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【本圀寺の変(六条合戦)】
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現代の地図で徒歩117km
「将軍が襲撃された」
その知らせは、京都から岐阜へ直ちに届けられました。
そこで地図を確認してみますと……。
現代の地図で徒歩116kmとありますので、当時でも早馬であれば2日間で問題ない距離でしょう。
徒歩だと、なかなか厳しい距離かと思われます。
ただし、このとき岐阜近辺は大雪が降っていたといいます。
馬か人かわかりませんが、将軍御所襲撃が1月4日で、信長がこの知らせを聞いたのが6日ですから、悪天候を物ともせずに駆けたのでしょう。
知らせを受けた信長は、直ちに出陣の命令を出しました。
終わりかけていた正月気分も、木っ端微塵にぶっ飛んだはずです。
自身も身支度を手早く済ませ、馬に飛び乗りました。
……が、ここでちょっとしたトラブルが起きます。
日頃の信長の馬を駆る速さからして、こういうときはお供をするほうもかなりの好条件でなければ追いつけません。
そんなわけで、荷物運びをする馬借(馬を使う運送業者)の間で、ちょっとした言い争いが起きてしまいました。
「どっちの荷物が軽いか」で揉めたのです。
当然、荷物が軽ければ軽いほど馬も楽ですから、信長にぴったりついていける可能性が高まります。
良い働きを見せれば、今後も贔屓にしてもらえるかもしれないわけで……業者側としては、いいとこを見せたいですよね。
「どちらも同じだから急げ」
しかし、そんなことをグダグダ言っていたら、最悪の場合、将軍の命が危うくなる状況です。
怪我をしただけでも、信長の沽券に関わるでしょう。
日頃から世間の評判を気にしていた信長としては、評判がダダ下がりになることは避けたい。
そこで、信長自ら馬を降り、言い争っていた馬借たちの荷物を一つずつ点検して、
「どちらも同じだから急げ」
と命じたのでした。
こういう細かいことも家臣に任せきりにせず、自分でやるあたりが実に信長らしいですね。人間だもの、と言いたくなってしまう。
当時の岐阜で一番エライ人に直接言われれば、誰もゴネられませんから、結局早く始末はつきます。
信長らが出発したときも大雪は止んでおらず、人夫や下働きの者の中には、凍死者も出たとか。
危急の事態ですし、身分が低ければ低いほど、防寒対策はできなかったでしょうね……。
正式な将軍御所が必要だ
こうして、本来3日かかる距離を2日で駆け抜けた織田信長が京都に着いたのは、1月8日のことでした。
前述の通り、襲撃者たち三好三人衆らは、すでに明智光秀や三好義継、池田勝正らの働きによって撃退された後です。
とはいえ、途中でそれを知らされていたかどうかは不明ですから、信長たちは気が気でなかったことでしょう。
京都入りした信長は、本圀寺(六条御所)に直行。
義昭の無事を確かめると共に、当時の状況を聞きました。
そして、特に桂川方面で活躍した池田清貧斎という者に褒美を与えたといいます。
彼は池田勝正の家老で、俗名は正秀といいました。
生没年は不明ですが、天正三年(1575年)ごろから史料に登場しなくなるので、本圀寺の変が起きた永禄十二年(1569年)当時も老齢だったと思われます。
文字通り、年の功が活きたのでしょうね。
幸いにして義昭には大事なかったものの、本圀寺の変によって、正式な将軍御所の必要性が明らかになりました。
しかし、それには諸々の準備や織田家以外の人々の協力、朝廷への配慮などが必要になります。
次はそのあたりのお話です。
将軍の新御所、信長はどうやって作った? 超わかる信長公記58話
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※本記事は連載『戦国初心者にも超わかる信長公記』第56・57話となります
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信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)