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【どうする火縄銃】
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問題は火縄銃というよりも
『どうする家康』は、新解釈なのか、シン・大河なのか。
なんだか言葉遊びでごまかされているような印象をお持ちの方も少なくないでしょう。
先行作品を踏まえてみるとこうなります。
『八重の桜』の幕末明治ならありえた【後装式】と思えるガンアクションが『どうする家康』にも出てくるが、両者を比較すると今年は拙く思える。
『真田丸』で描かれた国衆と何か違う! 前述のように経済状況に疑念のある国衆がこんなに鉄砲を得られるのか?
『おんな城主 直虎』ほど経済活動が描かれていない。
『麒麟がくる』の序盤と、火縄銃の扱いが違いすぎて何が何やら……。
あるいは別の角度、戦国ゲームと比べてみても、『どうする家康』はやるべきことを圧縮し過ぎています。
とにかく内政や経済コマンドがありません。
コーエーテクモさんの『信長の野望』はそこが大変であり、同時にゲームを面白くする要素になっています。
なんとかして米や金をやりくりして、武器や兵を揃えて、よっしゃ次はここの敵へ攻め込んだるぞ!といった焦らされた挙げ句のワクワク感がプレイヤーを興奮させる。
一方『どうする家康』はガチャで強いSSRカードを引き、タップだけでクリアできてしまう――そんな出来の悪いソーシャルゲームを彷彿とさせるのです。
ソシャゲなら、カードグラフィックに神絵師を使い、Googleで大々的に宣伝すればどうにか売れるかもしれない。
しかし、大河ドラマファンは、内政や経済コマンドに期待する層も多くいるのではありませんか。
そこに絶望的なズレがあると感じるのです。
要は、需要を見誤った制作首脳陣のマーケティングミスですね。
わかりやすいから火縄銃が叩かれていますが、考えてみるとそれ以前の問題というわけです。
どうするマーケティング――公共放送でそんなことを考えるのも妙な話ですが、あらためて本作首脳陣やNHKにそう問いかけたくなります。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
佐々木稔『火縄銃の伝来と技術』(→amazon)
宇田川武久『鉄砲伝来の日本史』(→amazon)
他