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【前田利家】
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晩年の秀吉に最も信頼され五大老に
それからの前田利家は、秀吉の友人かつ第一の家臣というような立場で、武働きと出世を繰り返していきました。
九州征伐などでは京・大坂の警護を担当し、小田原征伐や奥州出征の際には、戦だけでなく統治・外交でも能力を発揮しています。
武勇がよく話題になる利家ですが、丹羽長秀や堀秀政のような万能タイプだったんですね。
朝鮮の役では渡海はせず、名護屋城(佐賀県)に駐留していました。
また、文禄元年(1592年)5月に朝鮮の首都・漢城府が落ちた時、自ら渡海しようと逸る秀吉を、家康と利家が諌止したといわれています。
この件に限らず、秀吉存命中の利家と家康は、政務などで協力することも珍しくありませんでした。
天正二十年(1592年)7月に秀吉の母・大政所危篤がもたらされ、秀吉が名護屋を離れたときも、名護屋にいる諸将の指揮などを二人で行っています。
慶長三年(1598年)3月の醍醐の花見には、正室・まつと参加しました。
そして、その翌月には老齢や病気を理由として、嫡子・利長に家を譲っています。草津温泉(群馬県)へ湯治にも行っていたそうなので、寿命を意識して養生しようとしていたのかもしれません。
しかし、秀吉は家督の継承は認めても、利家が隠居生活に入ることは許しませんでした。
いわゆる「五大老」を任じたのは、利長に家督を譲った後の話。幼い秀頼の後見になることも頼まれ、大坂城にとどまることになります。
自分の家の仕事は手放していますが、隠居とは言いにくい状態ですよね。
ちなみに五大老、そして石田三成らの五奉行とは以下のメンバーになります。
【五大老】
・徳川家康
・前田利家
・宇喜多秀家
・上杉景勝
・毛利輝元
※小早川隆景が生きている頃は6名だった
【五奉行】
・浅野長政
・前田玄以
・石田三成
・増田長盛
・長束正家
家康を制するため誓紙を交わしたその後で……
慶長三年(1598年)8月に秀吉が逝去すると、いよいよ前田利家には頭痛の種が増えていきます。
家康が伊達家や蜂須賀家に養女を嫁がせ、自分の勢力を強めようとしたのです。
秀吉は生前、こうした政略結婚を防ぐため「大名同士の婚姻を禁ずる」と明確に決めていました。
逆らうということは、豊臣政権を守るつもりがない、と宣言したも同然。
利家たち、豊臣恩顧の大名・武将たちにとって見過ごすことのできない事態となると、利家・家康双方の屋敷に、それぞれの派閥の大名が集まったりして、半年近く騒動が続きました。
徳川家康も、さすがに前田利家との全面対決は避け、互いに誓紙を交換することで和解としています。
利家としては秀吉の遺志通り、家康や他の大名たちと共に、秀頼を守り立てていくつもりだったのでしょう。
しかし、その前に自身の寿命が尽きてしまいました。
家康との和解からおおよそ2か月ほど経った慶長四年(1599年)閏3月3日に、利家はこの世を去っています。
享年62。
政治的な場面では決して荒々しい言動をしなかった利家ですが、武将らしい気概は最後まで持っていました。
「閻魔でも牛頭馬頭でも相手にしてくれるわ」
前田利家とまつとの間でこんな話が残っております。
「貴方は若い頃からたくさん戦で人を殺めたので、後生が恐ろしゅうございます。どうかこの経帷子(きょうかたびら)をお召しになってください」
「確かにわしは多くの敵を殺してきたが、理由なく殺したことも、惨い殺し方をしたこともない。だから地獄に落ちるわけがない。もしも地獄に落ちたなら、先に逝った者たちとともに、閻魔でも牛頭馬頭でも相手にしてくれるわ。その帷子は、お前が後からかぶってこい」
閻魔は言わずもがな閻魔大王で、牛頭(ごず)と馬頭(めず)はそれぞれ、牛の頭・馬の頭をした地獄の拷問人のことです。
「悪鬼羅刹相手だろうとまとめて戦ってやる」という気概は、死の床にある人とは思えませんね。
勇猛さと、人の間に立って仲を取り持つという二つの面。
それが利家の大きな魅力だったのでしょう。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
岩沢愿彦『前田利家 (人物叢書)』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
前田利家/wikipedia