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【ドラマ『大奥』感想レビュー第5回】
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当代一の色狂い上様
色狂い――深夜帯の放送ならではの言葉で語られる綱吉。
権力者に側室がいるのは当然と言えます。世継ぎを残さねばならない。
それでも「色狂い」と呼ばれるとなると、政務を乱しているほどだ、という含みもあります。
大奥で鈴が鳴らされ、登場するのは、その上様。衣装、美貌、そして目や口元が、確かに淫らとしか言いようがない! 圧倒的な色気が溢れていやがる。
綱吉は、からかうように居並ぶ男に声をかけつつ、柳沢吉保と二人きりになると「ああ退屈だ!」と嘆く。
あれほどの美男を揃えておきながら退屈とは……確かに狂気を感じるほどの色好みです。
吉保はすかさず奸臣ぶりを見せつけます。牧野邸に向かってはどうか?と囁く。これぞ悪だくらみを共にするバディですね。
かくして牧野成貞の邸で能を楽しむ綱吉。
夫の邦久をわざわざ「亜久里」と呼び、なにやら匂わせます。
とういのもこの二人、若い頃は睦み合う仲でした。その古い恋を再生させるつもりなのでしょう。まさに「焼け木杭(ぼっくい)に火が付く」であります。
夫を取られてしまう成貞からすれば、たまったものではありません。
彼女は綱吉対策として、夜伽美男を襖の向こうに用意しておきました。
しかしそれには目をくれず、“亜久里”だけを残す綱吉。蛇が絡みつくように、相手をものにしようと迫ります。
それにしても本作は照明効果が実に美しい。
有功の心情を写すような障子越しの光もそうですし、この場面が光の美の極みでしょう。
家光と異なり、綱吉は髪を結い、そして揺れる簪をつけています。この飾りが灯りの中でゆらめき、なんとも妖艶。
着物の生地も金襴(きんらん)で、暗い照明の中、妖艶に光ります。
こうした飾りは夜の暗い照明の中でこそ、妖しく輝き、人の心を魅了します。
灯りに使う油にせよ、蝋燭にせよ、かなりの高級品であり、それをふんだんに使えるのは近世以降。
夜の美を求める装飾とは、そういう時代なればこそです。
綱吉の服装は、いわば金と権力がそのまんま歩いているようなシロモノ。吉宗が嫌う無駄なものそのもので、衣装の色合いも鮮やかです。
実は日本人の伝統的色彩感覚はかなりビビッドでしたが、江戸時代に倹約令が出されるたび地味にするよう命じられ、価値観までも変わってしまいました。
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そして金と権力があれば色欲だって思いのまま。
なんと牧野の父と子ごと召し出し、そのせいで成貞は気鬱となり隠棲してしまったのです。
ここで能天気に牧野を惜しむ綱吉と、柳沢吉保の言葉がおそろしい。何の痛みも感じていないようだ。
まさしくこれが“色狂い”です。
東洋では権力者が何人妻妾を持とうと認められます。
が、そのせいで政治まで乱すとなったらそれはよろしくなく、綱吉とはなんという暗君なのか――と、初っ端から果敢に攻め立ててきます。
そして、そんな綱吉と語り合う柳沢にも、奸臣の気配が既に漂っています。
家光の子の世代で、もはや世は濁ってきているのです。
贅沢を嫌い、倹約を進めている吉宗と比較してみましょう。
吉宗は贅沢が大嫌い。綱吉時代からの生き残りといえる間部詮房が華麗な装束を勧めてくると、そんな奴とは政治ができないとキッパリと罷免していましたね。
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刺繍はワンポイントだけの吉宗の打掛は木綿であるため、ドッシリと重たいとか。
確かに吉宗は軽々と翻しません。綱吉の華麗な打掛はまるで羽衣のようにスルスルと脱げてしまった。
衣装だけでも、政治理念や気性がわかります。
京都から来た美男・右衛門佐
上様のご乱行に一手打つのが、御台所である鷹司信平です。
将軍家が、有力公家から御台所を迎えるしきたりだったのは、史実準拠です。
皇女という案もありましたが、幕末の和宮まで実現しておりません。
こうした御台所は子を為すことはなく、お飾りとして影が薄い。彼には上様の愛を取り戻す気などさらさらなく、それでいて京都ならではの隠し球を呼び寄せます。
美青年公卿の右衛門佐です。
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山本耕史さんだから、そりゃもう美形に決まっていますが、どっこいそれだけではなく……この右衛門佐、大奥に入ると、早速その知謀をフル回転させます。
まず、下働きの者たちに挨拶。こういう下手に出た態度は、たとえ芝居だとわかっていても「あの人ってば素晴らしいよ」と噂になる。
彼が人心掌握を心掛けていることは、公家言葉を使わないところにも表れています。
あの有功と玉栄ですら、京言葉が抜けなかったのに、彼はサッパリ抜いてしまう。
それでいて、大奥に君臨する桂昌院をなかなか訪れようとはしない。
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あの気が強い美青年・玉栄は、我が子・徳子を上様とし、権力欲に取り憑かれた人物となっておりました。
