなにガバガバ飲む必要があるのかわかりませんが、まあもののたとえですから。
橘洲・南畝・菅江の三大狂歌師
上記の二首は誰が詠んだか不明です。
社会や事物を風刺しているだけあって、狂歌は基本的にそうかと思いきや、全てが詠み人知らずというわけでもありません。
橘洲もその一人で、こんな歌を詠んでいます。
とれば又 とるほど損の 行く年を くるるくるると 思うおろかさ
意味としては「歳を取ればとるほど損なのに、年の暮れや明けを祝っても仕方ないだろうよ」というところでしょうか。
一休宗純作といわれている
門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
にも似た感じがしますね。
幕末に向かう世の中で、この狂歌という文学は一般にも文人にもウケたらしく、狂歌会などが頻繁に開かれていたようです。
特に、橘洲と大田南畝(なんぽ)、朱楽菅江(あけら・かんこう)という三人の狂歌師が三大家といわれていました。
ちなみに、この三人の他に狂歌四天王と呼ばれた人たちもいました。もう七本槍でいいんじゃないかな。
こんな感じだと、社会的にはマトモではない方たちのようにも思えますが、菅江は御先手与力という皇宮警察の幕府版みたいな仕事をやっていたバリバリの幕臣。
南畝は幕府の登用試験で主席を取った超秀才です。
さらには橘洲に至っては田安徳川家(御三卿の一つ)の家臣という、それなりに身分のある人だったりします。
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他にも商家や宿屋など、商売を営んでいた人もいました。
だからこそ、世情に対して的確に対処できない幕閣がもどかしかったのかもしれませんね。
菅江の「いつ見ても さてお若いと 口々に ほめそやさるる 年ぞくやしき」という歌は、一般人にも突き刺さりますが。
「若い」と言われる事自体が年をとった証であると……(グサグサッ)。
「落書(らくしょ)」もお忘れなきよう
こんな感じで世間を皮肉ったものは、狂歌以外にも「落書(らくしょ)」という形式があります。
建武の新政の頃に書かれた【二条河原の落書】が有名ですね。
仮名交じりではありますが、七五調を守りつつ批判を繰り返すあたりに教養がうかがえるため、漢詩・和歌など文学的素養を持った人物の作といわれています。
教科書だと「建武の新政についてディスったもの」(超訳)という扱いになっていますが、実はその他の点についても批判しているので、そうとも限りません。
流行りものに対して眉をひそめている感じもありますし、保守的な人というのは間違いないでしょうね。
一番有名な「此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀(にせ)綸旨」ですが、「タソカレ時ニ成ヌレハ ウカレテアリク色好(いろごのみ)」=「日が暮れれば好色な奴らが浮かれ歩く有様」など、他のことに対してもなかなかどぎつい書きぶりです。
ものすごく乱暴に言うと、狂歌も落書も三面記事のような内容ですけれども、文学的になると一個の作品として成り立つものなのですね。
口汚く罵るよりは品が良く、思わずクスッとして『うまいなぁ』という感心の方が先に来る。
現代では「漢字・ひらがな・カタカナ・alphabet」を使えるので、もっと優れた作品が作られてもいい気がします。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
唐衣橘洲/wikipedia
大田南畝/wikipedia
朱楽菅江/wikipedia
狂歌/wikipedia
二条河原の落書/wikipedia