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【ドラマ大奥幕末編 感想レビュー第17回】
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次の将軍は慶喜か? 福子か?
家定と胤篤が、祭りを見学しています。
なんでもあの桂昌院が「民と共に楽しめ」として始めたとか。
活発な胤篤は、自分も担ぎたいと笑います。この明るいやんちゃなところは、お万にはない彼の個性ですね。
そして二人は、将軍候補である慶喜と福子に会うこととなります。
一人目は一橋慶喜。あの治済以来、一橋という時点で嫌になりますね。
胤篤は養父・島津斉彬から聡明な方だと聞いているとにこやかに話しかけます。
すると慶喜は謙遜しつつ、英明とは御台にこそふさわしいと返す。分家筋でありながら斉彬に抜擢され御台になったという慶喜。
胤篤は顔が少しこわばっています。まぁ、当てこすりですよね。せっかく斉彬に抜擢されたんだから、あんたの役目を果たせよ。そんな水戸からのメッセージを伝えてきます。
ここで嫌味そのものの顔をして、ちょっと首を傾けているところが、なんという慶喜でしょうか。嗚呼、腹立つなぁ~!
家定は単刀直入に聞きます。メリケンとの通商条約調印はどうすべきであるか。
「特にございません」
ほんと、なんなんだこいつは。胤篤と比べるとわかりますが、慶喜は問答を遮るんですよ。キャッチボールせず、暴投するか、球をわざと落として「論破w」と言い張るようなことをするタイプ。
なんの考えもないわけがない、次の将軍とも噂されているだろうと家定が返しても「将軍につくのは女ばかりだ」と嫌味で返答してくる。
ニチャア……そんな笑みを浮かべつつ「ご勘弁を」と頭を下げる慶喜。家定は呆れはて、胤篤も苦い顔をします。
このあと、家定が驚いただろうと言うと、胤篤も不快感を口にします。
「慇懃無礼が衣を着て歩いているようなものだ」
慶喜は水戸学どっぷりの尊王論者であり、帝と同じ血が流れていることを誇りと思っているような男だと家定が説明します。
水戸学を危険思想扱いしていますが、実際その通りでしょう。当時、全国一過激とされたのが水戸です。
それを青春の一ページのように曖昧に扱い、否定しなかった『青天を衝け』は忘れた方がよい。
さらに家定は、慶喜のミソジニーも暴きます。女である自分をバカにしていると。
実際の斉昭と慶喜もそう思えます。
斉昭は「大奥なんてあるから軟弱になる!」と暴論を振りかざし、狩りで仕留めた動物の死体を持ち込むという低劣な嫌がらせをしていました。
ヴィーガンのSNSアカウントに焼肉画像を貼り付けて「www」とはしゃぐとか。「ヴィーガンの前でステーキを食べてやりたいww」と語るとか。
そういう低劣な発想は、時代を超えて存在するんですね。
さらに斉昭は、大奥女中に対して性的暴行を加えています。現代からみても既視感のあるどうしようもないミソジニストであり、そんな父に育てられた慶喜は、当然のことながら大奥から嫌われました。
この慶喜は、カステラには口をつけておりませんが……。
それにしても本作の慶喜は、言葉にできない素晴らしさがある。
幕末の浮世絵師・月岡芳年に「魁題百撰相(かいだいひゃくせんそう)」というリアルタッチの傑作があります。
別の時代の人物に託し、幕末の人々を描いたとされ、「足利義輝公」は、慶喜がモデルと推察されています。
この顔のニチャアとした微笑みが実にいやらしい!
