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【戦国浮世絵ANARCHY 9】
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約3kmではなく300mの堤だった?
とにかく彼らは城を水で取り囲むための“堤防”を作るワケです。
ちょっと考えただけでも気が滅入りそうな大工事。
よく成功させたよな……。
そう思われるかもしれませんが、実は条件は揃っておりました。
備中高松城の周囲は湿地帯――しかも東・西・北は山で囲まれており、南側に“堤”を作れば可能でした。
問題は、その堤の大きさと工期です。
かつての史料からは約3kmもの堤防が12日間で構築されたと伝えられていて、それだと運び込む土が10トントラックで約6万5000台が必要になる計算でした。
あまりにも膨大な量であり、現代の土木技術でも到底不可能なレベル。
しかし……。
城の南側には自然にできた堤防があり、実際は約300m、つまり従来考えられていた「10分の1の規模」で済んだという試算が出ています(参照『秀吉の虚像と実像』→amazon)。
秀吉の資金的にもそれぐらいなら可能だったんですね。
なお、この水攻めをしている間に中央では明智光秀による本能寺の変が勃発。
変を知った秀吉は毛利軍と和睦を結び、清水宗治の切腹を見届けると畿内まで急行し(中国大返し)、光秀との【山崎の戦い】に勝利します。
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まさしく歴史が動いた衝撃の一幕だったわけですが、最後に我々庶民目線から、弁当の中にもある「梅干し」についての戦場豆知識を確認しておきたいと思います。
梅干し
さて、この「梅干し」ですが……。
当時の戦場を、足軽目線からつぶさに記した『雑兵物語』(→amazon)に
「梅干しは首にぶら下げる食い物袋に入れておき、喉が渇いたときに“眺めておけ”」
という一節があります。
舐めたり食べたりしたら、かえって水分が欲しくなってしまう。眺めただけでもツバが出てくるから、それで乾きを癒せという意味ですね。
それでもまだ水が飲みたいなら
・死んだやつの血か、泥水の上のきれいなところをすすれ
なんですって……。
それが通常の戦場ですが、敵を水攻めで囲んでしまうような秀吉軍は、そこまで緊迫した状況でもなかったでしょう。
梅干しもパクパク食べていた気がします。
できれば秀吉軍に加わりたいですね。
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【参考】
国史大辞典
堀 新・井上 泰至 (編集)『秀吉の虚像と実像』(→amazon)
かもよしひさ『雑兵物語』(→amazon)