どうする家康感想あらすじレビュー

どうする家康感想あらすじ

『どうする家康』感想あらすじレビュー第44回「徳川幕府誕生」

前回は関ヶ原の戦い。

冒頭でそのシーンが回想されること自体はドラマとして不自然ではないかもしれません。

しかし、肝心の合戦映像がいつも同じ曇天で背景が白くなることには、どうしたことでしょうか。

同時に、しみじみと思います。

本物の馬がロケで駆け抜けない関ヶ原の戦いに意義はあるのか?

大河ドラマで乗馬ができないなんて単なるサボりです。

ドラマ10『大奥』の乗馬シーンと落差があまりに大きく、今回の大河制作陣がどういう方針で制作されているのか理解に苦しみます。

◆ドラマ10『大奥』家定役・愛希れいかが乗馬シーンで体感した“奇跡”(→link

結局、干し柿がなかった三成の最期も回想され、やっぱり文春砲は正しかったのかな……と今週も思い起こさせられながら場面は変わり、関ヶ原の締めくくりとして、家康が大坂城へ。

茶々に挨拶すると、棒読み人形の秀頼が何だか語っています。この辺りで字幕をオンにした視聴者もいるかもしれません。

あいかわらず毛量が多く、化粧がキッツい茶々。

青年期と同じ発声の家康。

うるさい劇伴。

今週もまた何のドキドキもないコントのような劇が始まるのだと確信させられます。

 

どうする背丈を刻むことで成長を表現

毎年正月になったら、秀頼の背丈を柱に削るってよ。

昭和の日本でもあったような既視感のある描写でしか成長を描けないなんて、トンチンカンな大河ドラマです。

例えば、

「まだ幼いのにこの手習を見てくだされ。立派な字でしょう」

とでも、できないものでしょうか? 日本史だと、割と定番の描写だと思います。

ちなみに伊達政宗が幼少期の手習いの書は、正室である愛姫が保管していたことで有名です。ほっこりしますね。

他にも、

「この歳でもう、四書五経を読みこなしました」

という表現も考えられるでしょう。『麒麟がくる』では、明智光秀の優秀さを示すセリフとしてありました。

そうと知っててわざと昭和手法にしたのか。それとも時代劇に興味がないゆえ柱削りに走ったか。

いずれにせよ秀頼の成長や賢さを表現するのであれば、もっと他に方法があったはずです。

 

どうしようもない所作

本作の所作指導は本当にどうなっているのでしょう。

家康の歩き方が、後半になるにつれ、ますますひどくなっていませんか。老齢ながらに頂点へ立っていく人物の迫力が感じられません。

先週、井伊直政が堂々と「天下とったね!」と家康に向かって喜んでいました。

果たして家康は何がどう天下人なのか。

服装や所作を見ると浮かんでくることもある。もしも家康が秀頼を主君とみなしているのであれば、こんなラフな格好でやってこないでしょう。

堂々と尻を向けて出ていくはずもない。家康については【四之宮逆さ船】という伝説があります。

家康が中原街道を旅していたとき、渡し船に乗りました。

すると船の動きがおかしい。逆さまにしている。

家康がなぜなのか尋ねると、漕ぎ手はこう答えました。

「いつも通りに漕ぎますと、尻を向けることになりますので畏れ多く……」

家康は謙虚な漕ぎ手に感心したのでした――。

実際にあったことかどうか、ではなく、当時の人々が如何に礼儀にこだわっていたか、この逸話からもわかるでしょう。

なんせ本作の家康は、秀頼と千姫の婚礼すら、立ったまま決めますからね。

一言でいえば雑。一体この家康は、どの時代を生きているのか。

しかも茶々が笑顔を豹変させ、あのメイクの濃い顔を歪めながら秀頼にこう言う。

「あの狸、決して信じるでないぞ」

見れば見るほど嫌になる……。

 

秀忠もどうしようもない

歩きながらヘラヘラと喋る秀忠は、それだけで十分に愚か。

上田攻めのことを取り上げなくても最初から「このバカではだめだ」となるでしょう。

家康がカッコつけた口調で「結婚は人質ってことだろうぜ!」とシリアスな口調になって、凄い思いつきでもしたかのような扱いが苦しいです。

当時はそういうものでしょ? ここは政略結婚がない世界ですか?

