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小早川秀秋は裏切りものではない?!書評・本郷和人『戦国武将の明暗』(新潮新書)

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本郷和人・東大史料編纂所教授が週刊新潮で連載している「戦国時代のROE」が、『戦国武将の明暗』(新潮新書)とのタイトルでとうとう書籍化された。(2015年3月刊行)
ROEというと、ふつう株主資本利益率(Return of Equity)という株価指標のことなのだが、この場合は「交戦規則」を意味する。
本郷教授の著書といえば、ファンならおなじみなのが自虐的なまえがきやあとがき。本書でもいきなり「ぼくの本は売れません。本人は一生懸命いいことを書いているつもりなんですが、残念ながら全然」と健在だ。

また、本郷教授いえば「定説を疑う」こともおなじみだ。これまでも「日本は一つじゃない」「天皇家じゃなくて王家と呼んでみる」などでいろいろと、歴史学界を飛び出して物議をかもしてきた、そのスタンスは本書でも変わっていない。

小早川隊は1万5000でなくて9000弱?

いきなり投げかけるのが、関ヶ原合戦での小早川秀秋は裏切り者なのか?という疑問だ。
小早川はもともと秀吉の養子で、天下人の後継者として優遇されていた。それなのに豊臣の恩顧を忘れて西軍から東軍に寝返った、というのが一般的な見方である。しかし、本郷教授はずばりと斬り込む。
たしかに一時期後継者だったけど秀頼が生まれてからの彼は暗転。小早川家へ養子に出されると、「朝鮮出兵では勇猛果敢に戦いますが、わけの分からぬ理由によって今度は領地を大幅に削られ、越前12万石に左遷」。「そうした秀秋ですから、「太閤さまのご恩」などと言われても、「なにをバカな」という子持ちだったでしょう」と指摘する。中井均氏の説をひいて、「最初からむしろ東軍だよ」、読者の目からうろこを落とす。

また、本書で、疑問を投げかける常識でおもしろいのが「石高」についてだ。
関ヶ原時の小早川の石高も「筑前・名島30万石」とします。筑前・名島とはのちの黒田官兵衛でおなじみの福岡藩の領地。ふつう、黒田家は52万石とされており、前任者の小早川も50万石というのが常識である。関ヶ原の布陣図で小早川隊1万5000という数をよく見たことがあるだろう。この数字、推定石高100石あたり3人をかけたものだという。

ところが、この数字は帝国陸軍参謀本部編纂の「日本戦史・関原役」の解釈で、その数字が一人歩きしているだけだったのだ。
関ヶ原の頃は筑前にはまだ豊臣家が直轄領20万石ほどを持っていて、そのため小早川分は30万石となるのが真実であった。
「秀秋の領地は30万石。すると、兵力も9000人くらい。8000とする史料があるようなので、ぼくはそちらが実数に近いのではないかと思っています。それにしても大軍であることはまちがいありませんけれど」(21頁)
これからは、小早川隊は9000人、とするのが通といえよう。

「本郷先生、そうです、僕は裏切り者じゃ、ないです」絵・富永商太

「本郷先生、そうです、僕は裏切り者じゃ、ないです」絵・富永商太

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 ”関ヶ原”を戦った女はなぜ居場所を隠したのか?

関ヶ原にまつわる無数のおもしろいエピソードの中で、特筆すべきは、女性の従軍記(聞き取りノンフィクション)があることだ。岩波文庫で「雑兵物語・おあむ物語」(絶版)の名で出版もされているので、ご存じの方もおられよう。
西軍の城にいた女性なのだが味方がとってきた敵の首を集めて、女性たちが歯にお歯黒を塗って化粧を施すのだ。なんのためかというと、どうでもいい雑兵の首をえらい武将のものに仕立て上げて、勲功を稼ぐため。こんな、うわーでリアルな証言は本当におもしろいのだが、本郷教授が謎解きをするのは、この「おあむ」さんがどの城にいたのかという謎解きだ。

書いてあることをそのまま見れば、大垣城(岐阜県)にいたことになっている。関ヶ原の直前まで石田三成はじめ西軍が集結していた城だ。
ところが本郷教授はそれはないと断じる。

おあむさんは、石田三成の家臣の娘。だから西軍の大垣城にいてもいいと思われるのだが…。

「ここでよく分からないのは、「家中の内儀・娘たち」がなぜ大垣城にいたか、です。本来、合戦の場に、女性は帯同しないはずです。(略)おあむの記憶、もしくは物語の書き手の混乱・錯誤があるのでは? と疑うことができる。というのは寄せ手の大将として田中吉政(三河・岡崎10万石)がでてくるのですが、彼が参加したのは他の史料から明らかに、大垣城攻めではない。三成の居城、佐和山城攻めなのです。もしも話の舞台が佐和山城ならば、「家中の内儀・娘たち」がそこにいるのは当然、です」(164頁)

では、なぜそんな間違いがあるのか。混乱、錯誤?そんなことがありうる? 本郷教授は歴史探偵よろしく真相にさらに斬り込んでいく。

「おあむはウソをついていて、実際には佐和山城にいたのではないか。彼女の父の山田去暦は、石田家の上士でした。当時の武士の習いからすれば、城を枕に討ち死にして然るべき立場の人でした。でも家康との縁を楯として、逃げ出した。おあむはそれを恥じて、「佐和山」を自らの禁句にしたのではないか」(168頁)

戦国ファンなら、うろこが何枚か落ちること間違いなしだ。




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