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お城野郎! 織田家 浅井・朝倉家

姉川の戦いが雌雄を決する大戦にならなかった意外な理由 【シリーズ信長の城vol.6】

更新日:

 

【編集部より】

織田信長の足跡を「お城視点」から分析してみよう!という当企画。

戦国時代の城は、軍事的にも政治的にも最重要拠点であるからして、その展開を見れば、信長の思考も自然に浮かび上がってくるということで、今回はかの有名な「姉川の戦い」にスポットをあてました。

よろしければ過去記事と合わせて御覧ください。

 

【本文ここから】

「いつになったら安土城やるんだ!」「安心してください、いろいろ仕込んでます」

シリーズも第6回を迎え、そろそろ安土城をご紹介!

と思いましたが、信長の築城思想を垣間見ることのできる支城群の動きや、他の城郭戦を見ていくと、より一層リアルな安土城が浮かんできます。

てなわけで今回は信長の城郭戦と姉川の戦いを中心に追っていきたいと思います。

お城野郎ワンダーキャッスルジャパン20151208-1

赤が織田勢力下の城で、青が浅井方。彼等の裏切りで美濃―京都間は分断されてしまう

 

朝倉を討つべく軍を北に兵を向けた織田信長。浅井長政の突然の裏切りにより命からがら岐阜に逃げ帰ると、早速、反撃に出ます。

が、これまで北近江は信長の戦略外でしたので、新たに同地方攻略の戦略も立てられました。

まず最重要課題は岐阜城と二条城を結ぶルートの確保です。それもただの連絡路ではいけません。ようやく自前の家臣団と軍事力を持ち始めたとはいえまだまだ非力な足利義昭の権威の後ろ盾として、織田家の軍事力は必須。
現代でもそうですが、巨大な軍事力が背景にあってこその強い権威と外交力なのです。そして何かあったら常に織田軍団が畿内に駆けつけるぞ、という安全保障があってこそ、織田家と足利将軍家による畿内支配、すなわち天下布武が成り立つのです。

そのため岐阜城と二条城を結ぶルートは、素早い進軍が可能かつ安全な軍用道路でなくてはなりません。

美濃から京へ至る道は、信長が金ヶ崎から逃げ帰った千草峠越えなど複数ありますが、やはり重要なのは美濃から関ヶ原を抜けて琵琶湖沿いに南下して南近江から上洛するルートです。
この道は今のところ、二条城-宇佐山城-長原城-長光寺城-旧安土城までは織田家の重臣を各地に置いて保持していますが、石部城や鯰江城には六角義賢、義治父子が潜み、ゲリラ戦の根城となっておりました。
佐久間信盛や柴田勝家らの奮闘で今のところ南近江ゲリラはなりを潜めていますが、観音寺城の北、愛知川の先の佐和山城や横山城は浅井家が支配しており、南近江から岐阜城へ至る軍用道路はここで完全に断たれてしまいます。

ということで、信長の今回のミッションは、まず京への進軍ルートを回復すること。これから始まる浅井・朝倉連合軍との戦いは、裏切りへの報復や恨みというアウトレイジな理由よりも、畿内を勢力圏に置く「天下布武」の運営上、必要な措置なのです。

 

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近江―美濃国境の最前線化で新たな城が登場!

次に裏切り後の浅井家の戦略をみてみましょう。

浅井家の方針は基本的には変わりません。北近江と琵琶湖の経営を維持することです。北近江外への領土拡大の意図はありません。

しかし領土内への織田家の軍事侵攻は絶対に許せません。ここで浅井家の北近江を取り巻く地政学について少し詳しく見てみましょう。

琵琶湖東岸の小谷城を本拠地に、北部は北国街道で越前に繋がり、南部は琵琶湖沿いに南下して南近江に繋がります。途中で東山道が東へ分岐して、これが美濃へとつながります。
東部は軍の進軍が不可能な山岳地帯で、唯一、関ヶ原経由の隘路で美濃に至ります。西部は広大な琵琶湖が広がります。

浅井家の地理的特徴として、この琵琶湖が重要です。

関西圏への単なる水瓶だと侮ってはいけません。琵琶湖は莫大なカネを生むのです。

琵琶湖の水運は敦賀と京、大坂を結ぶ巨大な商業利権を生み、堅田衆などの琵琶湖の水運や漁業権を担った湖族を生み出しました。
浅井家はこの湖族の権利を保証し、彼らの信仰の中心でもある竹生島信仰の最大の後援者となることによって、味方に付けて琵琶湖全体をゆる~く支配しています。

つまり浅井家の支配圏は琵琶湖そのものに加えて、琵琶湖の西岸や南岸各地の港町も浅井の勢力圏と考えなくてはなりません。
琵琶湖にへばりつくように細長くつながる土地だけが浅井家の領地ではないのです。西部は琵琶湖を含む比叡山の麓が国境であり浅井家の勢力圏なのです。

 

では、隣り合う比叡山との関係はどうでしょうか。
古来より近江には寺院の荘園領地が各地に散らばっていました。もちろん比叡山延暦寺の寺社領もあります。

寺社領には代官を置きます。代官が独立して戦国領主となることもありますが延暦寺の寺社領は延暦寺の支配下で厳格に管理されていました。
そのような寺社領が散らばる近江でも、浅井家は彼らの土地を奪うのではなく、所有を保証することで北近江の支配権を確立してきました。

じゃあ浅井家なんていらないじゃん?

と思いますが、国人衆同士の土地の境目争いが起こっても、戦国時代には裁判所もなければ奉行所もありません。もはや機能していない守護に相談してもなしのつぶてですので、京に出向いて将軍にお伺いを立てるわけにもいきません。

そんなとき公明正大にジャッジできて地元の事情にも詳しい人物がいると話が早いわけです。それが浅井家の存在意義です。

浅井家がトップダウンの組織ではなく北近江の国人衆の連合組織なのはそういう理由です。そのようなゆる~い支配で浅井家は北近江の支配権を保ってきたので、延暦寺との関係も良好なのです。

 

ということで浅井家は、北部の越前、若狭方面は今や盟友となった朝倉家、西部は延暦寺と友好関係にあるので、美濃方面からの織田方の侵入を阻止するのが肝なワケです。

その際、横山城を対美濃方面の最前線の城として、また佐和山城をかろうじて信長が維持している対南近江の最前線の城として、織田方諸城の陥落が大戦略となります。

そのために今や主人なき南近江の国人衆や寺社勢力に対しても権利を保証することで次々と味方にしていきます。かつて浅井家の天敵で、織田家に対してゲリラ活動を展開する六角家さえも味方にします。

長々と書きましたが、もうお気づきでしょう。浅井家はこの時点で決して孤立していたわけではないのです。

織田家を裏切った理由も感情的なものではなくて、勝算あっての裏切りだったことがお分かり頂けたでしょうか。

 

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