こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【仁義なき自爆 久秀死闘篇】
をクリックお願いします。
天文10年(1541年)のことであり、その才は有能な官吏にとどまらず、戦場での駆け引きや文化芸術にも発揮された。
特に築城においては比類なき技術の持ち主。多聞城の建築も手掛けている。
しかし信長を二度も裏切り、そして滅ぼされたエピソードが時代を経るに従って肥大化していったのだろう。
これ全て、史実に非ず――。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
平蜘蛛の手榴弾入れ
高価な茶釜を抱いて死ぬ――その破滅的ロマンスに心惹かれる戦国ファンには残念な話かもしれない。
されどフィクションぐらいは大いに遊んでもよかろう。
テーブルの上には【平蜘蛛茶釜】ならぬ【蜘蛛の手榴弾入れ】。
映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』では、北大路欣也さん(当時30才)演じる山中正治が拳銃自殺することで終わりを迎えるが、果たしてこの久秀はピンチに際してどう立ち向かうのか。
表情から、反省や後悔などの感情とは一切無縁にも見える。
ボンバーするのか、再び信長に仕えるのか。
先の展開が全く予測できない男である。
戦国浮世絵バックナンバー
あわせて読みたい関連記事は以下へ
-
信長を2度も裏切った松永久秀は梟雄というより智将である~爆死もしていない!
続きを見る
-
斎藤道三は如何にして成り上がったか? マムシと呼ばれた戦国大名63年の生涯
続きを見る
-
戦国の謀殺王・宇喜多直家の生きる道~没落の身から息子の秀家は五大老へ出世
続きを見る
-
三好三人衆の一人・岩成友通 なぜ彼らは執拗に信長と戦い続けたのか
続きを見る
-
戦国大名・三好長慶の畿内制圧~信長より先に天下人となった43年の生涯とは?
続きを見る
-
応仁の乱って一体何なんだ?戦国時代の幕開け乱戦はどうやって全国へ拡散したか
続きを見る
-
織田信長の天下統一はやはりケタ違い!生誕から本能寺までの生涯49年を振り返る
続きを見る
-
永禄の変で敵に囲まれた13代将軍・義輝が自らの刀で応戦したってマジすか?
続きを見る
-
刀を握ったまま敵勢に斃される壮絶な最期! 足利義輝13代将軍 30年の生涯とは
続きを見る
【参考】
国史大辞典