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【瀬名を遊女扱いはあり得る?】
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関口氏純の気持ちも重要
前述の通り、今川家では義元の死後、家中が揺らぎ、家臣の離反が始まりました。
そうなれば瀬名の父である関口氏純を引き上げ、股肱之臣(ここうのしん・絶対に裏切らない家臣)とするのもひとつの手です。
方法は単純――瀬名を手厚く迎え入れ、正室と並ぶほど優遇するのです。
関口氏純に対しては「あわよくば次期今川当主の外祖父となれるかもよ」とでも、ちらつかせておけばオッケー。より一層忠実に働くようになり、戦国大名の家中を回していくにはスマートではありませんか?
『鎌倉殿の13人』では、北条時政や比企能員がその甘い誘いに心動かされていたものです。
そうやって外堀から埋めてゆけば、瀬名の両親も娘に「これはいい話だ、名誉なことだ、親孝行だと思いなさい」と迫るでしょう。
それでも瀬名がどうしても家康を忘れられないなら、暗号やそれとなく夫婦だけわかる歌でも送る――そういう展開でも面白かったのではないでしょうか。
今川と北条の姻戚関係を無視している
この「夜伽役」という言葉は、脚本上の創作と思われます。
やはり瀬名を「夜伽役」だけにするというのは、当時の婚姻事情からはちょっと考えにくい。
戦国大名ともあろうものが、あたり構わず子を作ると問題になります。
『鎌倉殿の13人』では、河内源氏の血を引く男性が危険因子となり、片っ端から北条氏らによって根絶やしにされました。
源頼朝の場合、北条政子以外が産んだ男児が判明した場合、出家させられ歴史の表舞台から消えています。
あのドラマでは、政子が頼朝の囲っていた亀の前を襲撃した「後妻打ち」事件が印象的に描かれていましたよね。
コメディタッチではありましたが、政子の言い分は最もなことなのです。
北条の力を借りて挙兵しておきながら、別の女との間に子を為すとはどういうことだ! ふざけるな!
そう襲撃してもおかしくはありません。
政子の嫉妬というより、政治的なパワーゲームとしての側面が大きいのです。
このことは今川氏真にだって、当然あてはまります。
彼の正室である北条氏康の娘・早川殿は、【甲相駿三国同盟】の一環として、北条家から豪華な花嫁行列で嫁いできました。
北条と今川には数代にわたる縁戚関係があり、同盟強化として嫁いできたのです。
ただでさえ今川義元が急死し、足元から崩れていくような苦境の最中。
同盟の強固な礎である早川殿の神経を逆撫でするようなことができたとは思えません。
もしもそんなことをすれば、早川殿が激怒して瀬名の寝所に乗り込んでもおかしくないのです。
さらには彼女が相模の実家へ出奔でもしたら、今川は、武田・北条・徳川(松平)から攻められる可能性も出て、一気に滅亡の確率が高まるのではないでしょうか。
正室と側室と妾と
正室と側室という分類は、江戸時代および明治時代の思想が反映されているとされ、注意が必要です。
北条政子の時代から見て緩やかになったとはいえ、正室からすれば管理下に置けない子が増えては困ります。
むろん、一人の女性が出産できる子の数には限りがある。
だからこそ、信頼のおける身元のしっかりした女性を側室として認めることになるのです。
氏真がいくら瀬名を欲しがっても、早川殿が却下すればそこで終わり。
『どうする家康』では、義元の死後、今川家を支えていた寿桂尼が出てきませんが、もしも彼女がいたら、氏真をきつく叱り飛ばしていたことでしょう。
寿桂尼(義元の母)は信玄にも一目置かれた今川家の女戦国大名だった
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『鎌倉殿の13人』では源頼家が御家人・安達景盛の妻に手を出してしまいます。すると母・政子が叱りつけていました。あの場面は『吾妻鏡』をもとにしています。
そんな風に氏真が叱られる姿が嫌だから、寿桂尼をカットしたのですかね?
だとすれば、一体どんな今川家を描きたいのでしょう。
寿桂尼は大河の常連でもある有能な女性です。
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