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【どうする火縄銃】
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鉄砲の普及はどうする?
戦国時代、布教を求めて来日した宣教師は「あちこちで火縄銃を見た」と驚きをもって記しています。
問題は、彼らが、いつどこでそれを見かけたのか?
例えば畿内と奥羽では普及速度に差があります。
ドラマに的を絞って考えてみますと、第2話の時点で、当時の三河国衆が火縄銃を大量に保持できたのか?
経済観点を考慮すると、なかなか厳しいのではないでしょうか。
『麒麟がくる』でも、経済と火縄銃の関係が描かれました。
海に接した尾張は、経済的に優位。内陸にある美濃は、尾張と手を結んで経済活性化を狙いたい。
かくして婿となった信長と、道三が面会するとき、帰蝶は鉄砲を大量に手に入れ、夫の信長一行に持たせることとしました。
その際、帰蝶はこんな工夫をしています。
・諸国漫遊する芸人一座の伊呂波太夫に鉄砲入手を依頼する
→流通ルートの確保。紀州雑賀衆経由で得た
・依頼するために、伊呂波太夫に金を大量に渡す
→尾張の財力
帰蝶がいかに聡明であろうが、流通ルートと経済という点が揃っていなければ、この手は使えません。
こうした状況を踏まえると『どうする家康』序盤で、鉄砲を大量確保することはかなり厳しいのではないでしょうか。
他ならぬドラマで以下のような状況が描かれています。
・三河に金がない!
三河を統一することもできず、苦戦する徳川家康は“財政難”だと言い募り、一向宗の本證寺から強引に米を奪っていました。
史実では「不入権」の侵害が一揆の契機であったはずなのに、財政難を解決するという設定にしたため、プロットが歪んでいます。
こんな無茶苦茶な山賊操業をしているとなると、三河一帯は経済低迷地域のように思えてくる。
そんな国に、誰が鉄砲を売るのでしょうか?
・治安が悪い!
このドラマの世界観では、見るからに怪しい巫女や遊び女とくノ一がうろついており、機密や治安が保たれていません。
こうなると物流も停滞しがちであり、強奪が発生してもおかしくない。
自然と財産保持も難しくなり、大量の鉄砲確保も説得力を失ってしまう。
『麒麟がくる』でも、旅をする光秀は途中で襲撃に遭うなど、苦労を強いられていました。
そんな地域ごとの差もあり、統治能力といった力量が垣間見えてきます。
政経の描写が少なく説得力に欠ける
火縄銃だけではありません。
『どうする家康』はここ十年以内の中世大河で描かれてきた要素をおざなりにしていると思えます。
肝となる作品の特徴を振り返ってみましょう。
・2016年『真田丸』
国衆が大きく扱われた大河。
真田一族のサバイバルを通して、広くその像を知らしめた功績は大きかった。
その国衆像が、序盤の『どうする家康』ではあまり活かされているようには思えません。
・2017年『おんな城主 直虎』
二年連続、国衆を主役としています。
経済描写も重視されており、乱世でいかに産業を開発し金を得ていくか――そういう地に足付いた戦国期の状況も描かれました。
また、当時の女性が家を相続すること、政治権力を描いた作品ともいえます。
主人公の井伊直虎は言うに及ばず、義元亡き後の今川家を支えた寿桂尼の力量も見応えがありました。
『どうする家康』では、今川氏真を再評価しているという意見もあります。
しかし、それは既に『おんな城主 直虎』で実現していること。『どうする家康』の氏真のように、家がバラバラになっていく中、“夜伽役”を求めて悪化させるような愚行はしておりません。
明らかに『おんな城主 直虎』における今川氏真の描き方のほうが良心的でしょう。
・2020年『麒麟がくる』
鉄砲の普及ひとつとっても、経済や物流を絡めた秀逸な描き方でした。
足利義輝に仕える三淵藤英は、暗愚ではないけれど、鉄砲の入手と活用には否定的。
先見の明がないのではなく、それだけ室町幕府には金も物流を制する力もなかった証に見えました。
それと比較すると『どうする家康』の織田信長は、
「ともかく強ええからなんでも手に入るんだ!」
という描写です。清洲城はさんざん紫禁城だと突っ込まれていました(実際の紫禁城はさほど似ていませんが)。
・2021年『鎌倉殿の13人』
史料の読み込みがうまい作品です。
三谷幸喜さんが原作と考えたという『吾妻鏡』の使い方が巧みでした。
『吾妻鏡』は信憑性に疑念があり、話半分だと思って受け止めるもの。そこに新説や独自の解釈を取り入れつつ、フィクションで面白い落とし所を探っていました。
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