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三島通庸/wikipediaより引用

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三島通庸「鬼県令」と呼ばれて~2019大河いだてん三島弥彦の父は精忠組のメンバーだった

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自由民権運動が盛んな福島県に赴任

1882年(明治15年)、通庸は次の赴任地である福島県に赴きました。

戊辰戦争の爪痕が残り、旧会津藩を擁する福島県。
薩摩出身の県令が赴任した時点で、県民にとっては理不尽な振る舞いに対し怒りを抱いても致し方ないでしょう。

当時の福島県は、中央政府から目を付けられる要素がありました。

「自由民権運動」です。

旧土佐藩の高知県に次いで「自由民権運動」が盛んであったのが、中通りを中心とした福島県だったのです。

そもそも「自由民権運動」はなぜ始まったか?
背景には、政府への不信と不満があります。

明治維新とは、外圧に対抗するために国の体制を作り替えるものではありましたが、その改革は、フランス革命のような人権、民主主義といった思想を伴わなかった――ゆえに、西洋から伝わった思想を知った人々は、明治維新の不備を痛感するようになります。

維新において功績を残しながら、藩閥政治から疎外された土佐出身者が、まずこの運動の担い手となりました。

自由民権運動演説中に襲撃された、板垣退助を描いた錦絵/wikipediaより引用

また、旧三春藩士であった河野広中は、自由民権運動にめざめ、板垣らと連携しながら、福島県で熱心に活動をしておりました。

河野広中/wikipediaより引用

鬼の通庸が乗り込んできた背景には、このような状況があったのです。

 

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マッド県令、会津三方デスロード建設

明治15年(1882年)。
福島県令として赴任した通庸が着手したのは、会津に道路を開通させることでした。

明治時代以降、政府に逆らったとされた会津地方は開発から取り残され、住民は時代の変化から取り残されていました。

山で囲まれ、海からも遠い会津は、まさに日本の奥地といったところ。
道路整備は急務でした。

そこで通庸は、会津から三方向に伸びる道路建設を発案します。

◆若松から南の栃木県日光市田島・今市方面(白川街道)へ向かう道
◆西の新潟県東蒲原郡阿賀町津川・新潟方面(越後街道)へ向かう道
◆北の山形県米沢市方面(米沢街道)への三方へ向かう道

アイデアとしては悪くないと思います。
ただ……、やり方がいかんせん強引でした。

「会津地方六郡下の15歳から60歳までの男女を、2年にわたり月一日人夫として働かせる。それができなければ、一日につき男15銭、女10銭の人夫賃を出せ」

あまりの無茶ぶりに、会津地方の人々は困惑、そして激怒。
治める金がない家庭からは、鍋や茶碗と言った生活用品が押収され、家が競売にかけられる始末でした。

ただでさえ薩摩に反感を抱いている会津です。
しかも自由民権運動の火もまさに燃え上がっている。

そんなところに地獄の労働を持ち込むのは、ガソリンにマッチを投げ込むかの如き危険な所業であります。

会津の自由民権運動家・佐治幸平が、この道路建設に反対運動を行ったところ、逮捕されてしまいます。

佐治幸平/wikipediaより引用

かくして、彼の逮捕に怒った人々が蜂起して、喜多方警察署を襲撃(喜多方事件)。
弾圧の手は福島だけでなく東京へと広まり、実に2,000名もの逮捕者が出ました。

捕らえられた人々には容赦のない拷問が加えられ、北海道の監獄に送り込まれる者も多数いました。
当時、地の果てと呼ばれた北海道の監獄には、凶悪犯が揃っているとされておりましたが、中には、こうした自由民権運動に関わった活動家も含まれていたのです。

三島通庸県政のもと、福島自由党は壊滅状態にまで追い詰められました。

 

鬼の如き弾圧手段

これほど多くの逮捕者を出した時点で、通庸の所業は「鬼」と呼ばれてもおかしくありません。
実際、彼の発言を知ると、まさしく鬼そのものなのです。

「それがしが職にあらん限りは、火付け強盗と自由党は、絶対に頭をもたげさせぬ」
「火付け強盗と自由党は。管内に1匹もおかぬ」

強面とかそういうレベルじゃありません。
この弾圧のために取った手段が、まだえげつないものでして。

通庸は、旧会津藩士族からなる「会津帝政党」という“御用政党”を結成させました。

会津戦争で辛酸をなめた士族はまだ生活もたちゆかず困窮。
そんな彼らに「恩貸授産金」というエサをちらつかせ、自分たちの味方にしたのです。

会津の人々を分断させる、あまりにえげつない策であります。

そして「会津帝政党」は、清水屋旅館に滞在中の自由民権運動家・宇田成一を強引に逮捕するという暴力事件を起こすのでした。
会津の人々同士が傷つけ合う、あまりにも悲惨な出来事でした。

かくして通庸の治世で、福島県・中通りの開発は進みます。
しかしその一方、苦難の末に作られた会津三方道路は輸送手段が鉄道にとって変わられ、さして意味のないものとなります。

明治17年(1884年)。
通庸は少し南に下って栃木県令に就任。
激しい憎悪を買っていた通庸は、自由党員から暗殺されかけます(加波山事件)。

加波山事件志士の墓 (茨城県筑西市下館地区)/wikipediaより引用

こうした事件に危機感を抱いたのでしょう。
明治20年(1887年)、皇居付近から「危険人物」を排除する事を目的とした保安条例が公布されると、警視総監として即日施行しました。

こうして通庸は、日本に芽生えつつあった自由主義、民主主義の芽を容赦なく壊滅。

明治21年(1888年)、第5代警視総監在任中のまま死去しました。
享年54。

 

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西郷どん』と『いだてん』を繋ぐ人物

原作を読む限り、通庸が『西郷どん』に登場することはないでしょう。
しかし彼は、薩摩で重要な役目を担った「精忠組」に名を連ね、「寺田屋事件」や「禁門の変」、「戊辰戦争」といった歴史的な重大局面に関与しております。

前述の通り、そんな通庸は2019年大河ドラマ『いだてん』にも関わりがあります。
主人公・金栗四三の盟友であり、日本初の短距離走五輪選手である三島弥彦(演:生田斗真さん)が、通庸の子にあたるのです。

三島弥彦/wikipediaより引用

通庸の長男である三島弥太郎(演:小澤征悦さん)。
妻の三島和歌子(演:白石加代子)。
周囲のキャストも既に発表済です。

ただ、三島通庸当人の役が未だ発表されておりません。出番はあるのでしょうか。

妻である和歌子は、若い頃から通庸と懇意であり、のちに側近となった柴山竜五郎景綱の妹にあたる女性。
薩摩武士の娘らしくシッカリとした心持ちの女性だったと伝わります。

ドラマの舞台を調べてみますと、残念ながら通庸は亡くなっており、もしかしたら出番はないかもしれません。
ただ、会話等では出てくるかもしれません。

2018年と2019年の大河をつなぐことになる三島通庸。
こうしてみてくると、実に評価が難しい人物と言わざるを得ません。

山形県や、出身地である鹿児島県では評価されているものの、福島県や栃木県では真逆の低評価。
いずれにせよ、とてつもなくパワフルで、手腕も卓越していたことは確かでしょう。

このような人物はプラスに振れても、マイナスに振れても、大きな影響を残すものです。

三島通庸は、まさしくその典型でした。




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文:小檜山青

【参考文献】
『評伝三島通庸―明治新政府で辣腕をふるった内務官僚』幕内満雄(→amazon link
『薩摩秘話』五代夏夫(→amazon link
国史大辞典

 



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