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【まんが日本史ブギウギ182話】
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作戦会議
◆真田信繁の他にもいた大坂城の猛将たち。
その最たる存在が後藤又兵衛基次さんでしょう。
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黒田家の猛将・後藤又兵衛基次はなぜ大坂に散った?56年の生涯まとめ
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もともとは黒田官兵衛に仕え、そして嫡男の黒田長政と大喧嘩をして、同家を追放されたうえに
【奉公構(ほうこうかまい】
まで出されてしまった武将です。
奉公構とは
「この武将を絶対に雇うなよ! もし雇ったら黒田家の敵と見なしてガチで戦争すっからね!」
という、最もキツい破門ですね。
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史実の黒田官兵衛は本当に軍師や天下人の器だったか?生涯59年まとめ
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官兵衛の嫡男・黒田長政とは?偉大な父を持つ二世の苦悩56年の生涯
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トップクラスの大藩・黒田家と喧嘩できるところなんてほとんど無かったでしょう。
かくして基次は、ほとんど行き場を失っていたのでした……。
道明寺
◆現実主義の政宗さんてば!
間違っちゃいない……とは思うけどさぁ。
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史実の伊達政宗 ド派手な逸話はどこまで本当?生涯70年の検証まとめ
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なお、大坂夏の陣で起きた各戦いをまとめた記事が以下にございますので、よろしければ後ほどどうぞ。
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大坂夏の陣~全貌がわかる各武将の戦闘まとめ~幸村や又兵衛の散り際
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誉田の戦い
◆真田信繁――というか戦国時代でも際立ってカッコいい台詞No.1がこれでしょう!
「関東勢百万と候へ、男は一人もなく候」
ご存知だったでしょうか?
簡単に訳すと
「関東の軍勢は百万人もいるが、男は一人もいないのだな!」
という意味になります。
まぁ、この伊達軍との戦いを経て真田信繁は片倉重長に自分の娘を託するんですけどね。
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幸村の娘・阿梅姫を救った片倉重綱!大坂の陣100年後に仙台真田氏が復活
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政宗ではなく片倉に預けた信繁のナイス判断なことよ。
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