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【有馬晴信】
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「金で大名を釣るとは不届き千万!!」
大名にとって、一度奪われた土地というのは何に替えても取り戻したいものです。
そして晴信は、何の裏付けもないこの言葉を信じてしまいました。
大八に黄金色のおまんじゅう(賄賂)を渡し、便宜を図ってもらおうと試みたのです。
しかし、いつまで経っても有馬家が旧領を回復する見込みはありません。
怪しんだ晴信は、大八ではなくその上司の本多正純に直談判します。
正純は、あの本多正信の長男。
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家康のお気に入りの重臣でしたから、そちらに話を通せばなんとかなると思ったのでしょう。
もはや後には戻れない――直接的な破滅へと踏み出すのです。
江戸時代初期の武士はささいなミスが文字通りの命取りになります。
特に家康は新政権を自分の存命中にできるだけ安定させるべく、どんな些細なミスでも見逃しません。
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大八と晴信の直接対決が行われた後、「金で大名を釣るとは不届き千万!!」とばかりに、大八に駿府市中引き回しの上、火炙りの刑に課しました。
そして晴信も、贈賄の罪で甲斐に流され、死罪を申し付けられてしまったのです。
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事件そのものの詳細は上記にありますので、よろしければ併せてご覧ください(記事末にもリンクあります)。
息子の直純が徳川家の妻をめとり、譜代大名に昇格
晴信は、流罪については受け入れました。
が、キリスト教の「自殺をしてはならない」という教義を守り、切腹は拒みます。家臣に自らの首を落とさせたといわれています。
幕府の記録では切腹したことになっているのですけどね。
キリシタンとしての信仰を守ったか、武士としての面子を保ったかという違いでしょう。
キリシタン側からすれば「晴信は神の教えを最後まで守り抜きました」としながら、幕府としては「武士の名誉である切腹で死んだ」ことにしておいたほうが都合がいいですし。この流れからすると、やはりキリシタン側の記録のほうが正しそうな気はします。
有馬家自体は移封された後、息子の直純が継ぐことを許されました。
さらに直純の妻が家康の養女だったことで、後々「願い譜代」という扱いにもなっています。外様大名が譜代大名との縁や功績を利用して、譜代扱いになることです。
キリシタンだった直純は棄教を選んで幕府に従ったことで勘弁してもらえたようです。
とはいえ、そのために幼い異母弟をブッコロしてしまったりしたので、後年は良心の呵責に悩まされたようですが……。
そして島原の乱は起こった
一方で領内のキリシタンは見逃してもらえませんでした。
有馬の地は一度天領(幕府直轄領)になった後、松倉重政という大名が入りました。
そこであまりに過酷な弾圧を行ったために、島原の乱を招いています。
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また、高山右近など他のキリシタン大名などが国外追放になったのも、この事件の後のことでした。
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晴信が旧領への欲を捨てていたら、島原の乱は起こらず、長崎周辺のキリシタンは【隠れキリシタン】になる――というソフトランディングしていたのかもしれません。
あるいは、欲を捨てるまではいかないにしても、大八への賄賂ではなく、もっと別の方法で願い出ていれば、また違ってきたでしょう。
板挟みを何とかやり過ごしてきた大名の、残念な失敗。
そんな風に考えざるを得ない一生だった気がします。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
有馬晴信/wikipedia
岡本大八事件/wikipedia
知られざるキリシタン王国、光と影。(→link)