気位が高い桂昌院をあえて後回しにしたのは、その目にかなう格好をするためだったという右衛門佐。
この時点で京都流のやり口を見抜く桂昌院ではあるのですが、このあと贈られる西陣織の袈裟にはすっかりほだされてしまいます。
家光の死後、サッパリとした僧の姿に戻っていた玉栄。
それがこうもきらびやかな袈裟を身につけるようになるほど、月日は流れています。
桂昌院は何かが欠けた権力者になりました。
子も生まれた。権力はある。上様の父となれば世の頂点に立ったようなもの。
しかし有功とは異なり、彼は誰からも真心をもらうことができなかった。
柳沢吉保の肌の香りを嗅ぐことや、こうした賄賂袈裟で、その隙間を埋めるようになったのでしょう。
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そんな孤独な気持ちにスッと入り込むのが右衛門佐。
外堀から埋めていく様は曲者であると、桂昌院から綱吉に告げられます。
警戒するどころか、それを面白がっているようにも見える綱吉。
となれば、大奥で上様と睦み合うターンかと思いきや、そうは簡単には進まない。
大奥から出て男漁りをする上様を、男狩りに連れ出す――そんな策を御台所に提案します。
すべては右衛門佐の策通りです。
儒学講義で読むものは孔孟
右衛門佐が使った手段は、なんと儒学でした。
大奥で儒学講義をしているところへ、綱吉が入ってきます。
講義テキストが『孟子』と知ると、綱吉はおもしろがるように咎める。「孟子は殷周革命を肯定している」と言うのです。
殷周革命とは『封神演義』でもおなじみの出来事です。殷の紂王という暴君を倒したことを肯定しているというのです。
しかし、それは主君を倒す革命の肯定ではないか。
綱吉が意地悪な質問を投げかけると、右衛門佐も黙ってはいません。紂王のように民を苦しめる暴君は、もはや天命を受けていないのだと返します。
このテキストが『孟子』というところがポイント。
『孟子』を重視するのは朱子学の特徴です。
綱吉はおもしろそうに、右衛門佐がお伝の方に挨拶しないことを咎めると、彼はあくまで御台所付きの中臈であるからには、側室に挨拶をすることはできないとして、今度はこの言葉を引用します。
(君に事えて礼を尽くせば、)人以て諂(へつら)えりと為す。『論語』「八佾」
礼儀正しく主君に仕えていると、人は私を媚びへつらっていると言うものだ。
お伝の方に自分の立場で挨拶などしたら、相手にへつらっていると思われてしまう。
『論語』かと納得する綱吉。
「確かに曲者だ」と花びらのような唇を歪ませながら喜んでいます。まるで狩るべき“獲物”を見つけたようだ。
策を練ったはずの右衛門佐も、蛇に睨まれた獲物のように動揺しているようだ。
ただの色狂いの愚かな君主かと思っていたら、知性も持ち合わせていた。
これは手強い。
お互いがそう思った、火花の散る瞬間でした。
知性ある寵姫が欲しい
権力者となれば、とんでもない美女を寵愛するんだろうな、と思いますよね。
しかし、そのような美貌とは結局何なのか?
写真も残らない時代となるとよくわかりませんし、近代以降、写真が発明されてからの寵姫を見ても、それほどの美貌の持ち主でなかったりします。
顔がいいとか、スタイルがいいとか――そんなことだけでなく、受け答えがよいとか、話していて飽きないとか、そういう人間的な魅力も寵姫の条件です。
歴史上の人物でいうと、フランスのルイ14世が愛したマントノン夫人がいます。
彼女は地味で、そこまで美形でもなかった。
しかし、ともかく知的で、話していると落ち着く。信心深い。そんな魅力にルイ14世はどっぷり溺れ、彼女の言いなりになってプロテスタントを禁止してしまったほどでした。
高級娼婦もそうです。
確かに家光時代の吉原なら、ともかく異性であればいい、とがっつく客ばかりでも不思議はありません。
しかし時代がくだりますと、金のある客が来る。
歌を詠んだり、文学談義をしたり、そんな非日常も味わいたくなります。ゆえに遊女は、教養があれば高い値がつきました。
そんな知性ある獲物を狩れば、色ではなく頭を使うようになって落ち着くだろう――劇中の鷹司信平がそんな風に策をめぐらせたとしても、おかしくはありません。
しかも日本ならではの地理条件もあります。
京都出身となれば、東から見ればたまらない存在。
「東男に京女」という言葉があります。関東の男には京都の女が似合うという理想論であり、これを実現した人物が大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも出てきています。
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源実朝は京都から来た御台所を大事にしていました。子を為すことはできなくとも、和歌のことや風雅を分かち合う相手が大事だったのでしょう。
綱吉が寵愛するお伝の方は黒鍬者、マッチョな肉体労働者出身です。
そんなタイプに飽きたら、知性派に目が向いてもおかしくはありませんよね。
家光と有功に続く、東と西の組み合わせ。それが別の形でまた見えてきます。
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