『鬼滅の刃』でもお馴染みですが、戦国時代にもこの異名を持つ武将は多く存在しました。
「井伊の赤鬼」こと井伊直政。
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「鬼柴田」こと柴田勝家。
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「鬼武蔵」こと森長可(もりながよし・森蘭丸のお兄さん)。
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などなど鬼オールスターズといってもいいほどで、今回の主役は武勇だけでなく外交戦略にも長けた万能選手でした。
天文十六年(1547年)2月16日に「鬼義重」こと佐竹義重が誕生。
黒田官兵衛と同世代で豊臣秀吉ともちょくちょく関わっていた人です。
しかも佐竹氏は平安時代からの名家(ご先祖様が源義光で武田信玄と同じ)で、ずっと常陸(茨城県)に基盤を置いていた由緒正しいお家。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で登場した武田信義の二代前から分かれています。
源義光―源義業―佐竹昌義……
源義光―源義清―源清光―武田信義……
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北条氏との戦で一度に七人を切り伏せたという逸話から鬼義重と言われたのですが、武勇だけでなく頭脳戦も得意な方でした。
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関東の雄・後北条氏とぶつかる一方で
義重は永禄5年(1562年)、15歳で家督を継いでいます。
父・佐竹義昭が健在の間は実権を握っていたとは言いがたいものの、上杉謙信と結んで小田氏や武茂氏などの関東諸将の城を奪っています。
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やはり戦や外交の才能は元々持っていたのでしょう。
やがて関東の大大名・後北条氏ともぶつかることになります。
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が、その度に関東や東北の大名と連携するなど、臨機応変に対処。
関東・東北の大名としては比較的早く豊臣秀吉にも接近しており、足元だけでなく上方と連絡を取ることの重要性にも気付いています。
上方対策は、もっと北(山形)にいた最上義光なども上手でしたね。
北には政宗、南には氏政で絶体絶命
時代が進み、佐竹氏は二つの困難に直面します。
そんな野心家たちのサンドイッチ状態になってしまったのです。
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普通の人ならここで泣き言をほざくところですが、鬼と言われるほどの人ですからそんなことはありません。
まず、政宗に対しては東北の事情を鑑みて、伊達家に反感を抱く大名へ連絡を取ります。
すると出るわ出るわ不満の嵐。
まあこれは政宗がとある城で撫で斬り(皆殺し※ただし実際は記録の数ほどではないとも)をやってしまったからで、彼にしても【親戚だらけで生ヌル~い奥州の小競り合いにケリをつける!】という目的があったとも。
しかし東北のほとんどの大名に、傍若無人な政宗の恐ろしさだけが印象付けられ、伊達家への反感が強まっていきました。
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