本能寺の変が起きて以来、山崎で明智光秀を討ち、賤ヶ岳で柴田勝家を倒すなど、順調に天下人街道をのぼっていた豊臣秀吉。
最大の障壁として立ちはだかったのが徳川家康だった。
1584年3月、そんな両者は初めて激突する【羽黒の戦い】。
後に秀吉側からは森長可や池田恒興などが戦死者するなどの犠牲を出しながら、しかし、両軍は決して大戦に発展することはなく、そのまま半年が過ぎていった。
一体、この戦は、誰がどう終わらせるのか――。
小牧・長久手の戦い編、いよいよ最終回!
講話への道
◆滝川一益を蜂起させて家康の背後を衝こうとするなど、なりふり構わなかった秀吉は、遂に方角を南へ向けました。
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その先にいるのは、この合戦の総大将でもある、アノ御方。
信長の子どもたちの中でも愚将として知られる……。
信雄陥落
◆勝手に伊賀を攻めてボコられたり。家臣を疑って殺したり。
数々の失態で知られる織田信雄さんですが、その最たるケースがこのときだったのかもしれません。
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目先の恐怖に負け、家康を放置して秀吉と和睦――。
だからこそ世紀の凡将扱いされるのかもしれませんが、この信雄さん、結局、1630年まで生き永らえておりますので、本当の勝者だったのかもしれません。
秀吉と最後までガチでやりあっていたら、殺されても不思議じゃなかったですしね。
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