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【毛利隆元】
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弟の吉川元春や小早川隆景とは?
子供は男女ひとりずつ。
男の子が後の五大老・毛利輝元です。
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夫婦仲の良さの割には少ない気もしますが、そういう体質だったかもしれませんしね。
また、隆元は金銭感覚に優れており、内政にも力を発揮したとされています。
毛利家が敵の多い状況であることをよく理解しており、また誠実な人柄で商人たちから多額の融資を受けることができました。
武功なら吉川元春、調略なら毛利元就・小早川隆景というイメージがありますが、腹が減っては……ならぬ、”金が減っては”戦はできないというもの。
他の家族が戦の下準備や戦闘ができるのは、隆元の金銭感覚と信用のおかげといっても過言ではないでしょう。
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しかし、一時期離れていたこともあってか、弟の元春や隆景とはうまくいかないことも多かったようです。
これについては、隆元から元就あての手紙で
「弟達は自分の家(吉川家・小早川家)のことばかり考えているし、私のことをナメきって、何を相談するにも父上にばかり話すので困っています」(意訳)
と書いていますから、おそらく事実でしょう。
偉大な父のもと自らを卑下するクセ
そんな状況を危うんで元就が書いたのが「三本の矢」こと『三子教訓状』です。
一本の矢なら折れやすいけど、三本なら大丈夫!というやつですね。
この三子教訓状は弘治三年(1557年)に書かれたものですから、隆元34歳・元春27歳・隆景24歳のときのことでした。
ついでにいうと元就は60歳です。
現代の基準でも、この歳になって兄弟げんかを親にたしなめられるというのはちょっと……という気がしますが、戦国武将の場合、放置しておくとそのうち分裂したり命が関わったりするので仕方ありません。
その後、父が正式に隠居しても、やはり実権の所在は変わりませんでした。
元就が偉大すぎたため、隆元は過剰に自分のことを卑下する癖があったので、そのせいかもしれません。
なんせ「父上が隠居したら、私は家を守っていけません。どうしてもというなら、私も息子(※当時年齢一ケタ)に家督を譲って隠居します」(意訳)とまで言っていたくらいです。
現在残っている書状の数々からも、隆元の自信のなさは見て取れます。
三十代後半の頃には、順々に中国地方各国の守護に任じられていますし、隆元を慕う家臣も少なくなかったので、もっと自信を持ってもいいはずなのですが……。
40歳の若さで死 その能力が改めて評価される
元就があそこまで長生きせず、隆元が名実ともに毛利家の主となっていたら、自分の実力を正しく評価することもできたかもしれません。
しかし、隆元は40歳の若さで急死してしまったため、その機会は永遠に失われてしまいました。
山陰の雄・尼子氏との戦いに注力している最中、毛利家傘下の国人に饗応された直後のことだっといわれています。
食中毒・毒殺などいろいろな説がありますが、「宴の直後」というからには、急性アルコール中毒という可能性も考えられますね。
元就の父や兄も、酒が原因で若いうちに亡くなっているといいますし、お酒の許容量がかなり少ない家系だった可能性については本サイトの執筆者・歴女医のまり先生も言及なされてますね。
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隆元が亡くなってから毛利家の収入が減ったり、うまくいかないことが多々出てきて、元就も弟達も隆元の能力を改めて認識したといいます。
だから、普段からお兄ちゃんを褒めてあげてれば……(´;ω;`)ブワッ
一昔前までは「一人だけ無能w」的なイメージで語られる一方でしたが、最近では「隆元って結構スゴイじゃん」という評価も出てきました。
世情が変わったからなのか。
隆元の色んな面が知られるようになってきたのか。
毛利元就の長男だけに、やっぱり蛙の子だったのでしょう。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon)
山本大/小和田哲男『戦国大名系譜人名事典 西国編(新人物往来社)』(→amazon)
毛利隆元/wikipedia