こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【戦国ブギウギ78話】
をクリックお願いします。
ついに動く
◆かつては鬼柴田と恐れられた勝家さん。確かに調略は似合いません。
そして、そんな荒武者イメージから、賤ヶ岳の戦いでも負けるべくして負けたというイメージで現代では語られますが、当時の勝家は他家との連携も進めており、あと少しだけ情勢が変われば勝利していたかもしれません。
そこで甥の佐久間盛政が進めたのが、相手の陣中へ切り込む「中入り」という戦法でした。
※中入り=小牧・長久手の戦いでも実行された作戦ですね
-
秀吉vs家康の総力戦となった「小牧・長久手の戦い」複雑な戦況をスッキリ解説
続きを見る
大岩山砦
◆柴田勝家の甥っ子にして、「鬼玄蕃」と称される佐久間盛政さん。
叔父と甥っ子が揃って「鬼」の称号を付されるのですから、やっぱり血って凄いですよねー。
-
鬼玄蕃と称された尾張の戦国武将・佐久間盛政~勝家の甥は秀吉の誘いを笑って一蹴
続きを見る
今では、勝家の命令を無視したことが賤ヶ岳敗戦の原因だとされ、不名誉な一面もありますが、敵陣へ先頭切って突っ込んでいくのですから、その根性たるやハンパじゃありません。
ただ、相手が悪かった……このころはキレッキレの秀吉だったのですから……。
※賤ヶ岳の戦い詳細は以下の記事にございます
あわせて読みたい関連記事
-
熊本城の戦い(西南戦争の緒戦)で西郷が痛恨の敗北~会津の山川も駆けつけ
続きを見る
-
豊臣秀吉の生涯|足軽から天下人へ驚愕の出世 62年の事績を史実で辿る
続きを見る
-
豊臣秀長の生涯|秀吉の天下統一を実現させた偉大なるNO.2その功績とは
続きを見る
-
織田家を支えた猛将・柴田勝家の生涯~なぜ「鬼柴田」は秀吉に敗れたのか
続きを見る
-
鬼玄蕃と称された尾張の戦国武将・佐久間盛政~勝家の甥は秀吉の誘いを笑って一蹴
続きを見る
-
織田家に欠かせない重臣・丹羽長秀の生涯「米五郎左」と呼ばれ安土城も普請
続きを見る
-
信長の次男・織田信雄は本当に愚将だったのか?信長の血を後世に残したその生涯
続きを見る
-
秀吉の軍師とされる黒田官兵衛の生涯~天下人を狙える器だったというのは本当か
続きを見る
-
戦国武将・高山右近~信長や秀吉に重用されたキリシタンはなぜマニラに没した?
続きを見る
-
福島正則の生涯|秀吉子飼いの戦国大名が徳川政権で喰らった改易の悲劇
続きを見る
-
加藤清正の生涯|秀吉期待の子飼い大名は大坂の陣を前に不可解な最期
続きを見る
-
脇坂安治の生涯|賤ヶ岳七本槍の一人は関ヶ原の裏切者か功労者か?
続きを見る
-
豊臣恩顧の片桐且元が家康と淀殿の間で板挟み~そして「大坂の陣」は勃発した
続きを見る
-
石田三成の生涯|秀吉と豊臣政権を支えた五奉行の頭脳 その再評価とは?
続きを見る
-
信長家臣の滝川一益は織田家最強のオールラウンダーだった?62年の波乱な生涯
続きを見る
-
信長の三男・織田信孝の生涯~秀吉に敗れて迎えた無念の切腹は“十字腹”だった?
続きを見る
-
豊臣五大老・前田利家 “槍の又左”と呼ばれ加賀百万石の礎を築いた武将の生涯
続きを見る
-
信長親衛隊・赤母衣衆から大名へ出世した金森長近~意外と波乱な生涯85年に注目
続きを見る
-
秀吉「中国大返し」の全貌|本当は普通の行軍だった?伝説的進軍の真実
続きを見る
-
秀吉vs家康の総力戦となった「小牧・長久手の戦い」複雑な戦況をスッキリ解説
続きを見る
著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!