偉大な父の跡を継いだ息子の辿る道は、だいたいの場合二つに分かれます。
父の功績を引き継いで家を安定・発展させるか。
プレッシャーや因縁に押し潰されて滅亡するか。
戦国時代でよく知られている例で言えば、前者が徳川秀忠で、後者が武田勝頼ですかね(本人の能力はさておき)。
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ちょうどその間の時代に、どちらになったかもわからないまま命を落とした人がいます。
この信忠、天正三年(1575年)11月に信長から家督を譲られ、以降、順調に階段を上がっていくような生涯でしたが、最後の最後でとんでもない貧乏くじを引かされます。
【本能寺の変】で自害へ追い込まれてしまったのです。
いったい何がどうしてそうなったのか。
信忠の生涯を振り返ってみましょう。
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信長が城やお宝をポーンと渡した織田信忠
前述のように、信長が家督を譲ったのは天正3年(1575年)のこと。
まだ本能寺の変から7年も前のことで、依然として織田家の最高権力者は信長でした。
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信長はこのとき42歳。
「人間五十年」を意識していたとすれば、そろそろ自分が死んだ後のことをハッキリさせておきたかったのでしょう。
なんせ自身が弟・織田信勝との家督争いで苦労してますからね。
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そのためか、18歳の嫡男・信忠につけたおまけがスゴイ。
本拠だった岐阜城はもちろん、因縁の地・美濃も織田家代々の尾張もまとめてあげちゃっているのです。
家宝の品々もまとめてポーンと渡してしまいました。
中には日本三大敵討ちの一つ、曽我兄弟の仇討ちで有名な曽我五郎由来の太刀【星切】まであったそうですから、気前がいいですよね~。
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信長と比べて暗愚だったと言われることもある信忠ですが、そりゃそもそも比較対象がおかしいというもので。
何よりあの信長がきちんと家督を継承させる意思を見せているのですから、お眼鏡には適ったということになりますよね。
もちろん、そこに至るまでには信忠自身の努力もありました。
子供の頃は奇妙丸 家督を継いで武田攻め
まずは武士としての面から見てみましょう。
子供の頃は「奇妙丸」なんて奇妙な名前をつけられましたが、すくすく育った信忠が元服したのは、元亀3年(1572年)のこと。
つまり、大人とみなされてから家督相続まで3年しか経っていないのです。
その間に石山本願寺との戦いがあり、伊勢・長島の一向一揆があり、長篠の戦いがあり、信長の叔母(おつやの方)を陥落した武田のちょい悪おやじ秋山虎繁(秋山信友)を捕まえたり、これら全てに従軍していました。
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家督を継いだ年には、対武田軍の大将も任されています。
信長は当時、全国各方面に軍団を派遣していた状態。逆に言えば、ほかの方面軍の秀吉や明智らが注視しているなか、決して失敗はできないということです。
そんなときに大将を任されたのですから、信忠は一軍の将として信頼でき、また他の家臣達にも劣らない働きができると見込んだのでしょう。
事実、信忠の攻め口は鮮やかで、武田家を高遠城へ追い詰めたときには信長が「ちょっと危ないから引いとけ」と止めたのを無視したにも関わらず、見事勝利を収めるほどでした。
これにはあの信長も驚いたようで、「お前なら天下を任せてもいいだろう」と最大級の褒め言葉を贈っています。
信玄の娘との婚約をあくまで貫き通す!?
次は、よき夫としての面。
時間を遡って、まだ武田家と織田家が戦をする前、信長が美濃を取ったばかり(1567年)の頃の話です。
敵に囲まれた織田家には余力がなく、強大な武田家と事を構えるのは得策ではありませんでした。
そのため信長は一度頭を下げて、武田信玄へ同盟をもちかけています。
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このとき信長の姪っ子を養女として勝頼に嫁がせたのですが、彼女は子供を産んですぐ亡くなってしまいました。
そこでもう一度婚姻を結ぶために選ばれたのが、信忠と、信玄の六女である松姫です。
時勢が落ち着かないこともあり、松姫はすぐに織田家へ嫁いで来ることはありませんでした。
その代わり、この二人はしょっちゅう文通をしています。
信長の勧めもあったそうで、手紙だけでなく贈り物のやりとりもしていたとか。
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血生臭い戦国時代のことというか、そもそもその一因が当人達の父親だというのに、まるで二人だけ平安貴族のような間柄。
残念ながら織田と武田の同盟は失敗に終わったため、信忠と松姫は直接顔を見ることもないまま婚約破棄となってしまいました。
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