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【ドラマ大奥幕末編 感想レビュー第17回】
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攘夷論者・徳川斉昭が幕政を掻き乱す
阿部のもとへ、堀田正睦が大慌てでやってきました。
疫病が発生したようです。
急死者も続出する病気で「コロリ」と呼ばれているとか。異国船が持ち込んだコレラですね。
人が行き来する近代へ向かう時代、パンデミックも素早く広まるように……すると時代の流れについていけないポピュリストが怒鳴り散らし始めます。
「天罰じゃあ!」
ちょび髭を蓄えた暑苦しい男、徳川斉昭です。
『青天を衝け』の竹中直人さんが似ていると話題でしたが、このうわずった声と見ているだけでイライラする演技をふまえると、それを上回った感はあります。
もう、見た瞬間に帰ってくれと言いたくなるこの暑苦しさ。なんと素晴らしい再現度でしょう!
だいたい理論の組み立てが無茶苦茶なんですよね。
開国する
↓
天が怒る
↓
疫病が流行る
↓
だからとっとと夷狄を追い払え!
一体なんなんだよ……と頭を抱えたくなるでしょうが、史実だからこそ恐ろしい。
開国の結果コロリが持ち込まれたとはいえ、それを今更やめればどうにかなるわけでもない。
阿部が正論を返すと、今度はこう来た。
我が国は赤面を克服した!
↓
つまり神の国だ!
↓
よいことをしていれば神がお助けくださる!
↓
なのに政治が悪いからこうなる!
↓
とにかく打ち払え!
絶望的なまでに話が通じません。
史実の斉昭のぶっ壊れっぷりをよくこの短時間で収めたものです。彼はもう本当に話になりませんでした。
大河ドラマ『青天を衝け』では、江戸市中でまで斉昭待望論があると描かれていました。確かに一部ではそうかもしれません。しかし、そこを肯定的に見るのは危険です。
人間の最も原始的な感情の一つとして、排外主義があります。
人類が狩猟採集で生きていたころ、他の部族は自分たちの獲物を奪い、時に傷つけようとしてきます。
よそ者を排除しろ!
そう言われると感情が動かされてしまう。こういう原始的な排外感情に訴えると、ある一定の支持は得られる。
しかし人間は進化し、農耕牧畜をするようになって財産も貯めるようになる。
すると今度は外部との交易が視野に入り、うちの村の作物とあの村で取れる綺麗な石を交換しようか、うちの村の野菜とあの村の羊肉を交換しようか、となる。
こうなると外部の相手は憎むべき敵ではなく、親しむべき交易相手となりましょう。
そういう人間の進化段階を踏まえてこのやりとりを見ると、なかなか興味深い。
交易を見据えた阿部が文明化されていて正しいのだけれども、斉昭の原始的なヘイトスピーチも心に届く人はいる。
そんな原始的なヘイト政治家斉昭が出ていくと、文明的な阿部正弘は堀田にコロリ対策を頼みます。
剛腕大老・井伊直弼登場
するとそこへ、低く鋭い声が響きます。
「だから早々に手を切れと言ったのだ、攘夷派のバカどもなど」
井伊直弼です。
堀田は「井伊掃部頭様!」と言いますが、この掃部頭こそ、井伊家代々の役職。
特別です。徳川の守り刀です。
井伊は阿部に、この責をどう負うつもりかと追及しています。
井伊からすれば、深く考えずに大名や旗本を政治に引き込んだことが悪いとなる。そのせいで徳川の威光は血に落ちてしまったと。
「そなた、その座を退け。この国難をナヨナヨと女のやり方で乗り切るのは無理じゃ!」
そう迫る相手に、阿部は退きません。
「だからダメなのです。あなたのようなお考えがこの国を滅ぼすのです!」
笑い飛ばす井伊。阿部ごときが井伊にさような口をきいたと言い、畳み掛けます。
「そなたは家格を何と心得る!」
それでも阿部は引かず、家格に縛られている余裕はないと返すのですが、阿部だって先祖の働きあってここにいるのではないかと突っ込まれてしまう。
理論武装しているようで崩れたのか。あまりにしょうもない話といえばそうかもしれない。
井伊直弼の心中を考えると、なかなか奥深いものがあります。