本作の慶喜は、あの絵そのものの表情でしびれました。
ちなみに幕末明治の肖像写真は、モデルもすましてカチコチになるものでして。人柄や表情までついた後期浮世絵の方がキャラクターを捉えているのではないか、とも言われております。
月岡芳年は西郷隆盛の絵もありますが、その鬼気迫る表情は上野の銅像よりも、ずっと実物に近いのではないかと個人的には思います。
慶喜の後、次に紀州の福子がやってきました。
笑顔がほころぶ花のように愛くるしい。素直な笑顔で、祭りは楽しかったと語る。皆と一緒に担ぎたいというと、胤篤は「おお!」と声をあげてしまいます。
そんな福子に、家定はメリケンとの通商条約締結について尋ねます。胤篤が難しいと制するも、福子は素直に返します。
「もし断ればどうなるのですか?」
家定は力ずくでくると返すと、福子は「まことにそうなるのか……」と疑念を示します。力ずくは相手にとっても骨折りのことではないか、と考えています。
思わず家定もハッとします。
力づくは骨折りならば、それは腹のうちに留め置き、話し合い、よき落とし所を探ってはどうか。
福子は、考え足らずだとして謙遜するも、家定はためになったと感心し、礼を述べます。
大正解。完璧ですよね。
というのも、当時の列強は必ずしも植民地を手にしようとは考えていなかった。費用と利益、つまりはコストパフォーマンスを踏まえて行動しています。
清にせよ、本格的な進出は日清戦争の敗北以降であり、それまでは様子を見ているところがありました。
日本に対して戦争を仕掛けるメリットはまだわかりません。
これはアメリカだけでなくイギリスもそう。生麦事件で自国民が殺傷されるとヴィクトリア女王が激怒し、攻撃案まで練りつつも、なんとか方針転換しています。
そこを踏まえると「明治維新がなければ日本は欧米の植民地にされていた」という理論は疑った方がよい。
そんな研究をバッチリふまえた秀逸な問答です。
本作は、原作のよしながふみさんも、脚本の森下佳子さんも、幕末史を読み込んで綺麗につなげてゆくから素晴らしい。
歴史フィクションの中に、結果を知った未来人視線を入れすぎるのは禁じ手ですが、こうも縫い目を感じさせず、綺麗に仕上げればむしろ超絶技巧となります。
本作は、水鳥が足を激しく動かしているのに、滑るように水面を泳いでいくような美しさがあります。
満足した家定は、福子にカステラを勧めます。
それを美味しそうに頬張る福子。その様子を見て、家定も胤篤も、器の確認ができてうれしそうにしています。
しかし福子は、カステラに異変を感じ、吐き出し、倒れこんでしまいます。
毒でした。
胤篤の出した最適解と阿部正弘の折れた翼
家定と胤篤は、乗馬の用意をしています。
大事には至らず、紀州も大事にはしたくないと言ってきたそうです。
しかし、慶喜が口をつけていないことを考えると、どうにもあやしい。紀州の中にも水戸の手がいるのかもしれないと二人は話し合っています。
胤篤はここでお願いがあると言います。
「私とのお子を、お考え願えませぬか」
家定が病弱で、子を望めぬことが諸藩と幕閣に思惑を巡らせている。それを吹っ飛ばすためにも、子を作る。今の丈夫な家定ならそれができると言い出します。
そこを踏まえての胤篤の深慮遠謀かと思うと、おそろしいような気もします。
家定は、どんな子が生まれるかわからぬというものの、人とは教育だと答える胤篤。
家定が国を、民を思う心を。胤篤は現に即し、物を考える術を。その子が後継ならば、阿部正弘の目指す国に近づけると語りかけるのです。
「これは、最もよい解ではありませぬか?」
そう語っていると、瀧山が駆け付けます。阿部が急病で明日から登城が叶わぬというのです。
阿部は瀧山を前にした病床で、カステラを手にして嬉しそうな声をあげています。家定自らの手作りだと見抜き、心の底から喜んでいる様子です。