 

正信も、つくづく、どうしようもない

本作の出来が悪いのは、何も家康一人の問題でもありません。

いつもの腹立たしい口調で「将軍になればぁ〜?」とか言いだす正信もひどい。

唐突で、根拠がないのです。

「関ヶ原の戦い」
の後は
「征夷大将軍」
だよね!

という日本人なら誰でも知っている教科書の内容に沿っているだけで、その根拠は示されない。

結局、この大河は『鎌倉殿の13人』が投げたボールを受け止めきれていないんですね。

将軍になる根拠として、なぜ『吾妻鏡』でも出さないのか? セットで進言すれば、この正信からだって多少は知性が見えたでしょう。

せっかく三谷幸喜さんが投げてくれたボールを受け止められないとは、悲しさしかありません。

「最終回にサプライズキャスティングするのが大河!」

って、そういうことじゃないでしょ。

今年の最終回に小栗旬さんを出すなんて、単なる恥の上塗りではありませんか。

◆ 『どうする家康』に小栗旬が出演するとしたら誰を演じる? 有力視される“3つの可能性”(→link

もしも小栗さんが登場するとしたら一体何の役を演じるのか?

記事ではこう示されています。

・伊達政宗
・天海
・徳川家光

個人的には徳川慶喜ですかね。さっぱりした顔で大政奉還して、幕臣や松平容保が困惑したらこう言わせる。

「だってさぁ、徳川家康だって、どうせクズだったんでしょ? だったらこんな幕府いらねーし」

しかし、このわけのわからない噂のせいで、文春砲の信憑性が増しているあたり、まったくもって逆効果とも思える。

◆松本潤『どうする家康』視聴率“大河ワースト2位”ほほ確実、盟友・小栗旬に最終回「直々オファー」情報も「プロデューサー気取り」文春パワハラ報道が再加熱(→link

七之助さんに続き、もしも小栗さんのキャスティングが行使されたら?

松本潤さんの意見が現場で強行され、すっかりプロデューサー気取り、と指摘していた文春砲がやっぱり正しかったのでは……となる。

それでも、話題性のためだけに小栗さんを起用するんだとしたら、どうにかして少しでも視聴率を上げたい、ってことでしょうかね。

焼け石に水とはこのことだと思うのですが。

どうする家康全48回の視聴率速報&推移! 過去7年分の大河と比較あり

続きを見る

 

結局最後までどうしようもなかったオープニング

オープニング変更は今回で何度目なのでしょう。

その度に御大層な記事が出たりしますが、元の曲からしてしっくり来ないため、いくらアレンジしたって視聴者の興味を惹くにはいたらない。

ますますレトロなゲームじみてきて、一体何を聞かされているのかとげんなりしてしまいます。

坂本龍一さんが手掛けた『八重の桜』から10年で、よくここまで劣化したもので……。

これみよがしにオシャレなカフェに似合いそうなピアノを鳴らしますが、大河はじめ東洋の時代劇は、伝統楽器を入れることがむしろ王道でしょう。

それをなぜピアノにこだわるのか。

大河のオープニングを聞いていて、怒りすら込み上げてきそうです。

 

どうするテロップ

テロップを無駄に遊んでSE入れながら年号を出すセンスは作り手の自己満足としか思えません。

背が伸びる柱と重ねるところも含めても、単に秀頼が大きくなっただけで、それ以上のことは見えてこない。

家康に警戒心を抱かせるような賢さを、秀頼に求めてはいけないんですかね?

『この秀頼なら何かやってくれそうだ!』

視聴者に本気でそう思わせてこそ、大坂の陣だって盛り上がるでしょうよ。

※続きは【次のページへ】をclick!

次のページへ >



-どうする家康感想あらすじ

×