槇島城の戦い

足利義昭と織田信長/wikipediaより引用

足利家

信長vs義昭「槇島城の戦い」で室町幕府滅亡~意外と緻密な将軍の戦略

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「信玄死んだ 日本死ね!」by 義昭

元亀4年(1573年)2月、今堅田、石山の城があっさり落ちると、将軍義昭の風向きが悪くなります。

義昭の軍勢は近江から撤退。

北近江の浅井家も小谷城に封じ込められたまま、近江各地で決起した寺社勢力や国人衆は、誰からも後詰が期待できない絶望感の中で織田軍団に各個撃破されてしまいました。

琵琶湖上に張り巡らせた防衛網に自信を持った信長は、更に兵力の大量輸送を目指して大船の開発に着手。

家臣の丹羽長秀に命じて佐和山城下の内湖で大船を建造し、武田信玄の西上に備えて兵の輸送力を強化します。

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織田家と正式に断交した武田家は、3月になると織田−武田の緩衝地帯である東美濃に家臣の秋山虎繁(秋山信友)を信濃から進出させ、信長の本拠地・美濃に迫ります。

一方、京の洛中まで進出してきた織田方に対して、義昭は二条城に籠って徹底抗戦を表明。

しかしここで悲報が義昭の下に入ります。

西上を続けていた武田勢が突如、甲斐へ退却し始めたのです。

どうやら武田信玄が死んだらしいとのことで、織田家にとっては九死に一生を得る出来事でした。

実は信長は、三方ヶ原の戦い以降、進軍速度を著しく落とした武田勢の動きを既に怪しんでいたといわれています。石山、今堅田の戦いは、何らかの理由で軍を進めない武田勢の動きを察知して、素早く処理したのです。

さらに追い討ちをかけるように、摂津では荒木村重に調略されたキリシタンの高山友照、高山重友父子が公然と反乱を起こします。

高山父子は、戦死した和田惟政を継いだ17歳の和田惟長を追放し、高槻城を乗っ取り織田家に臣従します。

続いて荒木村重も主家の池田家を完全に乗っ取った上で、織田家に味方します。

割を食ったのは摂津三守護の最後の生き残り・伊丹親興で、彼は将軍決起に賛同して反信長に付いたものの、お隣の荒木村重が信長に寝返りしてしまったために、再び村重に攻められてしまいます。

真面目に将軍に従っていただけで二度も荒木村重に攻められるという、自ら何も行動を起こさない代償はとても高くつきました。

結局、伊丹城は落城。

その後入った荒木村重により有岡城と改名され、そのまま居城となりました。

有岡城は後年、軍師官兵衛が1年もの間、幽閉されていたことで有名ですね。

信長の城7-9

荒木らが寝返ったため畿内では織田方の勢力(赤)が一気に広がるに©2016Google,ZENRIN

義昭への悲報は更に続きます。

元亀4年(1573年)7月、これまで四国から畿内全域に大軍勢を送り込んできた阿波、三好家家老の篠原長房が当主の三好長治に攻め滅ぼされるという珍事が起きました。

篠原長房は長身で文武両道、そして家老格というイケメン武将でした。

が、何事も過ぎたる者はなんちゃらで、他の家臣の妬みを買って讒言に惑わされた三好長治に討ち取られたと云われています。

また、既に織田信長に通じていた三好長治によって手土産代わりに成敗されたとも云われています。

信長の城7-10

四国でも内乱勃発!この後、阿波三好家は織田家と和解しつつも急速に衰退し、長宗我部元親の侵攻にさらされます/©2016Google,ZENRIN

畿内における三好宗家の戦略は四国からの大兵力によって支えられていました。

しかし、この阿波三好家の内紛によって、畿内への兵力の供給が絶たれ、武田家に続いて三好家も信長包囲網から脱落していきます。

 

ついに最終戦!槇島城の戦い

振り上げた拳のやり場に困っているであろう義昭に対して、信長は大人の対応で朝廷を通じて和議を申し入れました。

朝廷には逆らえない義昭は一旦和議を受け入れます。

が、武田信玄の死や阿波三好家の内紛を知ってか知らずか、未だに強気の義昭は同年7月に二条城と宇治の槇島城で再び決起するのです。

しかもここからは、武士の棟梁の血が騒いだのか、義昭は自ら軍事行動を起こしたのでした。

織田方は真っ先に二条城を包囲。

足利将軍派の多い京の上京を徹底的に焼き払い、たまらず二条城は開城します。

二条城には三淵藤英が籠もっていたことが大河ドラマ『麒麟がくる』で知られるようになりましたね。

三淵藤英
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義昭はそれでも徹底抗戦を貫き、山城守護の居城であった槇島城(まきしまじょう)に籠城します。

