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【信長兄弟とオキシトシン】
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オキシトシン不足は情緒不安定に
オキシトシンはホルモンとしての役目だけでは無く、中枢で神経伝達物質としての働きも持ちます。
母性を高める働き、不安を抑える働きがあり、これにより母親は自分以外の存在である赤ちゃんを信頼するようにできているのです。
この効果は母親だけでなく子にも及び、母親と引き離されたラットは脳のオキシトシン合成量が顕著に低下するという実験結果もあるほど。
幼少期のスキンシップ不足がその後の情緒安定性に関わると考えられるようで、母親と引き離されたラットは成長すると他のラットとの協調性が無く、攻撃性が増す結果が報告されています。
先ほどオキシトシンには他者への信頼性を高める働きがあると言いましたが、スイスの大学生を対象に行った興味深い研究があります。
学生を投資者と信託者に分けて行う投資ゲームでの話。
オキシトシンを投与した群は、偽薬投与群に比べて相手を信頼し、大きい金額を預ける傾向が見られました。
また、ゲームの途中にお金を返却しないことも含めたコミュニケーションを設定した場合、偽薬群では投資額が減少し、相手に対する信用が低下したと考えられました。
一方、オキシトシン群では投資額に変化は無く、引き続き相手を信用した状態が持続していました。
えーと、なんだか悪いことにも使えそうですね。
ただし、オキシトシンの投与経路は経鼻になりますのでこっそり盛るのは難しいそうです。
では、ここから先は土田御前に話を戻しましょう。
「ああ、わたしの信行たん」
土田御前の息子・信長も、武家の慣例に従い乳母に預けられました。
伝承によると信長は癇癪があり、乳首を噛み切るため乳母が次々にチェンジ。
池田恒興の母(養徳院)が乳母となってからはこの噛み切り癖が治ったため、以来「大御ち」と称されたそうです。
ち=乳なので大御乳ということで、立派な乳母さまという意味ですね。
無事に乳をあげれただけでアダ名が付くとは信長ってどんだけなんでしょう。
ちなみにこの乳母さま、後に信秀側室となり、信長にとって腹違いの妹を産んでおります。
そんな癇癪持ちの信長ですから土田御前は敬遠します。
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敬遠すればするほどオキシトシン分泌は減りますので信長に対する信頼や愛着は沸きません。
一方、2年後に誕生した次男の織田信勝(信行)。
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次男ですから、御家にとっては長男よりもどうでも良い存在で、逆に言えば実母と接する時間は長かったのでしょう。もしかすると乳も自ら与えていたのかも知れません。
いずれにせよ信勝とのスキンシップはお互いのオキシトシン分泌を高め、母子の絆は強くなります。
「ああ、わたしの信勝たん♪」状態になっても不思議ありません。
一方の信長は、養徳院に会うまでは乳母からの愛情不足、加えて実の母は弟を可愛がり、当人にはストレスになったことでしょう。
ストレスはオキシトシンの分泌を抑えますので、哀れ信長はオキシトシン不足に……。
土田御前は、皆に好かれる愛情深き女性だった?
ここで幼少期にオキシトシン不足になったラットを思い出して下さい。
周りとの協調性不足や攻撃性……って、なんとなーく信長像に当てはまるところがありません?
※最近は、信長意外にイイ人というか普通説も
いずれにせよ、弟の信勝は信長との家督争いに敗れ、一度は母の取りなしで赦されながら、再び叛心を抱いて謀殺されます。
この時、信勝の子・坊丸(津田信澄)の助命嘆願をしたのも母の土田御前でした。
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彼女は信勝の死後、信長やお市と共に暮らし、信長や市のまだ幼い子供たちの面倒を見ていたそうです。
本能寺の変後は、孫にあたる信長の次男・織田信雄の庇護下で暮らし、信雄の改易後は自身の息子・織田信包のもとへ身を寄せ、文禄3年(1594年)に亡くなりました。
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生年不明なため享年も定かではありませんが、信長を18歳で産んだと仮定すると78歳ですから当時としては結構な長生きですね。
伝記などでは、信長の才能を見抜けず弟を可愛がる悪い母のように描かれる土田御前ですが、信秀との間にたくさん子が居たことや、孫の面倒を見たエピソード、信雄&信包に保護され80歳近くまで生きたことを考えると、本当は皆に好かれる愛情深き女性だったのではないでしょうか?
信長が小さいうちにもっとスキンシップをしていたら、歴史が変わった可能性も否めません……。
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文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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【参考】
一般社団法人三重県畜産協会(→link)
健康道場-総合医療 高橋医院(→link)
金沢大学(→link)
妊娠・出産・赤ちゃん Dear Mom(→link)
土田御前/wikipedia
織田信長/wikipedia
織田信行/wikipedia
養徳院/wikipedia
乳房/wikipedia
オキシトシン/wikipedia
プロラクチン/wikipedia
乳母/wikipedia
母乳/wikipedia
meiji(→link)