今なお織田信長の功績が詳細に語られるのは、この一冊があるお陰――。
それが『信長公記』です。
太田牛一が著したもので【首巻+本編十五巻】の計16巻からなる一代記は『源氏物語』にも負けない超大作でありましょう。
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人気の大河ドラマ『麒麟がくる』でも、ストーリーの多くが『信長公記』に則って進められておりました。
そんな信長公記における中盤のクライマックスと言えば、やはり長篠の戦い。
「巻八」に掲載された
織田信長&徳川家康
vs
武田勝頼
という世紀の一戦とはいかなるものだったか?
マンガ「日本史ブギウギ」第162話スタート!
時系列
◆『信長公記』は戦国期の代表的書物の一冊であり、本サイトでも解説連載をしております。
→【信長公記】
しかし著者の太田牛一さんそのものに注目した作品ってあまり見られないですよね。
文化系だけあって丹羽長秀さんの部下となり、官僚的な仕事を任されていたとされます。
丹羽長秀は安土城も普請した織田家の重臣「米五郎左」と呼ばれた生涯51年
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まぁ、戦場で突撃するタイプには思えませんよね。
佐久間は許さん
その義景さんですが、織田信長の奇襲にビビッてすぐに国元へ帰ろうとするのですが、このとき朝倉軍を真っ先に追撃したのは信長の部隊でした。
明智光秀はじめ他の家臣たちは何をしていた?というと、まさか援軍に来たばかりの朝倉軍が引き返すとは思わず油断していたんですね。
信長が「お前ら遅い!何やってんの!」とキレたとき、ここで佐久間信盛さんがこう口答えしたと言います。
「そうは言いますけど、私達ほど有能な家臣団は他におりませんよ」って……やったらイカンやつですわなぁ。
後の天正8年(1580年)、佐久間は織田家から追放されます。
織田家の重臣・佐久間信盛はなぜ信長に追放された?退き佐久間の最期
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詳細は上記の記事にて……。
ネバギバ将軍
◆往生際も諦めも悪い男――。
信長と共に上洛し京を追われた足利義昭(15代将軍)その後どうなった?
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それが足利義昭さんですね!
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