当時は周辺に「巨椋池(おぐらいけ)」という巨大な池があり、下流の大坂方面から大船で入ることができ、海や湖のない京の都の港の役割を持ち、物流の要衝でした。

後年、秀吉が伏見城を築城したのは巨椋池の北側で、交通と物流の要衝だったことが分かりますね。

槇島城はその巨椋池と宇治川の急流に挟まれ、水に守られた地に築城された代々の山城国の守護所でもありました。

信長の城7-11

現代では完全に埋め立てられてしまいましたが、槇島城の西側には宇治川に沿うように広大な巨椋池がありました/©2016Google,ZENRIN

槇島城攻めに出た信長配下の将は宇治川の渡河に苦労したと云われています。

ためらう武将たちに「お前らが行かないなら俺が行くぞ!」と信長。

これまでの戦い方からして、こういうときはガチで真っ先に行く信長ですから、その勢いに気圧された諸将が大軍を二手に分けて渡ります。

このとき源平合戦時代の故事に由来して2つの軍に先陣を競わせたと云われてますが、織田方は総勢7万という大軍です。

宇治川のような大河を渡らせるのに渡河ポイントが1箇所だと1日かかってしまうので、軍勢を二手に分けることがあります。

しかし戦いを前にして優勢な軍勢を二手に分けてしまうというデメリットもあります。

例えば【第四次川中島の戦い】において、武田信玄の別働隊が千曲川の渡河に遅れたため、優勢だった信玄の本隊が謙信の本隊に襲われ大損害を受けるということがありましたね。

第四次川中島の戦い
第四次川中島の戦いが信玄vs謙信の一騎打ちなくとも激戦になった理由

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信長包囲網はついに瓦解

信長の2隊のうち1隊は稲葉一鉄父子を先陣とした美濃衆で、宇治平等院の対岸から押し渡り、平等院一帯を焼き払いました。

もう1隊は佐久間信盛、丹羽長秀、柴田勝家、明智光秀、羽柴秀吉を中心とした信長本隊。

本陣の「五か庄」から真っ直ぐ西向きに宇治川を渡河して槇島城に迫ります。

足利将軍家の軍勢は織田家の2隊が合流する前に、各個撃破を狙ってどちらか1隊を攻撃すべきだったのでしょう。

ところが、この時の織田家の兵力7万に対して足利将軍家の軍勢はわずか4千にも満たないものでした。

信長が2隊に分けたところで3万以上の兵力ですから、渡河ポイントで各個撃破を狙ったところで義昭に勝ち目はありません。

城攻めには敵の数倍の兵力で挑むべき――そんな定石通りの戦略に加えて信長の叱咤で勢いを得た織田軍は早々に攻略。

この後、足利義昭は息子を人質を差し出して京から追放されてしまいます。

この戦いの前、信長は何度も義昭に対して講和の使者を立てたといわれています。

しかし朝廷のお墨付きを得ていたとしても4千の足利将軍家の軍勢に対して、信長の大軍勢は明らかに本気です。

義昭には畿内勢力でついてくる味方も少なく、信長はこの戦いを機に、尽力してきた足利幕府の再建をほぼあきらめたのでしょう。

信玄が死に、三好家も内紛で衰退し、将軍義昭は京から追放されて信長包囲網は瓦解。

義昭はこの後、あれほど嫌っていた三好家宗家の三好義継を頼って河内の若江城に入ります。嫌ってはいるものの三好義継は義昭の実妹の夫なのです。

義昭追放後、ドラマ『麒麟がくる』でもありましたように、信長は元号を元亀から天正に改めました。

そして天正元年(1973年)8月、浅井・朝倉攻めに注力し、両家を滅します。

なお、足利義昭の追放で室町幕府は実質滅亡となりますが、それは後世から見た結果論であり、義昭は毛利庇護の下で復帰を画策しており、名実伴った滅亡はもう少し先という見方もありますね。

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筆者:R.Fujise(お城野郎!)

◆同著者その他の記事は→【お城野郎!

武将ジャパンお城野郎FUJISEさんイラスト300-4

日本城郭保全協会 研究ユニットリーダー(メンバー1人)。

現存十二天守からフェイクな城までハイパーポジティブシンキングで日本各地のお城を紹介。

特技は妄想力を発動することにより現代に城郭を再現できること(ただし脳内に限る)。

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