江戸時代の火縄銃/wikipediaより引用

合戦・軍事

どうする家康は火縄銃の扱いが雑すぎないか 連射に脅しで次は長篠?

江戸時代の創作だと思われる小豆袋のエピソードが、公式ツイッターで「史実である」と記されるなど。

時代考証が妙ではないか?と囁かれる大河ドラマ『どうする家康』。

小豆袋
お市が信長に送った“小豆袋”は史実と断定していいの?どうする家康

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序盤からその筆頭に挙げられているのが火縄銃です。

◆『どうする家康』第2話で早くも“脱落”する視聴者続出「このノリについて行けない」「時代考証雑すぎないか」(→link

当時の銃は一発ずつ弾を込めていたのでは?

というのは、歴史の授業でも習うような話ですが、本作では、あたかも連射しているように描かれ、早くも第2話から以下のように批判されることとなりました。

「第2話で、松平の軍勢が敵の奇襲に応戦する際、火縄銃を連射しているシーンがありました。当時の火縄銃が単発式だったのは、中学生でも知っているはずです。

ほかにも、信長が桶狭間の時点で西洋のマントを着用していたり、今川義元の首をぶら下げた槍を馬上から投げるなど、思わず首をかしげるシーンがいくつもありました。槍を投げるのは、台本にはなく、監督のアイデアだったようですが……。いくらエンタテイメントとはいえ、あまりにやりすぎな感は否めません」(テレビウオッチャー)

それだけではありません。

第3話では、織田信長水野信元を火縄銃で脅す場面があったり、第15話では、あろうことか織田軍が徳川家康の陣へ銃をブチ込むという凶行に走るのですから、視聴者が驚くのも無理はありません。

むろんドラマですから話の展開はフィクションで構わぬ一方、当時の火縄銃が実際どれぐらいのスペックを有し、日本にどれだけ広まっていたか、気になる方もおられるでしょう。

火縄銃の歴史と共に振り返ってみましょう。

 


火縄銃は連射できるのか?

火縄銃は連射できるのかどうか?

その回答を出す前に、まずは幕末の武器事情を確認しておきたいと思います。

当時、西洋列強から武器を輸入した日本人は、その性能に驚きながらも理解を深めてゆきました。

優劣を大きく分けたのが【前装式(先込め)】と【後装式(元込め・後込め)】です。

前装式:銃身の先端側から、弾薬を装填する方式

後装式:銃身の尾部から、弾薬を装填する方式

ヨーロッパでは【ナポレオン戦争】まで銃も大砲も【前装式】が中心。

確かに【後装式】は存在していたものの主力とはならず、そのナポレオン戦争で大きな変化が出ます。

イギリス陸軍が世界初の狙撃手部隊を組織したのです。

グリーンジャケット
世界初のスナイパー部隊・英軍グリーンジャケットがナポレオンを撃破する

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それまでも狙撃に特化したライフルはありました。しかし専門の部隊が組まれるほどではありません。なぜか?

【前装式】の銃では装填スピードが重要であり、ライフリングを施された狙撃銃では時間がかかってしまう――ゆえにナポレオンは却下したのです。

一方、その可能性を諦めなかったのがイギリスのジョン・ムーアでした。

ライフルへの装填をできるだけ素早く行い、かつ遠距離から狙撃を行う第95ライフル連隊を組織。「グリーン・ジャケット」と呼ばれた彼らは猛威をふるいました。

そしてアメリカで【南北戦争】が起こると、画期的な兵器の進歩が訪れます。

【後装式】ライフルという、それまでの常識を覆す銃が登場したのです。スペンサー銃と言います。

日本にとっての不幸は、この南北戦争が終結したタイミングでしょう。

ちょうど混乱期を迎えていた幕末、グラバーら英国商人は余った武器の転売先として開国したての日本に目をつけました。

フランスと手を組んだ将軍(江戸幕府)を倒した方が、イギリスにとっては旨味がある。薩摩や長州に、余った武器を売りつければよい――そう考えた海外の商人たちが、日本に武器を持ち込んだのです。

あくまでビジネスチャンスの話であり、先見性だのなんだの、そういう単純な話ではありません。

幕府陸軍に対しては、フランス産【後装式】のシャスポー銃が支給されましたが、京都守護職で財政難に陥っていた会津藩は【前装式】のゲベール銃が主力。

「これでは勝てねえ!」

と嘆きたくなる状況だったのです。

とはいえ会津藩に【後装式】スペンサー銃がなかったわけではありません。

唯一装備したのが山本八重であり、籠城戦で狙撃の腕前を披露したのはドラマでもよく知られたところでしょう。

『どうする家康』の10年前に放映された大河ドラマ『八重の桜』では、かなり綿密な武器考証がなされておりました。

第1回冒頭がアメリカ【南北戦争】であり、スペンサー銃を扱う大河にふさわしい幕開け――と、そうした細かな描写は『どうする家康』では不要と判断されたのか。

それより「派手なガンアクションでいこうぜ!」というスタンスで取り組でいるのかもしれません。

例えば戦国時代をモチーフとした各種ゲームにしたって、銃が前装とか後装なんて、細かいことは気にしないですもんね。

前置きが長くなりましたが、そろそろ結論を。

戦国時代の火縄銃は【前装式】です。連射できません。

 


【長篠の戦い】の伏線かも?

火縄銃の考証がおかしい――ドラマ放送を機にSNSなどで一斉にツッコミが入ると、擁護する意見も見かけました。

趣旨をまとめるこんなところです。

「そんなことわかっているんだ。だからこそ、織田信長は装填した火縄銃を、カメラでは映らないお付きの者に持たせている。

自分の銃を撃ったら、お付きの者から銃を受け取って撃つ!

長篠の戦い】の伏線なんだよ」

果たしてそうでしょうか。

基本的に木造である日本の建築物は、火災に弱い。水野信元を脅すためだけに、装填した銃を複数抱えた者がいるとすれば、それはそれで不用心ではありませんか。

連射は、見た目の迫力重視で描かれただけで、伏線などあるのでしょうか。

また別の疑問もあります。

三河の国衆が大量に入手できるほど、鉄砲は普及していたのか?

火縄銃の存在は、『麒麟がくる』の序盤でも、重要な役割を果たしていました。

第1話で、明智庄に襲いかかった山賊たちが持っていた。それを目の当たりにした光秀が実物を求めて探索することが、序盤の展開になります。

家康よりも一回り以上年上の光秀が、青年期に普及し始めた火縄銃を求めて右往左往している。

ならば家康が成長した時代には、きっと大量にあったはずだ――というわけで、このことを少し掘ってみましょう。

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