朝倉義景を討つため、越前に侵攻していたところ、突如、浅井長政に背後を襲われた織田信長。
命からがら京都(から岐阜)へ戻ってきた信長は
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すぐさま反撃に出ます!
しかし敵は、実のところ眼前の浅井・朝倉だけではありませんでした。
畿内全体にじわじわと広がる反織田信長の連合軍。
それは【第一次信長包囲網】と呼ばれる苦境の始まり……ということでマンガ「日本史ブギウギ」第157話スタート!
織田陣営
浅井家に嫁いでいた信長の妹・お市の方が、夫の裏切りを兄へ伝えたという【小豆袋の逸話】は後世の創作でしょう。
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命からがら脱出した信長は帰国するや、すぐさま浅井への反撃に出ました。
そう。
【姉川の戦い】の始まりです。
浅井親子
一説には、浅井長政は信長を裏切る気はなく、父・浅井久政やその周辺の国衆の圧力により、織田家を捨て従来の同盟相手・朝倉家を選んだとも目されています。
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場所は以下のグーグルマップでご確認ください。
右から
黄色=岐阜城
紫色=姉川古戦場
赤色=小谷城
となります。
長政らが信長を裏切って有利なポジションに立ったはずなのに、地図上では浅井が攻め込まれたようなカタチですよね。
積極的に岐阜(織田)へ攻め込んだりはしていない。
こうした状況を見ると浅井家には、織田家と対峙する際の指針や覚悟が足りなかったようにも思えてきます。
頼りになるヤツ
姉川の戦いで織田の援軍として駆けつけた徳川家康。
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戦い自体は、磯野員昌に突撃されて苦戦する織田軍を、徳川軍がヘルプしたという言い伝えです。
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徳川サイドの情報により信憑性に問題があるとされますが、他に有力な史料もなく通説とされています。
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