絵・富永商太

織田家 信長公記

信長とホームレス~常磐御前を殺め呪われた一族を救え 信長公記122話

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また、”猿”がどのような障害を持っていたのかも不明です。「代々」ということですから、遺伝性の疾患で身体が不自由だったことは確かだと思われますが。

ここからは私見ですが、ひとつ気になるところがあります。

この“猿”の話が、現在の地名でいうところの不破郡関ヶ原町を舞台としていることです。

 

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浅井家の嫡男を処刑していた……

時を遡ること天正元年(1573年)。
浅井氏を滅ぼしたとき、信長は浅井長政の嫡男・浅井万福丸を関ヶ原町で処刑させました。

浅井長政
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具体的な場所は不明ですし、信長がそのことを覚えていたかどうかも定かではありません。しかし……。

仮に覚えていたとしたら、信長は”猿”の祖先の話を聞いて万福丸のことを想起した可能性もあるのではないでしょうか。

「自分の行い(万福丸を殺害)のせいで、自分の子孫が苦しむのはしのびない」

そう思い、相殺するような徳を施そうと考えたのではないでしょうか。

浅井万福丸
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いくら武士のならいとはいえ「幼くして処刑された万福丸は、自分を恨んだだろう」と感じてもおかしくないし、それでなくても戦で多くの敵兵や一揆勢を殺しているのですから。

あるいは、街道上の要所=今後失うわけには行かない地点での好感度を上げるため――という目的や、ただ純粋に情けをかけたのかもしれませんが。

町人たちにしても、”猿”に同情したのではなく、信長が恐ろしいから言うことを聞いただけという可能性も高いですしね。

なんせ信長が命じるまで、代々”猿”を放置しておいたわけですし。

想像するとキリがありませんが、当時の世相やそれぞれの立場を加味して考えてみると、より楽しめる逸話ではないかと思います。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
『信長と消えた家臣たち』(→amazon
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
『戦国武将合戦事典』(→amazon


 



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