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 【仁義なき自爆 久秀死闘篇】
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天文10年(1541年)のことであり、その才は有能な官吏にとどまらず、戦場での駆け引きや文化芸術にも発揮された。
特に築城においては比類なき技術の持ち主。多聞城の建築も手掛けている。
しかし信長を二度も裏切り、そして滅ぼされたエピソードが時代を経るに従って肥大化していったのだろう。
これ全て、史実に非ず――。
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平蜘蛛の手榴弾入れ
高価な茶釜を抱いて死ぬ――その破滅的ロマンスに心惹かれる戦国ファンには残念な話かもしれない。
されどフィクションぐらいは大いに遊んでもよかろう。
テーブルの上には【平蜘蛛茶釜】ならぬ【蜘蛛の手榴弾入れ】。
映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』では、北大路欣也さん(当時30才)演じる山中正治が拳銃自殺することで終わりを迎えるが、果たしてこの久秀はピンチに際してどう立ち向かうのか。
表情から、反省や後悔などの感情とは一切無縁にも見える。
ボンバーするのか、再び信長に仕えるのか。
先の展開が全く予測できない男である。
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【参考】
 国史大辞典














