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【『衛府の七忍』レビュー】
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なかったことにされた者たちよ
本作を読んでいると、大河ドラマはない伝奇時代劇の役割を再確認させられます。
今でもファンが多い『花の慶次』。あの作品には「琉球編」があります。
今にして思うと、これはなかなか不可解な変更ではありますし、問題があるのではないかと思えるのです。
原作の隆慶一郎『一夢庵風流記』では、琉球ではなく朝鮮編が存在するのです。
なぜ朝鮮が琉球になったのか?
そう考えると、モヤモヤとしたものが漂ってきます。原作にあったいろいろな意図とか、そういうものを変えてしまったのではないかと思えてくるのです。
朝鮮から琉球にしたところで、現代の日本からすればひとつの国で国境を跨がなくはなりますが、だからと言って何なのだ?と、『衛府の七忍』を読んだ後だと思えてしまう。
前述の通り、この作品では薩摩のぼっけもんが琉球の人々を搾取し、殺しまくっているわけで。
そういう世界観でLOVEができるのか?
そう考えると、いろいろ冷や汗が滲んでくるところではあります。
そこまでふまえて、『衛府の七忍』登場キャラの怨身忍者・鬼の内訳を見てみますと……。
零鬼(れいき)・カクゴ:化外の民。獣の肉を解体し食べる描写がある
震鬼(しんき)・憐(れん):忘八者。アウトロー。ヤクザもの
雪鬼・六花(りっか):蝦夷(本州にいたアイヌ)
霞鬼(げき)・波裸羅(はらら) :両性具有者
霹鬼(ひゃっき・ヒャッキー)・猛丸(タケル) :琉球人
雹鬼(ひょうき)・明石レジイナ:キリシタン
霧鬼(むき)・ツムグ:朝鮮出身の奴婢(奴僕)
霓鬼(げいき)・谷衛成(たにこれなり):幕府旗本を殺害する反幕府
虹鬼(ななき)・雀:武家奉公で殺害された少女
こうして並べると、わかってくることはあります。
マジョリティに入れられず、いなかったことにされる層。
日本の歴史にいたはずなのに、フィクションではいつの間にか消えている層。
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「教科書に載っている英雄の話を展開してくれ!」
大河ドラマは特にそういうことを言われます。
試験で点数を取るのであれば、彼らのことなんか無視してよいもの。
むしろこういう層がなんだかんだと声を上げたらノイジーでウザいし、大河になんかうろちょろされたら困る――そういう意識がある中で、消えていく層ではないですか?
伝奇時代劇は、こういう層の声を届ける役目がありました。
由井正雪あたりは伝奇モノのお約束です。あんな杜撰な幕府転覆計画を立てた、ネタキャラじみた奴がどうしてそうなるの?
これじゃ成功するわけねぇ! 由比正雪の乱は計画があまりに杜撰でアッサリ鎮圧
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そう思われるでしょうか。
しかし、そういう意見を聞かずに、偉人と自分を重ね合わせることばかりしていたら、見えなくなるものもあるのではないでしょうか。
みんな大好きな前田慶次にしたって、言ってみれば単なるフリーターであり、大名にすらなっていない――なんて切り捨てられたらムカつきませんか?
そのムカつきの正体が、伝奇時代劇の持つ力です!
成功した人間だけじゃない。
ロマンや何かを求めて生きた人物の思いや人生を通して何かを感じること。
それが大河のようなマジメ作品に対して伝奇が持つ意味だと思うのです。
そういう伝奇時代劇のアプローチを『衛府の七忍』では深く、鋭く切り込んでいく。
飛び散る臓物やら血、そして「テヘペロでやんす!」といったギャグは、鋭いアプローチをやわらげているものなのです。
善悪正邪を考え、覚悟せよ
そんな本作ですが、実は読み解くのが難しい部分もてんこもりです。
混沌としてくるのが、一体、本作はどこに感情移入すべきなのか?ということ。
まさか狂犬と呼ばれた薩摩隼人どもには、感情移入できないとは思いますが、それはさておきまして。
どうして感情移入ができないのか?
本作における“悪”って何なのか?
一瞬、憎むべき対象は徳川のようには思えます。しかし、徳川に反抗した豊臣もゲスい。
真田の関係者が保護されるべき存在として出てくるものの、その主君筋であった豊臣秀頼のゲスっぷりがともかくすごいのです。
真田はあんな秀頼守ったの?
それってどーなのよ?
そう思ってしまう……。
ややこしいことに幕末からタイムスリップした沖田総司編は、徳川を守るための戦いに突入してきます。
沖田からすれば、滅びゆく徳川幕府は敬愛をこめて守るべきものなのです。が、徳川が善から程遠いことも描かれている。
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さらには、悪役として出てくるのが吉備津彦命・桃太郎、そして金太郎です。
ええ、はい……あの桃太郎と金太郎です。あの姿で惨殺しまくります。
ギャグとして最高といえば最高なのですが、これも洒落になっていないものがありまして。
桃太郎も金太郎も、日本人ならば誰でも知っているお話の主人公ではないですか。
そういう国民的ヒーローが、殺戮の象徴になっているのだから、とんでもねえ話ですわ。
実は、童謡の『桃太郎』の歌詞が怖いという話があります。桃太郎は一方的に鬼ヶ島に攻め入り、鬼を倒しまくる様子が、5番ではこう歌われています。
「おもしろい おもしろい」
要は、鬼を退治する展開にエキサイトしていたんですね。そのせいか現代ではそこまで習いません。
この歌の初出は1911年(明治44年)『尋常小学唱歌(一)』。
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こういう童謡を習っていれば、そりゃあ「日本人は攻めていって、野蛮な連中を倒してエキサイトしよう!」となっても仕方ないのではないか――そう思えてきても不思議はないところです。
まさに国策&童話&童謡の三位一体状態。忘れられていたそんな何かを、本作の凶悪な桃太郎が蘇らせるのです。
本作は相当おそろしい話です。
悪とは何か?
笑っている場合だろうか?
本作の悪の定義は、権力そのものではないかと思えてきます。
悪という属性は、徳川ではない。
権力そのものについているからこそ、滅びの道に踏み込み、権力を喪失していく。
徳川も沖田から見れば悪ではありませんし、桃太郎だって権力側に利用されれば禍々しくなる――。
そう思えてくる本作は「パネェ!」とチンピラ笑顔で笑い飛ばしたくなる何かがあります。
本作がメジャーな漫画賞を取るとは思いませんし、誰に対してもオススメとは言えません。
アニメ化?
うーん、厳しいかな……。若先生の過去作品はできたけれども。
実写化?
これは無理でしょう。
★
コケにされても「ああ、そうですか。テヘペロでやんす❤︎」と受け流すだけ。そんな本作が、読む人を選ぶのは確かです。
けれども、それでいいと言い切れる作品であることは確かです。
だって、権力側、大河ドラマのような世界観の真逆を突き進む作品だから。
世間の評価はどうでもいい。ただ、心に響くことが大事だ!と言い切れる。
得難い作品ですわ。
伝奇時代劇の魂を宿した、すごい作品だと思える。
刺さる人には刺さる、心の底から好きだと言えることは確か。
読むかどうかは、覚悟して決められよ!
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)