瀧山に家定の様子を聞くと、目に見えるほどに元気になっているとのこと。
お散歩が肝。散歩して空腹になり、食事をよく食べて、元気になっているとか。するとますます散歩をし、ますます腹が減る。
阿部は喜び、うれしそうにカステラを見つめます。そして瀧山と初めて会った日のことを振り返ります。
お役目に疲れ愚痴を聞いてもらった。
愚痴など言っていないと返す瀧山。彼は花魁としての生い立ち、学問をしたいということを語ったと言います。
「あそこを出たら、今度こそ己の翼で飛びたいと言って……私はその通りじゃと勝手に合点し」
瀧山はやめるように頼みます。まだ思い出話などしたくない!と……。
「そう申すな、瀧山。私だって悔しいのだ」
あのころの阿部は、広い空さえあればどこまでも羽ばたいていけると考えていた。
「まさか己の翼が折れて、飛べぬようになる日が来るなど夢にも思わなんだ……」
カステラを抱きしめ涙をこぼす阿部でした。
天翔る鳥は託された夢を抱く
瀧山は、そんな阿部を抱きかかえて、広い庭へと連れてゆきます。
「正弘!」
そこへ、胤篤に導かれ馬に揺られる家定の姿が。
「正弘、見ておれ!」
そう声をあげると、家定は馬で駆け抜けてゆきます。
「あの上様が……馬に……」
瀧山が、あの日、阿部が上様を救ったからだ、あの素晴らしい上様は阿部が作ったと語ります。
目を細め、そんな上様を見つめる阿部。
馬に揺られる家定は、己の翼で天翔る美しい鳥でした。
障害を飛ぶと曲芸になると笑う家定。家定は、阿部の身代わりを務める、じっくりと治し、戻って来いと労います。
その手を取り、微笑む阿部。
「いいえ。いいえ、上様。身代わりは阿部のお役目。最後まで私にお役目を全うさせてくださいませ。上様の過去も、病も、私が全てあの世に、私にお運びさせてくださいませ」
阿部は実のところ、病になってから恨んでばかりだったのだと。
なぜ私が? 何一つ成し遂げられぬまま一体何のために生まれてきたのか?
けれど、やっとわかった。思い出した。
瀧山の支えを断り、平伏する阿部。そもそも上様を生かすための者であったと。
「ありがとうございました、上様。私と巡り合ってくださって……思いきり、空を飛ばせてくださって。上様、どうかこれよりは誰よりもお幸せになってくださいませ。阿部正弘、最後の願いにございます」
涙を流す君臣でした。しかし……。
ここでちょっと補足でも。原作でこの場面の阿部は、髪を結っておりません。しかしドラマでは結いあげています。
時代考証をした結果、いくら病人であろうと髪をおろしては主君に会うことはないだろうと考えた結果と推察します。
原作でも十分素晴らしい。それをドラマにするうえでさらに磨いてゆく。実に素晴らしい配慮です。
閨に戻ると、家定は荒れています。
何が身代わりか!
暴れ出す家定を胤篤は宥めようとします。
ここで家定は、父に虐待され、そのせいで母に毒を盛られていた過去を語ります。
身も心も病み、いつ死んでもおかしくない。自分でも死んでもいいと思っていた。それを救い出してくれたのが正弘だった。
だからこそ、己の命をよこしたのだと理解し、泣くしかないのです。
「人は悲しいにせよ、楽しいにせよ、己の来し方を一つの物語に編めたとき、どこか心が安らぐものです」
そう語りかけ、阿部正弘はみちがえるように元気になった家定を見て、自分の一生を美しい物語にできたと胤篤は言います。
「詭弁じゃ! 正弘、正弘……」
そう泣きじゃくりながら、誰よりも幸せになって欲しいという阿部正弘の願いを思い出す家定。
「もし、私に、あやつにしてやれることがあるとするならば、それは私が誰よりも幸せになることだ! 私にとって幸せとは! 今度は私が……あやつの身代わりになって飛ぶことじゃ!」
家定を愛おしそうに見つめ、唇を寄せる胤篤でした。
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