というのも彼は、井伊家の男子とはいえ生まれ順が遅く、一生を部屋住みで終わると思いながら生きてきました。生まれ順だけで何もできない籠の鳥だったのです。
それが巡り合わせによりここまで上り詰めてきた。
阿部は、近代日本のグランドデザインを語ります。
国難に立ち向かうためには、新たな仕組みが必要だ。そのために国中から人を集めている。誰かがそれをやり遂げるのであれば、いつでもこの座を退くと。
そして穏やかに、忙しい中ここに来た相手に礼を告げ、頭を下げるのでした。
ここのやりとりも非常に興味深いですね。
明治維新もとい日本の近代化は、実はこの時点で阿部が作り上げた構想に由来します。
海外と交易する。広く意見を求める(言路洞開)。それを行うものは誰でもよい。
けれども、井伊の言い分にも理がないわけでもありません。
斉昭のような攘夷派のバカどもは、偏見で差別する。異人はダメ。異国かぶれもダメ。言うこと聞かないなら殺してしまえ。そういうヘイトスピーチとヘイトクライムを肯定してしまう。
「テロリストの言い分に耳を傾けるな」とはよく言われます。これを幕末に適用すると攘夷派は肯定できなくなるんですね。
阿部のいう言論の自由は大事です。
けれども、それを盾に無茶をやらかす相手は、井伊の言うように「バカどもは黙れ」と制限しなくてはいけないのではないか?
そんな難しい問いを突きつけています。
それに阿部のいう通りの国が実現したか?というと現実にはそうなっていない。
明治時代は藩閥政治が跋扈しました。
現在でも日本の世襲重視は疑念を抱かれています。
このドラマをみて、現(うつし)を考える。篤胤と家定のように語り合い、よりよき「解」を求める。それもまた、ドラマを見る楽しみであり意義でしょう。
勉強になる素晴らしいドラマです。
阿部の夢を家定が考え胤篤も聞く
実のところ阿部正弘は退くまでもありません。既に体が限界を迎えつつあります。
家定は、そんな阿部の志を理解し、閨で胤篤に語ります。
当然ジレンマはある。阿部の理論を突き詰めれば、徳川の血を引く者だけが国の舵取りをできなくなる。
同じことは、世界史的にも直面していました。
啓蒙君主と呼ばれる人々がいます。彼らは国のためにはもっと人々が政治参加すべきだと考えます。
しかし、それをやったら王室の意味がなくなるのでは?
そのモヤモヤした状況にフランス革命が直撃し、反動的な流れも出てくる。日本だってそんな西洋の事情を知らなかったわけでもありません。
胤篤は、家定の考えを聞きます。
徳川は太古から国を治めているわけでもないし、メリケンは入れ札(選挙)で国の主を決めているではないか。
となると、阿部は徳川への忠誠心に、邪魔されてしまうのではないか。私が邪魔なのではないか。そう悩む家定。
確かに聡明で、優しい。それに彼女は相手を思う優しい心があります。そりゃ胤篤も惚れますよね。
胤篤は「入れ札をしても徳川に集まって終わる」と、微笑んで言います。家定は現(うつし)を見る薩摩ものだと返すのですが、これは先例があります。
ナポレオンの政治に疲れ果てて、ブルボン王朝復古を喜んだフランスの民。
しかし、選挙で君主を決めるとなると、その者の資質をろくに見ず、ナポレオン3世を選びます。
1世の血すら引いていない、1世の甥を選んでしまった。要するにネームバリューだけで選挙は左右されるということですね。
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胤篤は悩む家定に、阿部のためにそぞろ歩きをしようと提案します。
日光のもとで歩き回る家定は、体が熱ったことすら未経験。歩いて食欲も湧いてきて、元気になってきました。
食事もおいしくなり、おかわりもする。ここでおいしそうに食べる家定の愛くるしさ。それを見守る胤篤の優しさ。
瀧山もこれには驚きつつ、納得するしかないのでしょう。
家定という鳥が籠から羽ばたく日が近づいているようです。
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