築山殿/wikipediaより引用

今川家

家康に捨てられた瀬名が氏真に「遊女」扱いされるなどあり得るのか?

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子ができたらその扱いは?

『青天を衝け』の主人公である渋沢栄一の後妻・兼子はこうぼやいていました。

「あの人も『論語』とは上手いものを見つけなさったよ。あれが『聖書』だったら、てんで守れっこないものね」

この一文、パッと見ると『論語』はじめ儒教は性的規範がないという誤解を生じかねません。

実際は、もちろんそんなことありません。

キリスト教圏では庶子に相続権が認められなかったものの、儒教圏では認められた――そこの違いです。

中世以前の日本は【双系制】です。

男系だけでなく女系の血筋も重視されたため、母の異なるきょうだいがいた場合、より身分の高い方が待遇がよくなります。

ドラマでは、「夜伽役」の産んだ子は氏真から認知もされず、「落とし子」になるしかないというような誤解も見かけました。

確かに、父親が不明の子ならその可能性もありますが、『どうする家康』における瀬名の場合、氏真以外の男性が父となって子を産むことは考えられません。

よって瀬名が産んだ子は今川家当主となるのは難しいながら、認知もされずに放置されるということはありえない。

「落とし子」とは”bastard”の日本語訳ともされます。

庶子の扱いはキリスト教圏と儒教圏では異なり、かつ日本でも明治以降とそれ以前ではかなり異なるのです。

 


好色は軽蔑される

明治時代、キリスト教徒の教えは必要以上に誤解ありきで美化されます。

今は少なくなったものの、かつてはこうした解説も見かけました。

細川ガラシャのような戦国時代の女性は、妻だけを愛するというキリスト教の教えに感銘を受けた。

これは前述のように、庶子に相続権がないことを拡大解釈しているように思えます。

カトリックでも性的規範が無茶苦茶な人物はいます。

例えば教皇アレクサンドル6世は悪名高い代表格でしょう。

日本で布教したカトリック宣教師は、国内で売買されている奴隷を海外に輸出することを黙認していました。女性の奴隷は、船員の性的搾取の犠牲になっています。

そうした例を踏まえると、カトリックの性的規範が強いという話には、裏があることがわかります。

Amazonプライムのドラマ『MAGI』では、そんな事情も描かれていますので、興味があればご覧ください。

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こうしたカトリックのイメージには明治以降のプロテスタントとの混同もみられます。

プロテスタントはストイックです。

明治政府上層部は、ともかく維新志士時代の悪癖が抜けず、性的規範が日本史上でも最悪でした。

そうした上層部へのあてつけとして、プロテスタントを持ち出すことはしばしばありました。

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プロテスタントは女権を重視し、娼妓解放にも尽力したため、潔癖であると認識されます。

八重の桜』に出てきた新島襄と八重夫妻は、その典型例とされました。

あんな若くもない、器量も良くない、しかも気が強い女一人で我慢するなんて、たいしたもんだなあ! と思われていたわけですね。

そうしたプロテスタントと混ざったカトリックとの対比からか、「日本人は好色であっても軽蔑されない」という認識があるかもしれません。

実際は、そうでもありません。

過度の好色が軽蔑の対象とされていたことは、悪評の多い戦国武将の逸話からもわかります。

例えば豊臣秀次松永久秀がそうで、以下のような伝説がテンプレのように語られてきました。

・妊婦の腹を割いた

・家臣の妻を我が物とした

・悪女を寵愛し、その言いなりになっていた

要は「女関係がだらしないヤツ」だから「ロクな死に方しねーんだわ」というわけですね。

ただし、こうした逸話はあくまで伝説であり、話半分で聞き流しておくほうがよさそうです。

元ネタは中国古代の暴君・殷紂王の「酒池肉林」あたりでしょう。

『封神演義』でも知られる彼の悪行は、別人のものと混同されつつ記録され、漢籍経由で日本にも輸入されました。

こうしたテンプレが通るということは、昔の日本人だって好色を軽蔑していたということです。

だからこそ、今回の瀬名騒動を知ったら、今川も、松平も「うちの殿はほんと情けねえな」と軽蔑してもおかしくありません。

鎌倉時代には『男衾三郎絵巻』という絵巻物があります。

美人なんぞにメロメロする兄・吉見二郎はダメ。醜くとも強い妻を娶った弟・男衾三郎こそ武士の中の武士だ!

そんな誘導がされていて、武士の価値観として続いてゆきました。

だからこそ、瀬名を取り合っている今川氏真松平元康って何なの?となってしまう。

彼らのような主君に従いながら、意気揚々と戦場へ出掛けられます?

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江戸時代の「バカ殿」テンプレを流用?

ついでに江戸時代のバカ殿テンプレを見ておきましょう。

当時のバカ殿が描かれるとき、ド定番なのが「高級遊女を妾にする」というものですね。

殿様は偉い。偉いから好き勝手できた。だから女もとっかえひっかえ。

そんなイメージから出てきたのでしょうが、実際の殿様はそれほど自由ではありません。

ましてや性病感染の危険性が高い遊女を妾にするというのは、典型的なバカ殿テンプレです。

『どうする家康』で瀬名の母である巴が「遊び女」という言葉を使ったのは、もしかしてこの辺りから着想を得たのでしょうか……。

あまりに短絡的なので、そうとは思いたくないのですが、ひょっとしたらという疑念も拭えません。

 

ブーメランは投げられた

最後にもうひとつ。

徳川家康には妻妾が多いのですが、今後その辺をどう描かれるのか。

家康と女性はロマンチックな関係から程遠く、家の存続を考え、効率的に出産経験者を選んでいたのではないかとすら推察されます。

今はあんなに相思相愛の瀬名が生きている間にも、家康は他の女性との関係を繰り広げます。

しかも全員をきっちりと面倒を見る光源氏型ではなく、待遇に差がついている。

そうなったときに、こう突っ込まれませんか?

「あんだけ今川氏真を貶しておいて、自分は何なんだよ」

そんなブーメランが刺さる予感がします。

しかも今川氏真はありえない捏造である一方、家康は史実で、動かせない証拠がいくつもあります。

これまた愛人が多かった『青天を衝け』の渋沢栄一と異なり、家康の場合は妻妾キャストが華々しく発表されてい、女性関係をぼかすことは難しい。

さぁ、どうする家康の女性描写!

そう固唾を飲んで見守りたいと思います。別にこんなスリルは味わいたくなかったのですが……。


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【参考文献】
黒田基樹『家康の正妻 築山殿: 悲劇の生涯をたどる』(→amazon
黒田基樹『北条氏康の妻瑞渓院』(→amazon
『新書版 性差の日本史』(→amazon

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