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【神吉城の戦い】
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結局、尼子&鹿介の主従は敗死へ
6月29日には、信長から新たな命令が届きました。
「毛利の水軍に備え、要所に陣を用意せよ」
石山本願寺攻めでも、毛利方の水軍によって兵糧を運ばれてしまい、織田軍が苦戦していたからでしょう。
新たに陣を設置するため、津田信澄(織田信勝の息子にして信長の甥)と山城衆、そして万見重元がやってきました。
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適切な山に陣を布いたことを確認し、重元は信長へ報告するために帰っています。
また、信忠の命により、街道の要所要所を諸将が交代で警備した、とあります。
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おそらくは、三木城攻略前に毛利氏や本願寺による横槍が入らないように……ということでしょうね。
『信長公記』には記載されていませんが、毛利軍に囲まれていた山名幸盛(山中鹿介)の上月城は7月5日に降伏。
再興を願っていた主君の尼子勝久は切腹となり、鹿介は人質として連行される途中で毛利方に暗殺されました。
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非情な見方をすれば、織田家からはほとんど損害を出さずに、毛利軍の足止めができたということになりますね……。
ちなみに、7月8日には京都・金蓮寺で火災が起きたという記述もあります。「あった」ということだけで、詳細は書かれていません。
神吉城と志方城が続けて陥落
そして7月15日。
とうとう滝川一益と丹羽長秀の部隊が、神吉城東の丸への侵入に成功します。
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翌16日には神吉城中の丸へ攻め込み、城将・神吉則実を討ち取りました。
天守に火をかけ、残党と戦っているうちに燃え落ちたため、敵方の将兵の多くが焼死したといいます。
神吉城西の丸は村重が攻め、立てこもっていた神吉藤大夫が降参を申し出てきました。
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これを信盛と村重が信長に知らせると「赦免しても良い」とのことだったので、一命を助けています。藤大夫は志方城へ退去しましたが、すぐにこの城も織田軍に攻め取られました。
志方城については降参を受け入れたためか、あまり戦闘の経過が書かれていません。
神吉・志方両城ともに秀吉が受け取りを済ませ、志方城からは人質を取っています。
信長公記ではこの後の経過が一部省略されているのですが、織田軍はさらに三木城の支城をいくつか落とし、拠点を築いて、本格的に長治らを孤立させています。
しかしこの後に起きた”とある出来事”によって、三木城の攻略はかなり先延ばしになってしまうのです。
『信長公記』の記述としては、その前にいくつか別の話題が入りますので次回からはそれを見ていきましょう。
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信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)
















